~その11~ 菊名さんが来た!?
また、部屋に戻り和室のテーブルの前に二人で座った。
「お茶、飲みますか?」
「ああ、入れてくれ」
一臣さんと自分のお茶を入れ、二人してお茶を飲んだ後、ふうっとため息をついた。
「疲れたな」
「はい」
一臣さんは、上着を脱いでネクタイもはずしていた。
「浴衣になりますか?そっちのほうがゆっくりできるかも」
「いや、風呂から上がってからでいい」
なんだ。浴衣姿、見たかったのになあ。一臣さんの浴衣姿、きっとセクシーなんだろうな。
「あ、でも、お前は浴衣になってもいいぞ?」
「なんでですか?」
「そっちのほうが色っぽそうだ」
「……」
すけべ。と言えないのは、私も似たような発想をしていたから。
「じゃあ、やっぱり着替えましょう。せっかく温泉に来たんだから、浴衣でゆっくりしましょうよ」
「そうだな」
わあい。
押し入れの横に、クローセットがあったので、そこに一臣さんのスーツをかけ、浴衣を取り出した。一臣さんも部屋を移動して私の横に来ると、Yシャツを脱ぎだした。
あ、つい、服を脱いでいる姿に目がいっちゃう。私も相当すけべなのかなあ。
「スラックスもかけておいてくれ」
そう言われて、
「はい」
と私は受け取りハンガーにかけた。
あ、一臣さん、パンツ一丁…。でも、すぐに浴衣をばさっと広げ、それを羽織った。
残念。体が引き締まっていて、パンツ一丁も麗しいのに。っていう発想が危ないってば、私。
浴衣を羽織ると一臣さんは帯も締め、ぼけっと一臣さんを眺めていた私のことを見た。
「弥生は着替えないのか?」
「はっ!着替えます」
つい、見惚れてた。
慌てて、私もスーツの上着とブラウスを脱いだ。
「ブラウス、かなり汚れているな。掃除したからか?着替えは持ってきているのか?」
「はい。持ってきています」
そう言いながら、浴衣を広げて羽織ろうとすると、
「おい。順序が違うだろ」
と、なぜか浴衣を取り上げられた。
「は?」
「スカート脱いでいないぞ」
「あとで脱ぎます」
「ストッキングは?」
「それもあとで」
「浴衣着てからか?」
「はい」
「それは、着替えの順序を間違っているだろう。ほら、早くスカートとストッキングを脱げ」
「はあ?」
なんで?
「そうしたら、浴衣、着せてやる」
ええ!なんで?!
「自分で着れます」
「いいから、脱げよ」
そう言いながら、一臣さんは私に浴衣を返そうとせず、じっと私を見ている。
すけべだ、やっぱり。私が下着姿になるところを見たいんだ。って待てよ。私もパンツ一丁の一臣さん見て喜んでいたんだから、人のことは言えないのかも。
でも…。じとっと一臣さんを見ていると、一臣さんがなぜか私の両腕を掴んできた。そして突然、胸元にキスをした。
「な、なんですか?」
「さっさと着替えないと、俺が欲情するぞ」
「ままま、待ってください」
うわ~~。そう言ってもまだ、キスしてる。あ!また、キスマークつけてるんだ。
と、慌てていると、その時ドアをトントンとノックする音が聞こえてきた。
「お食事の準備をさせていただきます」
「うわ!」
私はもっと慌てた。でも、一臣さんは冷静に、
「ああ」
と返事をして、やっと浴衣を渡してくれ、
「早く着替えろ」
と私に言うと、隣の部屋に戻り、襖を閉めた。
「失礼します」
仲居さんが隣の部屋に入ってきて、テーブルに夕飯の準備をしているらしく、食器のカチカチいう音などが聞こえてきた。
「お飲み物はどういたしますか?」
「ビールと…、あとはそうだな」
私は浴衣に着替え、襖を開けて顔をのぞかせた。
「ああ、弥生はノンアルコールのビールを飲むか?」
「はい」
「ビールとノンアルコールビール、それと冷酒も頼む」
めずらしく、お酒飲むんだな、一臣さん。
それから5分もたたないうちに、ビールや冷酒も運ばれ、すべてが整った。
「ビールお注ぎします」
そう仲居さんが言って、ビールの栓を抜いたが、
「いい。あとは自分たちでするから」
と、また一臣さんはさっさと仲居さんを部屋から追い出そうとした。
「では何かありましたら、電話で申し付けください」
と仲居さんは丁寧に三つ指ついてお辞儀をすると、すすすっとまた襖を音もなく閉め、部屋を出て行った。
「すごく豪華な食事ですね」
「ああ、うまそうだな。まず、乾杯するか」
「はい。あ、ビール注ぎます」
私は一臣さんのグラスに、ビールを注いだ。一臣さんも私のグラスに、ノンアルコールビールを注いでくれた。
「じゃあ、乾杯だ」
「はい!」
嬉しい。一臣さんとグラスを鳴らし、それからゴクゴクっとノンアルコールビールを飲んだ。
「お前、間違ってこっちのビールを飲むなよ」
一臣さんはそう言いながら、グラスをテーブルに置いた。
「だ、大丈夫です」
私だって、酔っぱらって寝たくはない。今夜は一臣さんと二人きりの夜を満喫したいもん。
いつもの食事には、必ず誰かがそばにいる。給仕をしてくれるのはありがたいけど、二人きりで食事をすることができなかった。でも、一臣さんがさっさと仲居さんを追い出してくれたおかげで、今日は二人きりを満喫できるんだ。
一臣さんは、お酒がはいったせいもあったのか、陽気だった。いつもの食事ではこんなに話したりしない。でも、今日はよく話すし、よく笑う。
「美味しい。これも、美味しいですよ」
「ああ、うまいな」
一臣さんも、いつもより美味しそうに食べている。いや、いつものコック長の料理も美味しいんだけど、多分、人前ではあんまり、そういう表情を出さないんだろう。今日はやけに嬉しそうにしているし、顔がずっとほころんでいる。
「この冷酒もうまい」
「いいなあ」
「ダメだ。お前、エッチもしないで寝る可能性あるからな。絶対に酒は飲むな」
「それが、目的なんですか?」
「…。なんだよ。お前は俺に愛されたくないのか?」
あ、一気に一臣さんの顔が曇った。
「い、いいえ。愛され…たいですけど」
途中で恥ずかしくなり、声が小さくなってしまった。
「ん?」
一臣さんが片眉を上げて聞き返してきた。
「私も、今日は一臣さんと二人きりの夜を、満喫したいって思ってます。だからお酒は飲みません」
「満喫?」
「……はい」
言った後に一気に恥ずかしくなり、私は俯きながら頷いた。
一臣さんからの返答がない。あれ?まさか、呆れていたり、嫌がっていたりとか?とこわごわ顔を上げると、私のことをものすごく優しい目で一臣さんは見つめていた。
わあ。今、胸がきゅんってした。時々、一臣さんはものすごく優しい目で私を見ている時がある。
「弥生はやっぱり、浴衣が似合うな」
あれ?優しい目だと思っていたけど、実はエッチなこと考えていただけ?
「一臣さんも似合いますよ。バスローブも色っぽいですけど、浴衣も…」
あ、いけない。変なこと言っちゃったかも。私もすけべだってばれちゃう。いや、またドン引きされられるかな。
「ふん。お前だって、俺が着替えているところとか、よくうっとりと見ているよな?さっきも見ていただろ」
ギクリ。
「なのに、俺がお前の着替えているところや、下着姿を見ようとすると嫌がるよな。それ、ずるくないか?俺だけがスケベみたいに言っているけど、お前もなんだからな?」
「はい」
何も言い訳できませんし、否定できません。きっと、私もスケベなんです。
「で、どこが色っぽいんだ」
「は?」
「だから、浴衣の俺のどこが色っぽいんだと聞いているんだ」
「それは、えっと。胸がはだけてて、鎖骨とか、胸やお腹の筋肉が見えたりして、それでドキッと」
ととと。思わず、また怖いって思われるようなことを言ってしまった!
「なるほどな。そういえば、俺の裸を見て、うっとりとする女、多いもんな」
え?!
「女だってスケベな生き物だって、俺はそう思っていたぞ。お前も例外じゃないよな」
なんですって?っていうことは、今まで一臣さんと付き合っていた女性も一臣さんの裸見て、うっとりとしていたってこと?
うわ~~。なんか、嫌だ。一臣さんの裸、他の女性も見ていたんだよね。ううん。見ただけじゃなく、触ったり、抱きしめたりもしたんだよね。それも、大勢の女性が。
なんか、もんもんとしてきちゃった。嫉妬してもしょうがないことなのに。
「どうした?怖い顔して」
「え?い、いいえ。ただ、ちょっと」
「なんだよ。俺にスケベだって言われて怒っているのか?」
「いいえ。それは、その…。きっとそうなんだろうなって、自分でも思うから、怒れないっていうか、否定できないっていうか」
「やっと認めたか。じゃあ、なんで怒っていたんだ?」
「いいえ。怒っていたんじゃなくって、ちょっと嫉妬したっていうか」
「ああ。他の女にか」
「はい。ごめんなさい」
今頃嫉妬するなって、怒るかな。
「安心しろ。もう、他の女が俺に触ることもないし、俺の裸を見ることもないから」
一臣さんはそう言って、しばらく私の顔を見つめた。
「あ、はい…」
私は素直に頷いてみた。
「言っただろ?俺はお前のもんだって」
ドキン。
「はい」
「こんな肌けた浴衣姿見せるのも、お前だけだ」
「はい」
「着替えているところも、俺の裸もお前だけだぞ、見れるのは」
どうだ。嬉しいだろっていう表情で一臣さんは私を見た。
「えっと」
素直に喜べない何かがある。でも、これは喜ぶところかな?
「その代り、お前もそんな色っぽい浴衣姿、他の男に見せるな。お前の肌を他の男に触らせるな。いいな?」
「はい。それはもう、もちろんですっ。私は一臣さんだけのものですし、今までだって、他の男の人に触れさせていないですし、あ、手だけは繋いだことありますけど、ごめんなさい」
「手?」
「中学の時のフォークダンスで」
「ああ。なるほどな。でもお前、トミーに肩も抱かれていたよな」
「あ!あれは、そのっ」
「まあ、いい。これからは、そういうこともさせるなよ」
「はい」
「……。なんだって俺は、お前のこととなると、こうなるんだろうな」
「え?」
「女に対して、嫉妬したこともないし、独占欲も持ったことがない。お前だけだ」
……。ちょっと嬉しい。顔がにやけそうになるのを、私はこらえて、下を向いた。
夕飯が済み、またお茶を入れて、二人でくつろいだ。すると、ドアをノックする音が聞こえた。
「グッドタイミングで片付けに来たな」
そう一臣さんは言うと、大きな声で「入っていいぞ」とドアの外に向かって答えた。
「失礼します」
ドアを開ける音がした。それから、何やら襖を開けるのを躊躇している間があった。
「入っていいと言っているだろ?」
一臣さんは、座布団にゆったりとあぐらをかいたまま、仲居さんにそう言った。
私はテーブルの上にあるお皿を重ねてみたり、片付けやすいようにしていた。襖には背中を向けていたので、襖が開いて、一臣さんの眉間にしわが寄った意味が、はじめ、わからなかった。
「何の用だ?」
一臣さんが低い声で尋ねた。何の用だもなにも、片付けに来たんだよね…と思いつつ、振り返ると、そこには赤い顔をした菊名さんが立っていた。
「菊名さん?」
私はびっくりして、手にしていたお皿を落としそうになった。
「お食事済みましたか?」
「見ればわかるだろう。それで、何をしに来たんだ?」
一臣さんがぶっきらぼうにそう聞き返した。
「……お話を聞いてもらいたくて」
「それは、会社に出てから聞くと言ったはずだ」
「あ、お酒召し上がっていたんですか?まだ、お酒残っていますか?私も夕飯の時、ちょっとビールを飲みました」
それで赤い顔をしているのか。
「もう残っていない。そろそろ風呂に入ろうと思っていたところだ。お前も部屋に戻れよ」
「いいえ。今日のうちに仕事の話を聞いてほしいんです。それで、ぜひ、アドバイスを」
「しつこいな。だったら、ここじゃなくて、綱島の部屋に行け」
「綱島さんの部屋は、さすがに男性一人の部屋だし」
「あいつは既婚者なんだから、問題ないだろう」
「いえ。だからこそ、問題があるっていうか」
「ここは、弥生がいるから安心だとでもいうのか?」
「……。夕飯、ご一緒だったんですね。私もご一緒したかった。そうしたら、綱島さんも呼んで、お仕事の話もできましたよね?」
「…冗談じゃない」
一臣さんは小声でぼそっと呟いた。でも、菊名さんには聞こえなかったようだ。
「ほんの少し時間いいですか?」
菊名さんは勝手に私の横に座ろうと、私の隣に敷いてある座布団の上に立った。でも、なぜだか座ろうとせず、ぐるりとテーブルの反対側に歩いて行った。
「ほんの少しの時間もない。言っただろ?これから風呂に入るんだよ」
一臣さんがそう言っているのにもかかわらず、菊名さんは勝手に一臣さんの隣に座ってしまった。
「勝手に座るな」
「露天風呂に入るんですよね?さっき、私もウッドデッキに出てみました。渓谷が見えて気持ちいいですよね」
「……そうだ。だから、菊名、部屋に戻れ」
「一人だとけっこう寂しいし、夜に露天風呂はちょっと怖いです」
「そうか。じゃあ、大浴場に行けばいいだろ」
「上条さんは?部屋に戻ってから入るんですか?」
「は?」
私と一臣さんが同時に聞き返した。
「一人は怖いので、一緒に入りますか?露天風呂」
「菊名。言っていることがよくわからん。弥生がどこの部屋に戻るっていうんだ」
「隣です。確か、朝顔の間」
「弥生はここの部屋に泊まるんだ」
「いいんですよ。私にまでそんな演技しないでも。あ、綱島さんも察していますよ」
「何がだ」
「隣の部屋をわざわざ一つ開けて、私たちの部屋を取らせたのは、隣の部屋に上条さんが泊まるからなんですよね?」
「はあ?」
一臣さんが思い切り片眉をあげた。
「私も聞いています。政略結婚で、形だけのものだって」
「………」
一臣さんは目を点にして、しばらく呆けていた。私はさっきから、何も言えなかった。っていうか、菊名さんが何を言いたいのかも、まったくわからなかった。