~その9~ いろいろな工場
次の工場に到着した。すると、前の工場と違って、工場長、その奥様、事務員から従業員まで総出で出迎えに来てくれた。
「お待ちしていました。さあ、どうぞ、どうぞ」
そう言われ、運転手の等々力さんまでが工場内に出迎えられた。
そして工場の2階に通され、休憩所のような場所に案内され、いきなりもてなされた。
テーブルの上には、お料理が並び、美味しそうな匂いがしている。
「さあ、どうぞ、おかけください」
「いや。工場の視察に来たんだ。工場内を見学したいんだがな」
一臣さんがそう言うと、奥さんらしき人が、
「ですが、ちょうどお昼時ですし、食べてから見学されてはいかがですか?」
と言ってきて、私たちを強引に席に座らせた。
一臣さんは迷惑そうな顔をしている。さっき、車の中で、昼はどこで食べるかって、樋口さんに調べさせていた。多分、料亭か、もしくはホテルで豪華に昼食をとりたかったんだろう。
「美味しそう」
すでにお腹がすいている私は、美味しそうな匂いにお腹が鳴った。そう言っている私を、一臣さんはじろっと睨んだ。
「どうぞ、召し上がってください。お野菜は地元で採れたものです」
奥さんはどんどん、一臣さんにかまわず、テーブルに並んだお料理や、地元の名産物の説明を始めた。
奥さんの説明が終わり、
「はい、いただきます」
と私は早速食べだした。樋口さん、等々力さんも遠慮がちに、「いただきます」と言って食べだし、一臣さんは、むすっとしたまま、お箸を手にした。
「美味しい。この野菜!」
野菜は採れたてなんだろう。とっても新鮮な味。
「あ、このお味噌汁も美味しいです」
家庭的な味のするお料理だった。
それから、お味噌汁や煮物の作り方を奥さんに教わり、そのうえ、採れたての野菜までお土産にもらってしまった。
「ごちそう様。では、工場長、昼飯も済んだし、工場を案内してくれ。あ、等々力と弥生はここにいていいぞ」
一臣さんはそう言って、樋口さんと一階に行ってしまった。
私は奥さんや事務員の人たちと、お茶をすすりながら話をした。ここで働く人たちは明るく元気だった。
それに、工場だけでなく、近くの畑の手伝いもしたり、近所付き合いが盛んのようだ。だから、新鮮な野菜をたくさん分けてもらえるらしい。
工場ははっきり言って、経営難らしい。中にはWワークをする社員までいたり、ここの奥さんのように近所の畑で働いたりしている人もいるのだとか。とても、厳しい状況なのに、それでもみんな明るかった。
「一臣氏の秘書なんて大変でしょう」
奥さんにそう言われた。
「いいえ。そんなことありません」
「でもまだお若いのに、大変でしょう」
そう言いながら、今度は果物を剥いてくれている。
「弥生様は、一臣様のフィアンセでもいらっしゃって、今、補佐的なことをしていらっしゃいます」
「まあ、フィアンセ?!」
ああ。等々力さん、なんでばらしたのかな。
「へえ。一臣氏、自分の秘書に手を出しちゃったとか!?」
事務員のおばさんが、目を輝かせてそう言った。きっと、こういう話が大好きなんだろうなあ。
「いいえ。弥生様は上条グループのご令嬢です。秘書の仕事は、婚約が決まってからなさっているんですよ」
等々力さんがまた、詳しく説明を始めた。
「上条グループ、聞いたことありますよ。アメリカにビルを買うとかっていう噂も」
「そのプロジェクトは、緒方商事とのプロジェクトですよ」
「へ~~。あ、それでもしかして、結婚を?じゃあ、政略結婚?大変ですね~~」
今度は奥さんが目を輝かせた。きっと、大変な話が好きなんだろうな。
それからしばらくすると、奥さんと事務員さんたちが片づけを始めた。
「あ、手伝います」
「いえいえ。そんな一臣氏のフィアンセ様に、片づけなんてさせられません」
「いいえ。させてください」
テーブルの上にあった食器を一緒に運び、私も洗い物を手伝った。奥さんも事務員のおばさんも、とっても元気でずうっとお喋りをしながら、わいわいと片付けや洗い物をした。
私も楽しくて、ずっと笑いながら手伝っていた。
いいなあ。こういうの。下宿先で大家さんの手伝いをしていた頃を思い出す。本当はお屋敷でも、あれこれ手伝いたいんだけど、そうもいかないしなあ。
「弥生。そろそろ、帰るぞ」
ちょうど洗い物も終わり、テーブルの上を拭いているところに一臣さんがやってきた。
「あ、はい。今すぐに帰りの準備をします」
私はすぐにテーブル拭きを洗いに行き、鞄を持った。
「すみません、一臣様のフィアンセにいろいろと手伝ってもらっちゃって」
「え?この方はフィアンセなんですか?!」
奥さんの言葉に、工場長がびっくりして聞いてきた。
「ああ、そうだ。弥生は俺のフィアンセだ。ところで、手伝ってというのは?」
一臣さんがそう奥さんに聞くと、
「洗い物や片づけを手伝ってくれたんですよ、手際もいいし、てきぱきしているし、もうすぐにでも結婚しても大丈夫ですねえ」
と、明るく奥さんが答えた。
「おい。お前、一臣氏のフィアンセに何をさせているんだ。申し訳ないです、うちのやつがとんでもないことを」
工場長が私と一臣さんに頭を深く下げた。
「ああ、いい。どうせ、弥生から手伝うと言い出したんだろ?」
「あ、はい。なんでわかったんですか?」
「お前、言いそうだからな。工場長、気にするな。こいつはそういうことが好きなんだ。役に立ちたいとでも思ったんだろ」
ばればれ。
「そうなんですか。上条グループのお嬢様は、素晴らしいんですね」
奥さんがそう言うと、また工場長の目が丸くなった。
「上条グループのお嬢様!?そ、そんな方にお前、何をさせたんだ」
ああ、また怒り出しちゃった。
「いいんです!私こういうの慣れていますので。いろいろと美味しいものをご馳走になったお礼も兼ねてなので、気にしないでください」
そう言うと、工場長はもっと目を丸くしたが、すぐに「すみません」と謝ってきて、奥さんはなぜか、笑っていた。
「一臣様、素晴らしいフィアンセですねえ」
奥さんはそう言って、私の背中をぽんぽんと叩いた。
「ほんと、ほんと!お高く留まっているようなお嬢様でもないし、なんにもできないような箱入りのお嬢様でもない。また、ぜひ、おいでください。新鮮な野菜をたっくさん用意しておきますんで」
事務員のおばさんが、でっかい声でそう言った。そして、大きな声を上げ、あはははと笑った。
「はいっ!ありがとうございます。あ、今日もこんなにお野菜もらっちゃってすみません。お屋敷のみんなと食べたいと思います」
「お屋敷?」
「緒方家のお屋敷です。従業員の人がたくさんいるので、みんなで分けていただきたいと思います」
そう私が言うと、また奥さんと事務員のおばさんは笑いながら、
「はいはい。みんなで食べてください」
と元気にそう言った。
また工場のみんな総出で、私たちを見送ってくれた。そんな中、車を等々力さんは発進させた。私はしばらく車の窓を開け、みんなに手を振った。
「明るかったですね、あの工場は」
「ああ。あんなに明るくしていられないような状況なのにな」
「え?」
「閉鎖になってもおかしくない状況の中、頑張っているよな」
「そうなんですか」
「工場長の奥さん、朗らかな方でしたね。きっと、それであの工場は明るいんでしょうね」
等々力さんがバックミラーを見ながらそう言った。
「ああ、そうだな。女性の力っていうのは偉大だと思うぞ。事務の人も明るかった。女性陣が盛り上げているんだろうな」
「弥生様も打ち解けられていましたね。洗い場から笑い声が聞こえてきましたよ」
「そうか。弥生、すっかり打ち解けていたのか」
「はい、楽しかったです」
「はははは」
なんで一臣さん、笑ったのかなあ。
「昼飯もたくさん食べていたよなあ、お前。お腹すいていたのか」
「はい。それにとっても美味しかった。採れたての野菜、たくさんもらっちゃいました」
「ああ。コック長にうまいもの、作ってもらえ」
「はい、楽しみです」
「本当にお前、花より団子だよなあ」
一臣さんは呆れたようにそう言ってから、またくすっと笑った。
「今日泊まるホテルも、うまいもんが出たらいいな?」
「はいっ」
わくわく。どんなお料理なんだろう。
と、違った。もっと違った意味でわくわくドキドキする。
一臣さんをちらっと見た。一臣さんは、今の工場で工場長からもらった報告書を見ている最中だった。
「う~~~ん。赤字が続いているなあ」
ぼそっとそう言うと、報告書を閉じ、
「次が最後だな」
と樋口さんに聞いた。
「はい」
車はどんどん人里を離れ、山道に入って行った。そして、山道を通り抜け、ようやく目的地の工場に辿り着いた。
工場の敷地内まで車を乗り入れ、建物の前で車は止まった。だが、人の気配がなく、誰も迎えにも出てこなかった。
車を降りると、工場の脇につながれている犬がワンワンとけたたましく吠え出した。その声でようやく、一人の白髪頭のおじいさんが工場から出てきた。
「視察に来た緒方商事のものですが、工場長はいらっしゃいますか」
樋口さんがその人に尋ねると、
「私がその工場長だ」
と、おじいさんがかすれた声で答えた。
工場の敷地の奥に、アパートのような建物があり、そこから2~3人、外国人の人が来た。浅黒い肌で、東南アジアか、もしくは中近東の人かもしれない。
「工場長、どなたですか?」
その一人が聞いてきた。
「ああ、視察に来たんだってよ。わざわざ、こんな山の奥まで」
「視察?私たち、くびですか?」
「いいや。大丈夫だ」
「その者たちは、ここの従業員ですか?」
樋口さんが聞いた。
「そうだ。ここに住んでいる」
「従業員はそれだけか?」
やっと一臣さんが口を開いた。
「いいや。工場の中で他に4人、働いている。この3人は今日は休みの日だ」
「ああ、なるほどな」
一臣さんはそう言うと、勝手に工場の中に入って行った。
「視察ってのは、何をするんだ?」
工場長がよたよたと一臣さんのあとを追って、そう聞いた。
「ここでは何を製造している?あと、帳簿とか見せてもらおう」
「視察というより、調査か?」
「視察だ。目的は電話で連絡済だ。聞いているだろう?」
「今さら、工場を立て直すって言ったって、何ができるんだ?だいたい、ここまでほおっておいて、何が視察だ。それに、あんたたちがここに来て、何ができるっていうんだ?」
かすれた声を張り上げ、工場長がそう聞いてきた。それから、ゴホゴホとむせ出した。
「親父、大丈夫かよ」
工場の奥から、30代後半か、40代前半くらいの男性が現れた。工場長の息子さんだろう。
「緒方商事から、視察っていうのが来たぞ」
工場長がそう言うと、息子さんは、
「あ!すみません。作業をしていたので気が付きませんで。緒方財閥の御曹司の、一臣氏ですね」
と私たちを見て、腰から下げているタオルで手を拭きながらそう言った。
「緒方財閥の御曹司が、自ら視察に来たのか。へえ、それはそれは」
息子さんの言葉に、工場長はさらに顔をしかめた。
「親父は休んでいたらどうだ?さあ、一臣氏、工場の中を案内します」
そう息子さんは言うと、一臣さんと樋口さんを工場の奥に案内した。
「あんたは、見に行かないのか」
工場長に聞かれ、私は、
「はい。足手まといになるので、ここで待っています」
とその場にとどまった。
「じゃあ、こっちに来てお茶でも飲むか。それにしても、なんだって足手まといになるような女を連れてくるんだ。あんたは、あの御曹司の女か」
「…秘書です」
「若い女性が秘書か。いい身分だな」
「いえ。すみません。フィアンセです。一臣さんと結婚して、一臣さんの仕事を補佐していくので、今から一緒について回っています」
私はへんなふうに取られては困ると思い、正直にそう言った。
「ほ~~、フィアンセねえ」
工場長は嫌味な感じの相槌を打ち、私を事務所の中に案内した。
事務員の姿はなく、埃っぽい掃除もされていないような事務所だった。
「今、お茶を入れるから待っていろ」
「いいです。おかまいなく。それより、ものすごく勝手なことを申し出てもいいですか?」
「なんだ?!」
「掃除させてください」
「はあ?!」
「えっと。雑巾とかありますか?あと、箒…」
「そんなに汚いか。汚いところではお茶も飲めないか」
「いいえ。お茶はさっき、前の工場でたくさんいただいたので。それより、ここでただ待っていても、なんの役にも立てないので、せめて掃除をさせてください」
私がそう申し出ると、工場長は眉間にしわを寄せたものの、
「廊下出た奥に扉があって、そこに箒や雑巾、バケツをしまってある」
と教えてくれた。
私はさっそく、袖まくりをして掃除を始めた。
「あんた、変わってるなあ」
「よく言われます」
箒で床を履き、棚やテーブルを雑巾がけをしていると、それを眺めながら工場長が呆れた声でそう言ったので、即答した。
「変わったやつをフィアンセにしたもんだ」
「一臣さんにもへんてこりんだって、言われています」
「はっはっは。一臣ってのがあの御曹司か」
「はい」
私は一度、真っ黒になった雑巾をバケツの水で洗い、ギュッと絞って、今度は茶色くなった窓ガラスを拭いた。
「事務の人とか、いないんですか?」
「帳簿は息子がつけている」
「そうですか」
「息子の嫁は、山の麓にあるガソリンスタンドで働いている。俺のつれはもう亡くなっているし、この工場には女の出入りもないしな。掃除をするやつなんかおらん」
どうりで。ものすごい汚れ方だ。この窓ガラスも。
「綺麗な服が真っ黒になるぞ」
「大丈夫です。着替えも持ってきているし、服は洗えばいいだけですから。でも、こんなことなら、もっと動きやすい格好できたら良かった」
そう言って、顔の汗を拭くと、工場長に笑われた。
「はっはっは。顔が真っ黒になったぞ」
「え?本当ですか?あとで、顔、洗います」
それからも、掃除を続けていると、そこに息子さんと一緒に一臣さんと樋口さんが戻ってきた。
「弥生。ここでは掃除の手伝いか」
「はいっ」
「おや、見事に事務所が綺麗になっている。窓も向こう側が見えるようになった」
息子さんがそう感心したように言った。
「顔、真っ黒だぞ、弥生。それにスーツも…」
一臣さんは眉をしかめて、呆れたようにそう言った。
「はい。顔、洗ってきます」
「ああ。このタオルを使ってくれ。これは、洗ったばかりだし、綺麗だぞ、お嬢さん」
工場長にそう言われ、私はタオルを受け取り顔を洗いに行った。洗面所の水は冷たかった。おかげで、顔がさっぱりとした。
そして事務所に戻ると、私の顔を見た一臣さんは、
「すっかり、すっぴんだな」
とそう言って、くすっと笑った。
「随分と働き者の女性と婚約されたんだな、あんた」
工場長はそう一臣さんに言うと、私を見て、またなぜか笑った。
「弥生は働くのが好きだし、この工場でも役に立ちたいと思ったんだろ」
「はっはっは。面白いお嬢さんだ。商社に勤めているから、お高く留まっているのかと思ったら、顔を真っ黒にして窓拭きなんかして、服が汚れるのも気にしやしない。なかなか、気に入った」
工場長はそう言うと、また笑った。
「お前、本当にどこでも誰にでも、気に入られるなあ」
一臣さんはそう言うと、口元を緩ませ、
「工場長、これから、この工場の見直しをちゃんとさせてもらう。また報告はする。それと」
と、工場長を見た後に、息子さんを見て、
「しっかりとした後継者がいて、安心だな」
と、一臣さんは物静かにそう言って、事務所を出た。
工場の入り口まで、息子さんと工場長が見送りに来た。
「あんた、この調子でいろんな工場に行って掃除をしているのか」
「いえ。掃除はここが初めてです」
「そうかい」
「前の工場では、洗い物を手伝っていた」
一臣さんがそう工場長に言うと、
「はっはっは。働き者の嫁をもらうと、いろいろと助かるぞ。いい嫁を選んだなあ」
と一臣さんに笑いながら話しかけた。
「……仕事の邪魔をして悪かったな。それじゃあ」
一臣さんは、なにも工場長の言う言葉に答えず、そう二人に言って車に乗り込んだ。
そして、車は静かに発進した。
「弥生」
「はい?」
「なんなんだ。あの工場長の変わりようは。お前、何をしたんだ?」
「掃除です」
「そうじゃなくて。何か話でもしたのか」
「いいえ。本当に掃除だけです」
「…それだけで、180度、あの爺は態度を変えたのか」
「爺呼ばわりは悪いですよ」
私がそう言うと、一臣さんは、
「あはははは。まあ、いいか。服も汚れたけど、あとはホテルに向かうだけだからな」
とそう大笑いをして、私の顔を覗き込んだ。
「顔、すっぴんで可愛いぞ」
「え?」
耳元でそう囁かれ、私は真っ赤になった。そして、手も繋いできて、私はさらに顔を熱くさせた。
露天風呂が待っているんだなあ。ドキドキ。
一臣さんも同じことを考えているのか、顔をにやつかさせていた。
「弥生」
「はい?」
「仕事のことはもう、忘れていいぞ」
「は?」
「あとは、温泉を楽しむだけだ」
「……」
やっぱり、にやけてる。隣にいて一臣さんがご機嫌なのが手に取るようにわかる。
これ、樋口さんと等々力さんにもばれているよなあ、と思いつつ、バックミラーを見ると、二人とも私たちに気にすることなく、にこにこと会話をしているようだった。
「美味しいもの出ますかねえ」
「温泉、気持ちいいでしょうね。早く入りたいですね」
なんだ。等々力さんと樋口さんも、温泉を楽しみにしているんだ。
みんなのわくわくした気持ちを乗せ、車はさらに山奥へと進み、ホテルに到着した。