~その6~ いちゃいちゃモード
翌日、二人して寝坊。一臣さんは目覚ましを一回止め、また私を抱きしめて寝てしまった。起きたら8時半だった。
「わあ!」
私は時計を見て慌てたが、
「9時10分に出たら余裕だ」
と一臣さんは伸びをしながら、ベッドから起き上がった。
わ、一臣さん、オールヌード。きゃあ、恥ずかしい!と思いつつ、しっかりと後姿を見てしまった。
やっぱり、引き締まった体でかっこいい。
「おい。お前も早く着替えて行く支度しろよ。飯は食う時間ないぞ」
「え?!」
「朝飯抜きでも死にはしない」
「はあ。でも、きっと用意しててくれたと思うんですけど」
「お前が食べなかったら、みんなで食うだけだ」
まかないになるってことかな?お昼の。
一臣さんはそのままバスルームに行ってしまい、私はその隙に、自分の部屋に戻った。
体から一臣さんのコロンの香りがする。それを軽くシャワーで流し、着替えをして化粧をした。
ぐ~~~。すでにお腹がなっている。お昼までもつかなあ、私。
一階に降りると、
「おはようございます。弥生様、朝食は?」
と亜美ちゃんに聞かれた。
「寝坊したから、もう出ないと…」
そんな話をしていると、一臣さんも颯爽と風を切って階段を降りてきた。はあ、今日のスーツ姿も決まっている。麗しい。
「行くぞ、弥生」
「はい」
一臣さんが私の腰に手を回し、一緒に玄関を出た。そして車に乗り込み、
「いってらっしゃいませ」
という皆の声に応える暇もなく、車はすぐに発進した。
「10時の会議には間に合うな」
一臣さんがそう言うと、助手席にいた樋口さんが、
「はい。どうにか間に合いそうですが」
と言葉を濁した。
「ん?何か朝、用事でもあったか?」
「細川女史から朝早くに電話が来て、昨日新人の秘書が何かしでかしたとか」
「ああ。知っている。データを全部消してくれたんだ」
「その処理はお済のようですが」
「ああ。昨日の夜、弥生がデータ入力した」
「それは大変でしたね、弥生様。それで今朝、遅くになったんですね」
いいえ。違います。一臣さんに襲われていたんです。なんて、言えないし。
「そのことなら、解決済みだろ?」
私が何も答えないでいると、一臣さんがそう樋口さんに聞いた。
「はい。ですが、新人…、鴨居さんの処置がまだです」
「処置?」
私がびっくりしてそう聞くと、
「弥生が、とっちめるのはやめろと言うからな。何も今回はお咎め無しだ」
と一臣さんは静かにそう言った。
「なるほど。今回は大目にみるということですか」
「……。仕方ないだろ。弥生がそう言うんだから」
「はい。そういうことでしたら…」
樋口さんはそう言ってから、くすっと笑ったようだ。
「なんだよ、樋口。なんでそこで、笑うんだ」
「いいえ。なんでもございません」
それから、一臣さんは私の手を握ってきた。
ドキン。
なんだか、まだ一臣さんの手が熱を帯びているように感じる。ううん。きっと私の手もそうだ。
そのあと、私は無意識のまま、一臣さんの肩によりかかっていた。まるで磁石のように、一臣さんの腕にしっかりとひっついて、そのまま離れられなくなってしまった。
一臣さんは無言だ。でも、繋いでいた手を離し、私の肩に腕を回してきた。わわ。一臣さんに引き寄せられ、べったりとひっついてしまった。
一臣さんの息が髪にかかる。って、今、頭にキスした?
「弥生…」
「はい?」
「……」
無言だ。呼んだだけかな?
あれれ?今度は私の頭に頬ずりしている。
「可愛いな、お前」
ものすごく小さな声で一臣さんは囁いた。
ドキッ!
ひゃ~~~~~~。これは、思い切りいちゃついているよね。一気に恥ずかしくなった。もう、前見れない。これ、樋口さんや等々力さんもバックミラーで見ているんじゃないの?
「樋口、今日のスケジュールは?」
一臣さんは私を抱き寄せたまま、そう樋口さんに聞いた。
「今日のスケジュールは…」
樋口さんは淡々と話し出した。
「そうか。とりあえず、午前中の会議が終わったら、少し時間があくな。昼飯は弥生と食えそうだな」
「はい」
「一回、秘書課に顔を出すか。お咎め無しとはいえ、注意だけはしないとな」
一臣さんは真面目な顔つきでそう言い、
「そうですね」
と樋口さんのクールな返事のあと、また私のほうに一臣さんは顔を向けた。
でも、なんにも話をするわけでもなく、ただ、べったりと私の頭に一臣さんは顔をくっつけ、時々頬ずりするだけだ。
ドキドキ。私も一臣さんにべったりとくっついちゃっているけど、いいのかな。こんなで…。
「あ、樋口。思い出した。弥生のお兄さんから結婚式の招待状が届いた。国分寺に出席すると返事をさせたんだが、スケジュール大丈夫だったよな」
「はい。国分寺さんから聞いています。その日は何も用事が入っていないですから大丈夫です」
「そうか。弥生と一緒に行くからな」
「かしこまりました。わたくしもお供をしたほうが、よろしいですか」
「いや。別にいいだろ。お前は休んでいいぞ。あ、等々力は運転を頼むぞ」
「はい」
「ボディガードはよろしいんですか?」
樋口さんがそう聞くと、
「ああ。こいつが行くんだから、日陰がガードしているんだろうし。そういえば、最近日陰だけでなく、伊賀野も弥生についているんだろ?二人もいるんだから、大丈夫だ」
と一臣さんは淡々と答えた。
ボディガードが二人?私に?伊賀野さんって今、庶務課にいる人だよね。
「わかりました」
樋口さんもクールにそう答え、またスケジュール帳を見始めた。
「樋口さん。一臣さんのことは大丈夫です。しっかりと休んでくださいね。せっかくのお休みの日なんですし」
私がそう言うと、樋口さんがバックミラーを見ながら、
「は?」
と聞き返してきた。
「あ、あの。一臣さんのことでしたら、私がついているし」
「はあ…。あ、弥生様が一臣様のボディガードを?」
「はいっ」
意気揚々とそう答えると、樋口さんが笑った。
「弥生に護られるつもりはないぞ!お前のほうこそ、俺がついているんだから、安心していろ」
一臣さんがむっとした口調でそう言ってきた。
「え?あ、はい」
そうだった。忘れてた。細川女史にも言われていたっけ。私が一臣さんを護るなんて、一臣さんのプライドが許さないよね。
「一臣さんがいるから、安心です」
そう私は一臣さんに言った。すると、一臣さんは「ふん」と鼻で笑いながらも、機嫌を直したようだった。
だけど私は内心、一臣さんを護ります。と力強く思っていた。
10時からの会議に出席し、そのあと一臣さんと秘書課に出向いた。秘書課には数人、事務仕事に追われている人がいた。
その中には新人の鴨居さんも矢部さんもいた。
「あ、一臣様」
細川女史がそう言うと、いっせいにみんなが私たちに注目し、一気に秘書課の部屋に緊張の空気が流れた。
この空気感、久々かも。
「細川女史、朝早くからデータのチェック、悪かったな」
「いいえ。会議までに間に合ってよかったですね」
「ああ」
一臣さんは穏やかな表情から顔つきを一気に変え、鴨居さんのほうを向いた。
もっと空気が張りつめた。みんなして息を殺しているようだ。鴨居さんは身を固くし、顔を青くさせている。
「鴨居」
「は、はい」
鴨居さんの声は明らかにかすれていた。その声だけでもものすごく、緊張しているのがわかる。
「弥生がなんとかフォローをした。だからデータ入力も間に合ったが、これからは気をつけろ。わからないことがあったら、自分でどうにかしようとしないで、ちゃんと誰かに聞け。いいな?」
「は、はい…」
もっと怒鳴られる覚悟をしていたんだろう。鴨居さんは一臣さんの顔を見て、思い切り安心したようにほっとした顔を見せた。その目は少し潤んでいた。
「弥生、昼の時間まで秘書課で事務の手伝いをしていろ。12時になったら15階に来い」
「あ、はい」
一臣さんにそう言われ、私は自分のデスクに座った。一臣さんは颯爽と、秘書課の部屋を出て行った。
一臣さんって、風を切って歩いている気がする。そこがまた、かっこいい。とうっとりとしていると、
「一臣様、怒らなかった」
「なんで?どうしちゃったの?また雷落とすと思っていたのに」
と、部屋の中でどよめきが起こった。
「まさか、鴨居さん、贔屓されてる?」
「あんなとんでもないミスして、怒られないだなんて」
大塚派の人たちだ。大塚さんは部屋にいなかったが、大塚派の二人が残っていて、鴨居さんを見ながら、ぶつぶつと言っている。
「ほら、あなたたち、早く仕事に戻って」
細川女史にそう言われ、みんな、またパソコンを静かに打ち始めた。
「鴨居さん」
細川女史は威厳のある声で鴨居さんを呼び、
「これからは、本当に注意してください。一臣様が今回大目に見てくれたのは、初めてのミスだからだと思いますよ」
とそうきびきびとした声で鴨居さんに言った。
「あ、はい!もうミスしないよう、気を付けます」
鴨居さんはいつもの元気な鴨居さんに戻っていた。返事も体育会系のきびきびした返事だった。そしてなぜか、ちょっと嬉しそうに口元をほころばせ、パソコンを打ち出した。
その隣で、鴨居さんを見て矢部さんが眉をしかめていた。何か、鴨居さんに言いたいことでもあるのか、しばらく鴨居さんを見ていて、パソコンの画面に視線を移していた。
お昼になり、私は意気揚々とパソコンをシャットダウンし、
「お昼休憩に行ってきます」
と細川女史に挨拶をして15階に行った。
ああ、廊下の絨毯がまるで、雲の絨毯みたいだ。ふわふわと夢心地だ。
一臣さんのオフィスに入り、
「お疲れ様です」
と元気に樋口さんに挨拶をして、一臣さんの部屋をノックした。
「入れ」
一言、一臣さんの返事があり、私は一臣さんの部屋を開けた。
きゅわん。いつものように、第2ボタンまで開けて、一臣さんはソファでくつろぎながら、書類を見ている。なんて麗しいんだろう。
「お腹すきました!」
そう言いながら、一臣さんのもとに駆け寄った。
「なんだよ。俺より食いもんのほうがいいのかよ」
「いいえ!一臣さんに会えるのが嬉しくって、飛んできました」
そう言いながら、一臣さんに抱き着いた。
一臣さんも私の背中に腕を回し、ふんっと鼻で笑った。
「何を食べに行く?それか、部屋で弁当でも食うか?」
「えっと。二人きりになるほうが…いいかなあ」
照れながらそう言うと、一臣さんはさっさと私から腕を離し、ソファから立ち上がると、
「樋口、弁当二人分頼む。お前の分も買ってきていいぞ」
とインターホンで樋口さんにそう言った。
「はい」
樋口さんの返事は簡潔。
一臣さんはまた、ソファに戻り、座ると私を自分の膝の上に乗せた。
「じゃあ、弁当がくるまでいちゃつくか」
え?ドキ!
「あ、あの」
いちゃつくのは嬉しい。でも、ちょっと恥ずかしい。だからつい、必死で何かを私は話そうと考えた。
「そうだ。今日、本当に鴨居さんに雷落とさなかったんですね」
「お前がそう言ったんだろ」
「はい」
「次にまたへましたら、怒り飛ばすけどな」
「……でも、鴨居さん、もう失敗しないって言ってました」
「ああ。そんなにしょっちゅう失敗されてたら、たまらんからな。一番フォローするやつが、大変な思いをするんだ。たとえばお前とかな?」
「私は別に…。大変とは思いませんけど」
「ははは!本当にお前は変わっているよな」
そう言って一臣さんは私の後頭部に頬ずりをする。
「明日は、お前、浴衣でいいぞ」
は!?何を突然?
「明日だろ?温泉に行くのは」
「そうですよね!!!」
わあい!
いやいや。浮かれていたらダメだって。仕事で行くんだから。
でも、一臣さんの浴衣姿が見れるんだと思うと、つい口がほころぶ。いや、ほころぶどころか、にやける。
「露天風呂か~~。楽しみだな」
一臣さんの声もなんだか、にやついた声…。あ、露天風呂でいちゃつくって言っていたっけ。
うわ。それはなんだか、とっても恥ずかしい。
「い、いちゃつくのは無しですよ」
「え?!」
「露天風呂はおとなしく、入りましょう。あ、別々に入りませんか」
「冗談じゃない。なんのために部屋に露天風呂がある旅館を選んだと思っているんだ」
「え?」
「お前と二人きりで入るためだろ?それが目的なのに、何が別々に入ろうだ」
はあ?!
「一緒に入って、いちゃつくからな!」
なんだって、そんなことを堂々と宣言しちゃうんだか。ほんと、スケベだよなあ。
ちょっと明日になるのが怖いような、でも嬉しいような、そんな複雑な心境だ。でも、やっぱり嬉しさのほうが勝っちゃうなあ。
一臣さんの膝の上で、照れながらも私は喜んでいた。