~その3~ 拗ねる一臣さん
5時を過ぎ、
「上条さん、お疲れ様。15階に戻っていいわ。そろそろ一臣様も戻ってくる頃でしょ?」
と細川女史に言われた。
「あ、でもまだ、鴨居さんの分が…」
「大丈夫です。私が鴨居さんに教えておきますから」
江古田さんがそう言ってくれたので、私は15階に行くことにした。
「では、お先に失礼します」
「上条さん、ありがとうございました」
鴨居さんに元気に挨拶された。私もぺこっとお辞儀をして、他の人たちの丁寧な、
「お疲れ様でした」
という言葉にも、お辞儀をしてから部屋を出た。
そして、スキップしそうになるのを抑えながら、エレベーターホールに向かった。
ああ。何時間ぶりに一臣さんに会える?早く会いたいよ!
15階にエレベーターが着き、わくわくしながら一臣さんのオフィスに向かった。そして、中に入ると、樋口さんもいないし、一臣さんの部屋に、一臣さんもいなかった。
なんだ。まだ帰ってきていないんだ。
がっかりしながら、ソファに座った。
「あ~~あ。早く帰ってこないかなあ」
一臣さんの部屋は、一人だと寂しくなる。広いからか、静かだからか。
時計の音だけがして、あとはなんの音もしない。
受付で話をしていても、この部屋には聞こえない。防音がしっかりとしているようだ。だからたまに、一臣さんは大きな音で音楽を聴いたり、映画を楽しんだりしていたって、前に話していたことがあった。
し~~~んと静まり返った部屋。本当に寂しい。
「何していようかな。テレビとか観ちゃおうかな」
ソファから立ち上がり、本棚を覗いた。難しそうな本ばかりが並んでいる。
DVDは、映画ばかり。観たことのないものばかりみたいだ。これ、勝手に観たら怒られるよね。
それから、雑誌。車の雑誌も多いけど、そういえば、一臣さんって確か免許持っているんだよね。でも、今は等々力さんの運転する車にしか乗っていないけど、免許はどうしたのかな。
事故を起こしてからもしかして、車運転していないのかな。だけど、車の雑誌が多いってことは、車が好きなのかもしれない。
「暇だなあ」
またソファに座った。暇すぎて眠気に襲われ、知らない間に私は寝ていたようだ。
つー…。
なんか、太ももに感触。あったかい何かが太ももにある。ううん。太ももだけじゃない。あご、くすぐったい。なんだっけ、これ。
あ。この匂い。一臣さんのコロンの匂いだ。ああ、そうだ。ここ、一臣さんの部屋だもん。一臣さんの匂いがするのは当たり前だよね。
「チュー…」
んん?何の音?それから、なんか胸のあたりが痛いような、変な感触。
パチ。目が覚めた。目の前に一臣さんの顔があった。
「あ…」
「ただいま、弥生。待ちくたびれて寝ていたのか?」
一臣さんだ~~~。ギュウ。一臣さんの首に両手を回して抱き着いた。
「おかえりなさい。あ、私、寝ちゃってたんですね」
「ああ。気持ちよさそうにグースカ寝ていたぞ」
うそ。まさか、いびきまでかいてた?
「弥生、手をどけろ。もう屋敷に帰るぞ」
「はい」
抱き着いていた手をほどかれた。私はソファに寝っころがっていた体制から、起き上がろうとして、
「あ!」
と、スカートが思い切りまくれ上がっていたことに気が付いた。
わあ。寝相悪すぎだ、私。太ももがもろ見えてた。これ、一臣さんに見られたよね。恥ずかしい。
ふと、胸元がやけに涼しい気がして、ブラウスも見た。
「あ?!」
なんで、ボタン、あいてるの?ブラジャーも丸見えって、これは私じゃないよね。
まさか、さっきの胸がちょっと痛かったのって…。
ブラジャーをほんのちょっとずらしてみた。すると、しっかりとキスマークがついていた。
やっぱり~~~!!寝ているうちにキスマーク付けたんだ。じゃあ、このスカートがまくれ上がっていたのも、一臣さんの仕業?あ、そういえば、太ももにあったかい感触があった。寝ているすきに撫でてた?!
「なんだよ、その目」
じとっと一臣さんを見ながら、私はブラウスのボタンを閉めていると、一臣さんが眉をひそめて聞いてきた。
「寝ているすきにエッチなことしないでください」
「なんでだよ、いいだろ?別に」
「よくないです」
「いいんだよ。弥生は俺のものなんだから」
ええ?何その理由。
「じゃ、じゃあ、一臣さんが寝ているすきに、私がキスマークつけてもいいんですか?」
「ああ、いいぞ」
「キスしてもいいんですか?」
「ああ、いいぞ」
「じゃ、じゃあ、他にも…」
「何かしてくるのか?」
「い、いいえ」
わあ。今、妄想しちゃった。寝ているすきに一臣さんの胸触ったり、お腹の筋肉触ったり、髪撫でたり、腕の筋肉触ったり、そんなことをしている私を。
ちょっとしてみたい。いや!やっぱり、そんな破廉恥なことできない。
「いいぞ。触りたかったら触っても。俺は別にかまわないぞ」
「え?!!」
今の妄想、ばれた!?
「触りたいのか?前にそう言っていたもんな、弥生は」
ドキーー!そうだった。ばらしちゃっていたんだ。
「他の女性には、うっとおしいから、そういうのはやめるように言っていたんだが、お前だったらいいぞ」
「え?そういうのって」
「俺の体に触ってきたり、抱き着いて来たり、キスを勝手にしてきたり」
そうかな。確か葛西さんがキスした時、何も抵抗しなかった気が。あ、私が見ているのに気がついて、すごくクールに私の名前を呼んだんだった。あれ、なんであんなにクールだったのかな。
ダメだ。思い出しただけでも落ち込んだから、もうやめよう。とっとと忘れよう。
「ああいうのは、本気で嫌がってた。勝手に俺に触るな。俺の体は俺のもんだって、そう思っていたしな」
は?
「寝ているすきになんて、絶対に許せないよな。俺の許可もなく触るだなんてな」
「許可したらいいんですか?」
「まさか。許可なんかしなかったぞ」
「でも、勝手に葛西さん、キスしてた…」
あわ!言っちゃった。もう、なんだって、言うのをやめようと思っていることを次の瞬間、口に出しているんだろう、私って相当バカだ。
「葛西?」
ほら、一臣さん、片眉上がった。きっとしつこいって思っているよね。いまだに葛西さんの名前出したりして。
「ああ、あの時のキスか」
「………」
あれ?怒らないの?しつこいって。
「そういえば、勝手にキスしてきたよな。やっぱり、いい気はしなかったぞ。でも、あの時はお前が覗いているのに気が付いて、それどころじゃなくなって」
「え?」
「お前、真っ青だったし。どっかで俺も、やばいって思っていたし」
「やばいって?」
「………。そりゃ、お前に見られてやばいって。だが、俺からしたわけでもないしな。言ってみりゃ、あれは俺が被害者だ。あっちが勝手にしてきたんだからな」
なにその言いぐさ。もう~~。
「弥生」
一臣さんが私を抱きしめてきた。それから、チュっとキスをした。
「お前ならいいぞ。いつでも許可する。勝手に触ってこようが何をしようがかまわない」
「…」
なんか、すごいことを言われている気がしてきた。それに、私がなんだか、相当なスケベなんだって思われているような気もしてきた。
そんなに私、一臣さんの体に触りたいってわけでも、キスをしたいってわけでも…。したいけど、ものすごくしたいってわけでは…。してみたいけど。
「俺はお前のものだから、いいぞ?」
え!?今、なんて!?
びっくりして顔を上げると、一臣さんはなぜか優しい目をして私を見ている。
「私のものって?」
「ん?そうだろ?お前と結婚するんだし、一生一緒にいるわけだし」
きゃ~~~~。なんだか、またものすごいことを言われた気がする!
顔が火照ってきちゃった。
「だから、お前も俺のもんだ。寝ているすきにキスしようが、触ろうが、キスマークつけようが、かまわないだろ?」
う…。結局それを言いたかっただけ?
「ほら。今でもいいぞ。抱き着いてくるか?キスしてくるか?それとも、襲ってくるか?」
「しません!」
両手を広げてふんぞり返った一臣さんに、私はそう言い返した。
「なんだよ。本当はしたいくせに」
そう言って一臣さんのほうが私を抱きしめてきた。
「弥生と別行動を1日していたんだ。ずっと弥生のぬくもりが恋しかったんだぞ。弥生が待っているだろうって帰ってきたら、のほほんとソファで寝ていやがった。尻尾ふって俺に抱き着いてくると思っていたのに」
え?そうなの?私だって、抱き着きたかった。
「太もも撫でても起きないし、キスしても起きないし。寝ているすきに襲ってやろうと思ったんだがな。胸にキスしているところで弥生が起きちまったから」
え?もしや、あのまま襲われていたかもしれないってこと?
「セクハラ」
「違うだろ」
「じゃあ、痴漢」
「誰が?俺は弥生のフィアンセだろ?!」
「はい」
「さあ、帰るぞ。今日はさすがにもうできるだろ?」
「え?!」
「一緒に風呂も入るぞ」
「まだです」
「いい加減いいだろ?そんなに激しくはしないぞ」
「で、でも」
まだ、生理終わってないよ~~。
「さ、とっとと帰るぞ」
もしや、それで私をせかしているの?ああ、やっぱり、一臣さんの頭の中はエッチのことしかないような気がする。
でも、手を繋いだだけで、ドキってした。
エレベーターで、一臣さんが腰に手を回してきて、またドキッてした。
もしかして、私も欲求不満?
え~~~~~~~~。私って、そんなにスケベ?
最近、自分で自分がわからない。一臣さんには、しませんって言っておいて、胸の奥は疼いたりして。
帰りの車内、ずっと一臣さんの手は私の太ももの上にあった。
恥ずかしい。絶対、等々力さんにも樋口さんにも見られているよね。
「そういえば、一臣さん!」
なんとか、手をどけてもらえないものか。太もも触られているだけでも、キュンってしちゃうんだけど。
「なんだ?」
話しかけつつ、足をずらそうとしてみた。
「一臣さんは運転しないんですか?」
「ああ。しない。免許親父に取り上げられたからな」
「事故を起こしたからですか?」
「ああ…。人様傷つけておいて、運転する資格なんかお前にはないって、思い切り怒られた」
そうか。それもそうだよね。
「でも、もしかして一臣さん、車好きなんですか?」
「なんで知っているんだ」
「お部屋に車の雑誌があったから」
「…ああ。あれか。欲しかった車があるんだ。でも、今はどうでもいいけどな」
「そうなんですか?」
「前は車で飛ばしたら、気晴らしにでもなるかもと思っていたけど、今はお前がいるから別にいい」
「…は?」
「だから、お前、からかって遊んでいたら気晴らしになるからな」
いいおもちゃができたってこと?
つつつー。
うわ!太もも撫でられた~!
キュキュン。思い切り疼いた!ダメだ。顔が赤いかも。どうにか話でもしてごまかさないと。
「一臣さん、そういえば、タバコ吸っているのを見たことがないんですけど。部屋に灰皿もないし。やめたんですか?」
「ああ。そんなに好きなほうじゃなかったしな。大学でもたまにしか吸わなかったぞ。働き出してからは、もうやめた」
そうだったんだ。
「酒はけっこう飲んでいたけどな」
「お酒?でも、あんまり飲んでいるのを見たことないです」
「お前と一緒だと、酒に頼らないでもいいからな。ちゃんと眠れるし」
あ、そういうことか。
すりすり…。
あ、もっと太もも撫でてる!話をしていても、なんだって手だけはしっかりと私の太もも撫でいるんだろう。
「弥生、秘書課の新人はどうだ?使えそうか?」
「はい。優秀です。矢部さんは覚えるのも早いし、パソコン得意だし。鴨居さんは多少、覚えるのに時間がかかりそうですけど、ガッツだけはあるみたいです。体育会系だし」
「カモは確かソフトボールかなんかをやっていたんだよな。部活で鍛えた精神力があるってことか」
「鴨居さんですよ、カモじゃなくて」
「矢部は、気が強そうだし、秘書課には向いていそうだな」
鴨居さんだって訂正したのは、しっかりと無視したな、今。
「等々力、今日、道混んでいないか?」
突然、一臣さんは等々力さんに声をかけた。
「そうですね~~。どうやら事故があったようですよ。裏道を抜けていきますので、もうちょっとお待ちください」
「あ~~あ。早くに帰りたいって思った日に、こうなるんだよなあ」
一臣さんはそう言って、窓の外を眺めながらため息をついた。
「何か、お屋敷で用事でもありましたか?」
等々力さんがそう言いながら、樋口さんのほうを見た。樋口さんは、何も用などありませんといった感じで、首を横に振った。
「ある!早くに帰って、早くに飯食って、弥生との時間を取るっていうすご~~く大事な用が」
げ!そんなこと、二人にばらしているし!
あ~~~。赤面。ずっと顔が赤くならないよう、我慢してごまかしていたのに、もう無理だ~~。
なんだって、そういうことをしっかりとばらしちゃうのかなあ。
「ああ、それは大事なご用事ですね。なるべく、すいている道を探して帰りますので」
等々力さんは笑うのをこらえながらそう言った。
「でも、今でも二人きりの時間は持てますよ。わたくしはこれからのスケジュールの見直しをしますし、等々力さんは運転に集中しますから、どうぞ二人の時間を過ごされてはどうですか?」
そうものすごくクールに言ったのは、樋口さんだ。
「……うるさいぞ、樋口。どうせ、お前たち、耳を澄ませて俺たちの話を聞いているんだろ?お前たちがいるのに、弥生といちゃつけるわけないだろが」
あ。一臣さん、思い切り拗ねた。でも、太ももにある手はまだどけてくれない。十分、いちゃついている気がしないでもないんだけどなあ。
でも、一臣さんは拗ねながら窓の外を見て、そっと私の太ももから手を離した。
あ、いちゃつくのやめたのかな。と思っていると、私の手を取って、指を絡めてきた。
ドキン。
それから、窓の外を見ていたのに、いつの間にか私のほうを向き、じ~~っと私のことを見つめだした。
?なんだって、黙って私のことを見ているのかなあ。
まだ見てる。
「あの?」
むに。鼻をつままれた。
「??」
むに。今度はほっぺたつままれた。ちょっと痛い。あ、遊んでいるの?もしや。
「は~~~あ」
なんで?ため息?
「キスもできないなんてな~」
ぼそっと一臣さんが呟いた。
キス?!
「どうぞ、私たちにおかまいなく」
樋口さんが、すかさずそう言ってきた。
「やっぱり、聞いているじゃないか!樋口」
一臣さんはそう言って、また拗ねた顔をした。それからは、ずっと窓の外を見てこっちを見てもくれなくなった。
でも、手だけはずうっと、繋いでいたけれど。