~その15~ 突然の訪問客
「弥生、そういえば、ジーンズも欲しいんじゃなかったか?」
私を見つめながら、ほほ杖をついた一臣さんが聞いてきた。風が吹くと一臣さんの前髪が揺れた。そんな一臣さんを私はずっとうっとりとしながら見ていた。
「え?」
「だから、ジーンズ、買わないでもいいのか?」
「いえ。それはまた今度で」
「そうか。じゃあ、またデートに来ような?」
「はい」
嬉しい!
「お前って、なんでそんなに全部顔に出るんだよ」
「え?」
「今、半端ないくらい嬉しそうな顔をしたぞ。俺とのデートがそんなに嬉しいのか?」
「はい」
顔が熱くなるのを感じながら頷くと、一臣さんがはははと声をあげて笑った。
「可愛いよなあ、お前って」
うわ。また言われた。
「じゃあ、そろそろ帰るか?夕飯は屋敷で食べるんだろ?」
「はい」
「リクエストあれば、今、電話でコック長に言っておくぞ」
「じゃあ、飲茶!」
「ははは。お前ってわかりやすいよなあ。今、目がきらきらしたぞ」
また一臣さんは笑って、携帯をポケットから取り出した。そして、コック長に電話をし、
「今夜は弥生が飲茶にしてくれっていうから、頼んだぞ」
と一言言い、さっさと電話を切ってしまった。
「じゃあ、帰るとするか」
そう言うと一臣さんは、今度は等々力さんに連絡を入れた。それから私をひきつれ、ビルの正面玄関にむかって歩き出した。すると、後ろから、
「弥生?」
と声をかけられた。
この声?私はあわてて振り返った。あ、やっぱり!
「卯月お兄様」
「やっぱり弥生だ。あ、一臣氏とデート?」
卯月お兄様の隣には、フィアンセの雅子さんがいた。
「卯月お兄様もデート?」
「雅子と新居に置く家具や雑貨を見に来たんだよ」
「こんにちは、弥生さん」
「こんにちは。もうすぐですね、結婚式」
雅子さんは嬉しそうに頬を染めた。兄もその隣で嬉しそうだ。
「ああ、そうだった。雅子は一臣氏に会うのは初めてだよね?紹介する。弥生の婚約者の緒方一臣氏だ」
「はじめまして、わたくし、鵠沼雅子と申します」
雅子さんがそう言うと、一臣さんは丁寧にお辞儀をして、
「緒方一臣です」
と一言だけそう言った。
「結婚式は来週ですね」
一臣さんは兄のほうを向き、また穏やかにそう言うと、兄は微笑みながら、
「いろいろと準備が忙しくてね。一臣君は弥生との結婚はいつだったっけ?」
と聞き返した。
「12月です」
「そうか。じゃあまだ、そんなに準備もしないでもいいのかな。あ、そうか。あのお屋敷に弥生も住むわけだし、新居の準備はしないでもいいのか」
「はい」
一臣さん、本当に口数少ないなあ。如月お兄様と会話をする時なんて、ちょっと睨みを利かしながら挑戦的な態度なのに、卯月お兄様とだと変わるんだ。
「結婚したら、弥生は一臣君と一緒の部屋に住むことになるのかな?それとも…」
「別ですよ。弥生には弥生の部屋があります。僕の隣の部屋なんですが」
「え?じゃあ、寝室も別なんですか?」
雅子さんが、控えめにそう一臣さんに聞いた。
「…はい」
あれれ?もう一緒の部屋で寝ているのに、言わないんだ。
「そうなのか。なんだかそれは寂しいね、弥生」
うわあ。卯月お兄様にそう言われても、なんて答えていいのやら。
「弥生の部屋にも、ベッドもあるし、風呂もあるんですが、弥生は大きな部屋で一人で寝るのが怖いらしく、屋敷に住むようになってから、ずっと僕の部屋で寝ていますけどね」
うわ!やっぱり、ばらした!
「え?」
ほら。卯月お兄様が目を丸くした。
「それは、その、あの」
私はあたふたしながら、言い訳を考えた。でも、出てこない。
「弥生は怖がりですね」
一臣さんはまた、言葉少なにそう言うと私を見た。私を見られても、何をどう言ったらいいのか。
「弥生が怖がり?でも、ずっと一人暮らしもしていたのに」
卯月お兄様が不思議がって私に聞いてきた。
「お屋敷は本当に広くて静かなんです。あんまり静かだから、ちょっと怖くって」
「そうか。でも、一臣君と一緒なら安心なんだね?弥生」
「はい」
うわ。なんだか、恥ずかしいな、こういう話って。
「これから雅子と食事もしていくんだ。弥生と一臣君も一緒にどうかな」
「せっかくの誘いを断って申し訳ないが、屋敷で夕飯を用意してくれているので帰ります。今日は弥生が飲茶をリクエストしたんで」
一臣さんは、丁寧にそう言って断った。
「そうか。残念だが、お屋敷の料理を弥生は気に入っているのかな?」
「はい。とっても美味しいんです」
「そうか…」
「卯月お兄様と雅子さんも、ぜひ今度お屋敷に来てください」
「如月兄さんが泊りに行ったんだってね?」
「はい」
「じゃあ、いつか僕たちもお邪魔させてもらおうか。ね?雅子」
「ええ。じゃあ、弥生さん、またね?」
「はい。結婚式で!」
私が元気にそう答えると、雅子さんは優しく微笑み、卯月お兄様と幸せそうに寄り添いながら歩いて行った。
「へ~~~~」
私がそんな二人の後姿を見ていると、隣で一臣さんが感心しているような声を上げた。
「どうしたんですか?」
「卯月氏の婚約者は、随分としおらしいお嬢様なんだと思って感心して見ていたんだ」
「私とは大違いだって思いながらですか?」
「ああ。なんでわかったんだ?」
もう~~。どうせ、そんなことだろうと思ったよ。
「あれは演技か?それとも、地か?」
「え?」
「雅子さんはいつもあんなに、おしとやかでしおらしいのか?」
「地です。それにとっても優しいんです」
「へ~~~~~!」
なんなんだ。その「へ~」は。
一臣さんは私の背中に腕を回し、エントランスに向かって歩き出した。
「俺には無理だな」
「何がですか?」
「ああいうおしとやかなお嬢様は」
「だから、何が無理なんですか?」
「苦手なんだよ。どう話していいかもわからないし、扱い方がよくわからん」
「苦手?と言いつつ、気になっていたりするんですか?」
そう聞くと、一臣さんは私の顔を覗き込んだ。
「はい?」
「お前、まさか俺があの雅子さんを気に入ったと思ったのか?」
「い、いいえ。でも、なんか気にしている感じだから」
「ほんのちょっとお前と比べていただけだ。たとえば、お前があんなおしとやかな女性だったら、どうしていただろうって」
「え?」
「う~~~~ん」
悩みだしたぞ。たまにこうやって、一臣さんって唸るよね。
「ダメだ。一緒に食事したり、こうやって買い物したり、エッチしているところも想像してみようとしたが、無理だな」
なんだって、そんなことまで想像しようとしているんだ。
「楽しくなさそうだな。やっぱり、お前といるほうが楽しそうだ」
「え?」
「お前だから飽きないし、お前だから俺はこんなに毎日が楽しいんだろうな」
うきゃ~~~。それ、ものすごく嬉しい!
「わ、わ、わ、私もですっ」
「あはは。だから、声がでかいって。それに、目を潤ませるなよ」
一臣さんは嬉しそうに笑って、それから私の顔をまた覗き込んだ。
「そういうところが可愛いし、気に入ってる。やっぱり、俺にはお前なんだよな」
「私もです」
「お前も俺だけか?」
「はい」
「そうか」
一臣さんは満足げな顔をして、腰に回した腕に力を入れ、歩き出した。
ビルを出ると、等々力さんの車はすでに止まっていた。
「待たせたな」
「いいえ」
等々力さんはにこやかな顔をして、後部座席のドアを開け、私と一臣さんが乗り込むと、静かにドアを閉めた。
運転席に乗り込むと、すぐに車を発進させ、
「デートはいかがでしたか?弥生様」
と私に等々力さんが聞いてきた。
「楽しかったです!」
そう喜びながら答えると、
「そうですか」
と等々力さんは優しい声で答え、次に一臣さんに同じ質問をした。
「ん?」
一臣さんはすぐには答えず、ちょっと間をあけてから、
「そんなこと聞いてくるな。今の弥生の反応で察しただろ?」
とそうちょっと照れながら答えた。
「楽しかったんですね」
等々力さんがそうバックミラー越しに、一臣さんを見ながら言った。一臣さんは、バックミラーを見ず、
「今までのはなんだったんだろうな」
と唐突にそんなことを言い出した。
「は?」
「今までのはきっと、デートって言わないんだろうな。単なる付き合いか…、いや、なんだろうな」
「今までのというと、今までの女性とのお付き合いのことですか?」
等々力さんがはっきりと、そう一臣さんに聞いてきた。
「ああ、そうだ。お前だって車を出すこともあったんだから、知っているだろ?その頃の俺は、こんなじゃなかっただろ?」
「そうですね。まったく違いましたね」
え?まったく違った?
「楽しそうには見えなかっただろ?」
「そうですね。正直に申し上げて、楽しそうには見えませんでしたね」
「だよな」
一臣さんはそう呟くと、私の指に指を絡ませた。
「弥生、楽しみだな」
「え?」
「温泉だよ。もうすぐだろ?」
「あ、そうだった!」
「きっとうまいものも食えるぞ」
もう。私をやっぱりただの食いしん坊だと思ってるよね。
「それに、露天風呂もあるし」
「はい」
「……うん。楽しみだな」
そう言った一臣さんは俯きながら、思い切りにやついた。何を楽しみにしているのかは、なんとなく察しがついた。スケベな一臣さんのことだからなあ。
そのあとも一臣さんは、ご機嫌だった。楽しそうに等々力さんに話しかけたり、私にも可愛い笑顔を向けてくれたり、時々私の太ももを撫でたりしていた。
ドキン。太もも、撫でられると胸が疼く。
ああ、私ったら、欲求不満なんじゃないの?まさか。
そうしてお屋敷に着いた。ニコニコ顔のまま一臣さんは車から降り、すぐに私の腰に腕を回し、べったりとくっついたまま、屋敷に入った。
国分寺さんと喜多見さんがすぐに玄関に現れ、そのあとに亜美ちゃんとトモちゃんも元気に走ってやってきた。
「おかえりなさいませ!」
亜美ちゃんはニコニコしながら、
「デート、楽しかったですか?」
と私に聞いてきた。私は思い切り、「はい」と頷いた。
「よかったですね」
「どちらに行っていたんですか?」
トモちゃんが目を輝かせながら私に聞いてきた。私は半分宙に浮くような気持ちになりながら、
「えっと、まずはティファニーで」
と説明をしようとした。
でも、一臣さんに喜多見さんがまじめな顔をして、
「お客様が応接間にお見えですよ、おぼっちゃま」
と言っているのが聞こえてきて、浮いていた足がようやく地に着いたように感じた。
「客?誰だ?」
「田端様と、竹橋様です」
「竹橋?」
一臣さんは首をひねり、
「田端は祐さんだよな」
と呟くと、私の腰に手を回したまま、応接間に歩き出した。
私も連れて行くの?祐さんがなんで、お屋敷まで来たのかな。それに、竹橋さんって誰なのかな。一臣さんも知らない人?
「おぼっちゃまと弥生様のお茶もお持ちしましょうか?」
応接間に入る前に、喜多見さんが聞いてきた。
「そうだな。頼む」
「はい」
喜多見さんはそのまま、ダイニングに向かった。応接間のドアは国分寺さんが開けてくれて、
「お待たせしました」
と中にいる人に深くお辞儀をした。
一臣さんは私をひきつれ、応接間の中に入った。すると、ソファに座っていた祐さんが立ち上がり、その隣に座っていた女性も立ち上がった。
竹橋さんって女の人だったんだ。それも、すっごく綺麗な。今まで会った誰よりも美人で、背も高くスレンダーだ。そして見事な黒髪だ。
もしかして、この人がユリカさん?
「ユリカ?」
隣で一臣さんがぼそっと言った。
ああ、やっぱり!
「一臣、久しぶりね」
ユリカさんはそう言って、懐かしそうに一臣さんを見た。一臣さんはなぜか、私の腰に回していた腕を離して、すたすたとユリカさんの前まで黙ったまま、歩き出した。
私は?どうしたらいいの?それに、ユリカさんがやってきちゃったよ。どうしよう。
一臣さんの顔を見た。目を細め、ユリカさんを見ている。ユリカさんは、とっても懐かしそうに、嬉しそうに一臣さんを見ている。そして、祐さんは二人を交互に見た後、私のほうに目を向けた。
「ユリカ。一臣君と二人で話がしたいでしょ?私、弥生ちゃんと席を外しているわ」
祐さんはそう言うと、私のところにきて、
「外、出ていましょう」
と小声でささやき、私の腕を引っ張った。
一臣さん!私は一臣さんを振り返って見た。一臣さんは私のほうを見ることもなく、ずっとユリカさんを見ている。
なんで?私、ここにいたらダメなの?二人きりで話がしたいの?
どうして、ユリカさん、一臣さんに会いに来たりしたの?
一気に不安が押し寄せた。でも、祐さんに引っ張られ、私は応接間から出ていくしかなかった。
バタン。応接間のドアを祐さんが閉めると、
「私たちはダイニングにでも行って、お茶しましょうか?」
と私に言い、また私の腕を掴み、どんどんと歩き出した。
「あら。弥生様?」
そこに喜多見さんがお茶を二つお盆に乗せ、やってきた。
「あ、弥生ちゃんと私はダイニングでお茶をするから。そっちに運んでくれる?」
「はい…」
喜多見さんは怪訝そうな顔をして、一回相槌を打ったが、
「弥生様、よろしいんですか?」
と私に聞いてきた。
「よろしいもなにも、今、ユリカと一臣君が二人きりで話をしているの。そこに邪魔しちゃ悪いじゃない?ね?弥生ちゃん」
「……」
なんで?祐さん。なんで二人の邪魔したら悪いの?私がお邪魔虫なの?
そんな思いがどっと沸いてきた。でも、何も言えなかった。喜多見さんも何も言わず、そのまま応接間の中に入って行った。
祐さん、どういうつもりなのかな。それに、ユリカさんもなんの用事があったのかな。それに、一臣さんも、私のことなんか、忘れているかのようにユリカさんだけを見ていた。どうして?
一気に不安はうずまき、さっきまでの幸せな気持ちはどこかに消えて行った。