~その14~ 優しい瞳
またエスカレーターで上の階に行った。そして、一臣さんは一つの店を目指して歩き、メンズものの店に入って行った。
「緒方様、いらっしゃいませ」
また名前で言われた。この店も一臣さんがひいきにしている店なんだな、きっと。
「夏の服を買いに来たんだ。シャツとパンツを用意してくれるか」
そう言っただけで、店員さんは何点か用意してきた。
「ご試着されてみますか?」
「ああ」
一臣さんは私をその場に残し、奥の試着室に入って行った。
私は店員さんと二人になった。なんだか、気まずい。話しかけてみようかなあ。
「あの…、一臣さんはよくこのお店に来るんですか?」
「はい。昨年からよくいらっしゃいます」
「昨年?」
なんだ。意外と最近なんだな。
「会社に勤められてからですね」
「あ、そうなんですか」
なるほど。そういえば、大学生の時の一臣さん、もうちょっと砕けた感じの服着ていたよね。でも、ジーンズってあまり見なかったな。モノトーンで決めていた時もあったし、夏場はさわやかな感じの色のものも着ていた。
その頃から一臣さんはおしゃれだなあって思っていたんだ。
「一臣さんって、服のセンスいいですよね」
私はその店員さんに言ってみた。
「はい。こだわりがあるようですね」
そうなんだ。
「緒方様、おひとりで買い物に来られることが多いので、今日は珍しいですね」
「え?」
「お連れの方が来ることはあまりないんですが」
あれ?よく女性の人と買い物に来ているんじゃないの?
「弥生」
その時、試着室から一臣さんが私を呼んだ。
「はい?」
「どうだ?このシャツと、こっちのシャツ、このパンツにどっちが似合っていると思う?」
「え?」
一臣さんは着ているシャツのほかに、手にしたシャツを自分の体に合わせながら聞いてきた。
私に聞いてきちゃうの?わかんないよ、私。でも…。
「どっちも似合います。だけど、今着ているシャツのほうが、より麗しさが増すような気が…」
「…その表現、怖いからやめろよな。似合っていると普通に言えばいいからな」
うわ。怖いって言われちゃった。
「くす」
わあ。後ろにいた店員さんにも笑われちゃった。
「わかった。こっちのシャツにする。パンツはこれでいい。あと、このパンツに合う薄手のジャケットはあるか?」
「はい、お待ちください」
店員さんがそう言って、渋めの色のジャケットを持ってきた。何色っていうのかな。ブルーのような、グレイのような…。
それを一臣さんが羽織ると、ますますかっこよさが増した。ぐっと引き締まり大人な感じになる。モデルさんみたいだ。
「わあ」
うっとりとして思わず、声が漏れてしまった。
「弥生、そんなにうっとりとした目で見るな。怖いからな」
また言われた。
「くすくす」
そのうえ、店員さんにまた笑われた。
「可愛らしい方ですね。もしかして、婚約者の方ですか?」
「ああ、そうだ」
「上条グループのご令嬢の?」
「何で知っているんだ?」
え?知ってた?私のこと。
思わず私も店員さんの顔を直視してしまった。
「この前、上条如月様が買い物にいらっしゃったんです」
「如月氏もここによく来るのか?」
「ええ、たまにですが」
「如月氏と服がかぶることもあるのか?その時、どんな服を買っていった?」
「夏物の綿のニットですよ。緒方様とは服の趣味がまったく違っていますから、かぶることはないと思いますよ」
「そうか。だったらいいが。って、如月氏が俺のことを何か言っていたのか?」
「はい。妹さんが婚約したと」
「それで、俺のことはなんて言っていたんだ?」
「妹さんがとても惚れ込んでいる男だと、おっしゃっていましたよ?」
ひょえ~~~!!!なんて恥ずかしいことを如月お兄様は言ってるんだ!
「それだけか?」
「緒方様も、大事に思っているようだから安心したと」
「そんな話をしていったのか?」
一臣さんは眉間にしわを寄せた。
「はい。如月様は、たいへん妹思いの方で、よく昔から妹さんの話をしていたんです」
「わ、私の話を?それって、どんな?」
「大学生の頃は、バイト三昧で体を壊していないか心配だとか。変な男がくっついていないか心配だとか。僕にも妹がいるので、けっこうそんな話で盛り上がりました。僕の妹は田舎にいるんですが、なかなか会えないといろいろと心配になってくるものなんですよね」
「……そんな話を」
「それで、婚約して、その相手が俺で、もっと不安になったとか言っていなかったか?」
「まあ、数か月前に来た時にはそんなことも…」
「やっぱりな」
「ですが、この前来店した時には、安心したとおっしゃっていましたよ」
「そうか」
一臣さんは、そう呟いてからジャケットを脱いで、
「これも買っていくぞ」
と言うと、試着室のドアを閉めた。
「ありがとうございます」
ドアの前でそう店員さんは答えると、ジャケットを丁寧に畳みながらカウンターに向かって歩き出した。
「そうですか。上条弥生様ですか」
カウンターでジャケットを袋に入れながら、店員さんは呟いた。
「はい」
私も店員さんと一緒に、カウンターの前まで移動した。
「如月様がおっしゃっていた通りですね」
「兄はなんて?」
「とても純粋で、人を疑うこともしない天真爛漫な性格だと。だから心配なんだと」
天真爛漫?なんか、人をあほ扱いしているような気がしなくもないんだけど。
「それに、一途に緒方様を思い続けているともおっしゃっていました。本当にそうなんだなと先ほどから見ていてわかったので、ほほえましくてつい…」
くすっとまた店員さんは笑った。
かあ。私の顔は熱くなった。
「緒方様も特別に思われているんですね。自分の買い物にも連れてこられたり、服を選ばせるなんて今までにありませんでしたよ」
「そうなんですか?」
「はい」
そんな会話をしていると、一臣さんがカウンターにやってきた。
「いつもありがとうございます」
店員さんは丁寧にそう言うと、一臣さんからシャツとパンツを受け取り、それも綺麗に畳みだした。
「会計を先に頼む。悪いな。昼に予約を入れているんだ。服はあとで取りに来させるから」
「はい、かしこまりました」
また、一臣さんはブラックカードを取り出した。お財布は黒のレザー。長財布の中には、万札が数枚入っているだけで、どうやら小銭も入っていないようだし、カードも1~2枚入っているだけだ。
きっと、買い物はほとんど1枚のカードで済ませ、お金を出して買い物をすることもないんだろうな。移動はいつも等々力さんが運転する車だし、使う場所もないのかもしれない。
そういえば、自販機の前でも万札出していたし。お金での買い物の経験もほとんどなかったりして。
やっぱり、私とまったく違う生活や生き方をしてきたんだろうな、この人は。
いや。私があまりにも庶民的すぎる?
その店を出て、今度は一臣さんとエレベーターに乗り込み、1階に降りた。
スパニッシュのお店は、可愛らしいお店だった。窓からはお日様の光が差し込み明るい店内。テーブルには白のテーブルクロスがかかってあって、店員さんはまた、
「緒方様、お待ちしていました」
と言って、私たちをお店の奥へと案内してくれた。
ここでも、顔、知られているんだなあ。
そして、ランチのセットを頼み、前菜から運ばれてきた。
それから、スープとメインのパエリア。
「美味しそう!」
テーブルに運ばれてきたのを見て、思わずそう口からこぼれていた。
店員さんはにっこりと微笑み、そして去って行った。ああ、私のでかい声、聞こえていたよね。店内にも響いていたかも。
食べてみると、とっても美味しかった。
「美味しいものを食べている時って、幸せですよね」
そう満足しながら一臣さんに言うと、
「ああ、顔に出ているぞ。幸せの絶頂って顔しながら食べるよな、お前って」
と言われてしまった。
「だって、本当に幸せだから」
「一人でいてもか?」
「え?」
「他の奴と食っていてもか?それとも、俺とだからか?」
「そりゃ、一臣さんと一緒だから、美味しさも幸せも倍増ですっ」
「声でかいぞ。恥ずかしい奴だな」
「すみません」
「ふん。でも、俺もお前と一緒だと、何を食っていてもうまく感じるから不思議だよな」
「…」
その言葉、とっても嬉しいかも。
ああ。今、すっごく幸せかも。目の前には麗しい一臣さん。たまに嫌味を言ったり、意地悪なことを言ったりもするけど、でも、ずっと優しい目をしている。
それから、私たちはぐるっとビルの中を歩いた。一臣さんはずっと背中に優しく腕を回して歩き、私が立ち止って見ている雑貨や、小物に一臣さんも興味を示したりした。
思い切り、恋人気分だ。デートなんて初めてだけど、すっごく幸せだ。足がさっきから浮いているみたいになっている。
「3時だな。どこかでお茶でもするか?弥生」
「はい」
嬉しい。
「あ、外にもテーブルがある。気持ちよさそうですね」
「ああ。テイクアウトにしてもらって、あそこのテーブルでお茶するか」
「はい」
一臣さんとカフェでコーヒーを買い、外に出た。外はちょっと蒸し暑かったけど、気持ちのいい風も吹いていた。
テーブル席に着き、二人でのんびりとコーヒーを飲んだ。
「気持ちいいな」
「はい」
「こんなにゆっくりとしたのも、久しぶりだな」
「そうなんですか?」
「買い物に来てもたいてい、用事が済むとすぐに帰っていたしな」
「デートでも?」
「デートだと特にだ。女の買い物にあれこれ付き合わされるのも面倒だし、服買って、飯食って、さっさとホテル行って済ませて帰ってた」
「ホテル?」
「ああ、いや…。昔の話だからな?もう、そういうことはしないぞ」
一臣さんはちょっと慌てたようにそう言った。
「…すみません。たいして買うものもなかったのに、私、ぶらぶらと歩いちゃって、付き合わせちゃって」
「買いたいもの、あったのか?」
「いいえ。見ているだけで楽しかったから」
「そうだな」
「……つまらなくありませんでしたか?」
「いや、まったく」
「本当に?」
「お前は?」
「楽しかったです。今も、すっごく幸せです!」
「だから、声がでかいんだって。恥ずかしい奴だな」
「すみません」
「俺も、楽しかったし、今も幸せだぞ」
「本当に?」
「……そう見えなかったか?」
「いいえ。楽しそうでした。ずっと笑顔だったし、優しい表情だったし」
「だろ?」
今もだ。今もすごく優しい目で私を見ている。
とろん。その目に見惚れてしまった。そしてしばらくの間、見つめ合ってしまった。
「今度は、どこにデートに行きたいか?弥生」
「避暑地。あのワンピースを着て」
「それは夏休みだな」
「え?夏休みあるんですか?一臣さんって」
「ない。去年は休みなく働いた。でも、今年は何が何でも取ってやる。お前と旅行にも行きたいしな」
わあい!嬉しい!避暑地に行けるんだ!
「ははは。お前、顔に全部出てる」
「え?」
「思い切りにやけたぞ?今」
「すみません…」
「ママ、パパ、見て!」
子供の無邪気な声が聞こえた。3歳くらいの男の子だ。階段からジャンプをしようとしている。
「こら、危ないぞ」
その子のお父さんが駆け寄り、その子のことを抱っこした。そして、抱っこしたまま、くるくるっと回ると、その子はきゃはははと大きな声で笑った。それを見ながら、お母さんも笑っている。
「可愛いですね」
「ああ」
「いいなあ。ああいう家族…」
私は昔を思い出していた。まだ、母が生きていた頃…。
「俺は子供が苦手で、前はああいうのを見ても、うるさいとしか感じなかった」
「え?」
「でも、お前といると、不思議と穏やかな気持ちでいられるし、ああいう子供を見ても素直に可愛いと思える」
「……」
「お前と結婚して、子供ができて、3人でこういうところに来て、あんなふうに楽しげに過ごしているかもしれないんだよな」
「……はい」
「いや…。そうなっていたいな」
「え?」
「そういう家族になりたいよな。仲が良くて、笑いがたえなくて…。俺は親父とおふくろと一緒に、どこかに行ったことなんかほとんどなかったからな」
「じゃあ、ぜひ!いろんなところに行きましょうね。旅行にも、避暑地にも、温泉にも、買い物にも。それから海、山、えっと~~」
「肝試しに、キャンプか?」
「はいっ」
「ははは。張り切ってるな、お前」
「だって、楽しそうだし」
「そうだな。行こうな?」
「はいっ」
一臣さんはまた優しく微笑んだ。ああ、やっぱり麗しい。
残ったコーヒーを一臣さんは飲んだ。足を組み、紙コップのコーヒーを飲む姿がこんなに絵になるなんて、きっと一臣さんくらいだよ。
ここがパリかなんかに思えてきた。映画の中のワンシーンのようにすら思えてきた。
うっとり。
「……」
一臣さんは私を見た。あ、また私、見惚れてた。怖いって言われちゃうかな。と思いながらも目が離せず、うっとりと見つめていると、一臣さんにじいっと見られてしまった。
うわあ。また見つめ合っているかも。それも、無言で。
すると、一臣さんは手にしていた紙コップから手を離し、私のおでこをつんと指でつっついた。
「?」
「どっからどう見たって、今の俺らは仲のいい恋人に見えるだろうな」
「え?」
ドキ!
そう言って一臣さんは、じっと私を見ている。ほほ杖をついて、優しい目で。
「風、気持ちいいな」
「はい」
「もう少し、のんびりしていくか?」
「はい」
会話はあまりしなかった。でも、見つめ合っているだけで、とっても幸せだった。