~その5~ 応援するからね
一臣さんとお寿司屋さんを出て、会社までぶらぶらと歩いた。会社までは10分近くある。
一臣さんはずっと、私の背中に腕を回していた。はたから見たらきっと、ベタベタしているカップルかもしれない。
「あ、ほら。あの人だよ。上条グループのご令嬢」
「ええ?一臣様と最近噂があった秘書課の人って、フィアンセだったの?」
ビルに入ろうとすると後ろからそういう声が聞こえてきた。
ビルに入ってからも、みんなが私たちを注目して見ている。
「え?うそ。フィアンセなの?」
「嫌がっていたんじゃないの?フィアンセのこと」
「噂があったあの子が、実はフィアンセ?」
「なんか、出来過ぎてない?」
出来過ぎって?どういうことかな。
ああ、周りの声が気になる。
でも、一臣さんはまったく気にも留めていない様子だ。堂々と私の背中に腕を回したままエレベーターホールに行くと、エレベーターの真ん前に仁王立ちした。
やっぱり、私たちの周りには変な空間ができている。そして、エレベーターに乗りこむと、一臣さんのことを避け、周りに隙間が空いた。
エレベーターの中は静まり返り、降りていく人はちらっと私を見ながらエレベーターを降りて行った。
そして14階に着き、
「弥生、今日も午後は副社長と出るから、午後は秘書課の仕事の手伝いをしろ」
と言われ、私だけ14階で降ろされた。
ああ。寂しいような、切ないような。
「はい」
すごすごとエレベーターから降りようとすると、グイッと腕を一臣さんに引っ張られた。
あれ?
そして、一臣さんはカードキーを差しこみ、15階を押すとエレベーターのドアを閉めた。
「あ、あの?」
わ!いきなりキス!唇ふさがれた。
うわ~~~!それも熱いキスをしてきた!
ガク…。足、立っていられないくらいだ。どうしよう。
チン!
15階に着いた。と同時に一臣さんは唇を離した。
「口紅は?」
「あ、あります」
「じゃあ、化粧室に行って口紅塗ってから、秘書課に行けよ。な?」
「はひ…」
「腰抜かしたのか?」
「はひ」
「しょうがないなあ」
一臣さんは、ずっと私の腰に腕を回していたから、へなへなと座ることはなかったけど、このまま一人にされたら、エレベーターの中でしゃがみこんじゃいそう。
「一度、俺のオフィスに来い。そこで化粧直しでもしろよ。そのうち、腰抜かしたのもなおるだろ?」
「はい」
「まったく。いつになったら、腰抜かさなくなるんだよ」
「だって、あまりにも、あの…」
「気持ち良すぎてか?」
「は、はい」
エレベーターを降りると、一臣さんは私のことを抱えながら歩いた。
そして一臣さんのオフィスに一緒に入った。
受付には樋口さんがいて、私が抱えられるようにして入ってきたので、不思議そうな顔をして私を見た。
「ああ、気にしないでもいい」
それだけ一臣さんは樋口さんに言うと、私を抱えて一臣さんの部屋に入った。
ドスン。ソファに座らされ、一臣さんは、上着を脱いで、
「もう外も暑くなってきたな。夏だな」
と言いながら、ネクタイも緩めソファに座った。
「………」
「口紅塗るんだろ?なんだ?呆けてるけど、どうした?」
「い、いいえ」
「その気になったのか?でも、生理中だろ?今日も無理だろ?」
「違います!ちょっと思い出していただけです」
「キスを?」
「そうじゃなくて。菊名さんの言葉を」
「気にしないでいいぞ。あいつ、かなりお前に失礼だよな」
「でも、きっとそう感じさせる何かが私にあるんですよね」
「単なる嫉妬だろ?あいつ、俺に気があるんだろ?」
「でも、あそこまで言うなんて」
「…自分のことをアピールしているんだろうけど、アピールの仕方が下手だよな」
「……」
「ああいう女は苦手だ」
「そうなんですか?しっかりしているし、自分の意見はちゃんと言えるし、綺麗だし、スタイルもいいし」
「弥生のほうがずっといい女だ。自信持てよ」
「……え?わ、私が?」
「ああ」
うそ。そんなこと言ってくれるとは思ってもみなかった。
「お前、よく見ると可愛いし。あ、そうだ。俺、気が付いたことがあるんだ」
「なんですか?」
「ほら、世間で言う美人は3日で飽きるが、ブスは3日で慣れるっていう言葉、あれ、本当だよな」
それは、私がブスで、3日で慣れたと言いたいんでしょうか。む~~~~。
「あははは。膨れた!その顔も可愛いな」
あ、わざと怒らせた?
「弥生…。口紅塗ってやるから貸せ」
「あ、はい」
一臣さんは私の隣に座って口紅を塗ってくれた。
ドキドキ。いまだにドキドキしちゃうなあ。
一臣さんは口紅を真剣な顔で塗り終えると、
「うそだよ。まじでお前は可愛いからさ。多分、周りの女どもは嫉妬しているだけだ」
と優しくそう言った。
「そうなのかなあ…」
「ただ、弥生の場合、庶民的というか、どこにでもいそうな可愛らしさだからな。みんな、自分でもいけるんじゃないかって勘違いでもするんじゃないのか」
「は?」
「これがたとえば、そうだな。大金麗子とか、鷺沼京子みたいな一見美人なお嬢様なら、一臣様に似合っている、私には太刀打ちできないとか、言われるかもしれないけどな」
グッサリ。それ、絶対に慰めの言葉になっていないと思う。
「だけど、俺が可愛いって思っているんだから、それでいいだろ?」
「…はい。そうですけど。でも、やっぱり、いったい私のどこが可愛いんだかって思っちゃいます」
「どこが?」
「はい」
「具体的に例を挙げろってことか?」
「え?はい」
「そうだなあ…」
悩みだした?もしや、ないとか?
「難しいな」
やっぱり。具体的に挙げるようなところはないんだ。
「たくさんありすぎて、何を言ったらいいんだ」
え?たくさん?ほんと?
「たとえば、顔。おでこも鼻も、目も眉毛も、ほっぺたも唇も可愛いし」
一臣さんは私の顔をまじまじと見ながらそう言った。
「え…」
ドキ。恥ずかしいけど、嬉しいかも。
「胸も可愛いしなあ。乳首ピンク色ですっごく可愛いし」
え~~~~???!!!!胸?!ち、乳首って、またスケベ発言。
「ああ、後頭部も可愛いんだ。頬ずり、ついしたくなる後頭部をしているんだよな」
は~~~~~~~?!!!
なんなのそれ。後頭部撫でてるし。
「それから、むちっとした太ももとか、あんまりない足首とか。感じやすい脇腹とか、おへそも可愛いよな」
「も、もういいです」
今度は太もも撫でているし!
変態発言ばっかりだ。エロエロじゃないか。もう~~~~。
「それから、やっぱり、あれだな。一途で健気で一生懸命なところとか、俺がいないとへろへろになるところとか」
え?
「あと、キスくらいで腰抜かすところとか、すぐに赤くなるところとか」
そういうの、可愛いって思っててくれたんだ。
「寝顔とか、起きたばかりのブス顏とか」
ぶ、ブス?
「よくビービ―泣いちゃうところとか。うまそうに飯食うところとか…。まだ、他にも聞きたいか?」
「いえ。もうけっこうです。十分です」
嬉しいところもあったけど、やっぱり微妙。
「………あれ?可愛くないところを挙げろって言われても、ないかもな」
「は?」
「なんか、全部がお前って可愛いんだよな」
「い、いいです。もう本当にいいです。顏から火が出そうなくらい恥ずかしくなってきたからいいです」
「だから、そういうところも可愛いんだよ」
チュ。一臣さんは私のほっぺたにキスをした。
「ほら、もう14階に行け。俺もそろそろ出る時間だ」
「は、はい」
顔を真っ赤にさせながら、私はエレベーターに乗った。
もう!一臣さんってなんだってああいうことを平気で言えるんだろう。恥ずかしい。
だけど、もし、一臣さんに、俺のどこがかっこいいと思う?って聞かれたら、やっぱり全部って言っちゃうかもしれないな。一つ一つ言っていったら、キリがない。
胸がいっぱいになりながら、秘書課の部屋に入った。部屋には細川女史と、大塚さんがいた。
「あ、上条さん」
「大塚さん、また手伝いに来てくれたんですか?」
「うん。また仕事がたくさんたまっちゃってるからって」
「いつも悪いわね、大塚さん。また秘書課に戻ってくる?」
細川女史がそう言うと、
「え?いいんですか?戻りたい気持ちでいっぱいですけど、でも、一臣様が許してくれないですよね」
と、大塚さんは、作り笑いをしながら答えた。
「どうかしらね。ねえ、上条さん、どう思う?」
「きっと、戻って来れると思います。大塚さんのこと、一臣さんはそんなに悪く思っていないし」
「本当?自分のフィアンセにいっぱい嫌がらせしたのに、怒っていないわけないと思うんだけど」
「………でも」
秘書課から庶務課に移動になったのはきっと、大塚さんのことを調べるためだったと思うし。特に何も裏があるわけじゃなかったってわかったみたいだから、秘書課に戻れるんじゃないのかな。
「大塚さんは秘書課に戻りたい?」
細川女史が聞いた。
「はい。庶務課も面白いことは面白いんですけど、だけど仕事がなくて、なくて」
「わかるけどね。今までいた部署だから」
「秘書課って、大変って言えば大変でしたけど、楽しかったですし、やりがいもありました」
「そう…。わかったわ。樋口さんにも相談してみます」
「はい、お願いします。細川さん」
大塚さんはそう言うと、仕事に戻った。
あれ?特に私が一臣さんのフィアンセだったからって、態度も変わることもなく、今までどおりかも。
確かに事務仕事はたくさんあった。でも、大塚さんと私とで5時にはすべてを終わらせてしまった。
「やっぱり、早いわね」
細川女史はそう言って、喜んでくれた。
「来週から秘書課に新人が入ってくるのよ」
「そうなんですか?じゃあ、私、戻ってきてもデスクもないかもしれないですね」
細川女史の言葉に、大塚さんががっかりしている。
「いいえ。一人まだ決まっていないから、デスクは一つ空いているのよ」
「え?じゃあ、ぜひ、私、戻って来たいです」
「そうね。でも、新人いびりをもうしないって約束してくれたらね。もう辞められても困るしね」
「あ、はい…。でも、多少厳しく接しないと」
「それは私が引き受けるから大丈夫。教育はしっかりとするつもり」
細川女史はそう言って、にっこりと笑った。
そうか。来週からこの前面接して、秘書課に移動になる人たちが来るんだな。あ、私のキャラに似ているっていう人も来るのか。
似てるかなあ。一臣さんも似ていないって言っていたけど、私も似ていないと思うなあ。
「では、もう事務仕事も片付いたし、大塚さん、庶務課に戻っても大丈夫よ。上条さんもそろそろ一臣様が帰ってくる頃だから15階で待っていたら?」
「はい、わかりました。お疲れ様でした」
私と大塚さんは、細川女史に挨拶をして部屋を出た。
「ねえ、弥生。あ、一臣様のフィアンセを呼び捨ては駄目かな」
「いいですよ。プライベートだったらいいって一臣さんも言っていました」
「そう。じゃあ、会社では上条さんって呼ぶわ。ところで上条さん、あなた、変わってるなって思っていたら、上条グループのお嬢様だったのね。上条グループって、一風変わった方針があるって聞いたけど」
「はい」
「だから、他のお嬢様とは違うのね。こう、庶民的っていうか、普通っていうか」
「はあ。そうですね」
「大塚家は、贅沢三昧して屋敷やらマンションやらを手放したの。おかげで、贅沢な暮らしから一変して、今は貧乏暮らし」
唐突に大塚さんは、身の上話をし始めた。
「貧乏はないんじゃないですか?」
「まあね。私はここでのお給料で一人暮らしもしているし。贅沢とまではいかなくても、まあ、普通のOLの暮らしはしているわ」
「そうなんですか。あ、だから、居酒屋行ったり、焼き鳥屋行ったり」
「そうそう。大学時代にもよく行ったの。あの頃はもうすでにうちの経済状態が悪かったから、お屋敷も売っちゃった後だし。まあ、私はそんなに大変って感じなかったけど、贅沢三昧して遊んで暮らしていた姉たちは、一気に変わった生活に慣れなくて、大変だったみたいね」
「……そうなんですか」
「I物産に姉たちは就職したんだけど、肩身の狭い思いもしたり、社員からも非難の目で見られたりしたみたい。ブランドもののバッグを持っているだけで、陰でいろいろ言われたり」
わあ、大変なんだ。
「だから私は、I物産とはあんまり関係ない緒方商事に入社したわけ。ここなら、私のことを知っている人も少ないしね」
あ、そういうことか。裏があるわけでもなんでもなかったんだな。
「私は一臣様のフィアンセがあなたで良かったって思ってるのよね」
「え?」
また話が飛んだ。大塚さんってけっこう、マイペースと言うか、話が唐突に変わりやすいのかな。
私たちは、なんとなくエレベーターホールの前の椅子に腰かけ、話しの続きを始めた。
「どうもね、一臣様がフィアンセとやたらと仲のいいところを社員に見せているけど、きっと裏がある。きっと、わざと仲良く見せているんだ…なんて、そんなことを言っている人もいるようだけど、本当に一臣様と上条さん、仲いいし。一臣様って、ずっと上条さんのことを守ってきたじゃない」
「はい」
「上条さんといる一臣様って、どこか違うんだもの。なんかこう、いつも一臣様にまとっている冷たい空気と言うか、怖いオーラ?そういうのがなくなるのよね」
「私といるとですか?」
「そう。それがまた、ちょっとしゃくって言えばしゃくだったんだけど、でも、上条さんのことは私気に入っちゃったし、いつでも応援するし、味方でいるわよ」
「大塚さん」
なんか、やけにいい人に変身しちゃった。あんなに、嫌な感じだったのに。
「境遇も似てるし。お嬢様なのに庶民派…。でしょ?」
「はい」
「ぜひ、今度飲みに行こうね」
「……お酒は飲みませんけど、行きましょう」
大塚さんは椅子から立ち上がり、
「私は下に行くから。このエレベーターで下りるわ」
と言って、今やってきたエレベーターに乗り込んだ。
私は一人でちょっとだけその場でエレベーターを待った。
応援するって言ってくれると嬉しいな。亜美ちゃんやトモちゃんにも言ってもらったっけ。
大塚さんが何か困っていることがあったら、助けられたらいいなあ。
そんなことを思っていると、エレベーターが来た。乗り込んでカードキーを差しこみ、15階に向かった。
もう一臣さんは部屋にいるのかな。早く会いたいなあ。
2人きりになれるのをわくわく、ドキドキしながら、私は15階に行った。