~その2~ ストイックな一臣さん
お屋敷に帰り、一臣さんと夕飯を食べた。夕飯は和食。きっとコック長が私のために和食にしてくれたんだろう。とても上品な味付けの煮物、お吸い物、それに炊き込みご飯。サラダ、漬物、お魚の煮つけ、家庭的なものなんだけど、上品な味付けだった。
私じゃこうはいかない。もっと、味付けが濃くなってしまうなあ、きっと。
「弥生、良かったな。弥生の好きなものばかりじゃないのか?」
「はい。和食好きです」
一臣さんは私の目の前で、私が食べているところをじっと見ていた。
「うまいか?」
「はい」
「弥生はうまそうに食うからいいよな。見てて嬉しくなる」
「そうですか?」
「ああ」
そうなんだ。そう言ってもらえるのも嬉しいな。
食べ終わり、コック長が現れて、
「美味しかったです」
と言うと、とても喜んでくれた。
「弥生、部屋に戻るぞ」
「はい」
お茶をすすっている途中でそう言われ、私はそそくさと席を立ち、一臣さんの後に続いてダイニングを出た。
亜美ちゃん、トモちゃん、そして日野さん、今日はにこにこしながら私と一臣さんを見ていたなあ。そんなに微笑ましく見えちゃったかしら。
2人での食事。かなり嬉しかったし、お腹痛いけど、それも忘れるくらいだった。
メイドさんたちも国分寺さんも、私たちに気を使ってくれて、最近は真後ろに立たず、ほんのちょっと離れたところから見守っている感じだし。
だから、ちょっと、2人で夕飯を食べている気分を味わえちゃう。目の前に一臣さんがいて、目が合うと時々優しく微笑んでくれる。それだけで、幸せだった。
一臣さんはダイニングを出ると、私の背中に腕を回し、
「お腹痛くないのか?」
と小声で聞いてきた。
「そんなに痛くないです」
もしかして、心配してくれてた?
「早く風呂に入ってあったまって、ゆっくりしろ」
「はい」
やっぱり、優しい。
一臣さんの部屋に二人で入り、先にお風呂に入った。いろんなところを血で汚さないよう気をつけながら入って、バスタブであったまり、また気をつけながら出てきた。
私がお風呂から出ると、一臣さんがそのあとにすぐに入った。その間に私は、髪を乾かした。
あったまって、ずいぶんと痛みも消えたけど、また徐々に痛みだした。
「1日目って、やっぱり痛い。腰まで痛くなってきちゃう」
お腹をさすって、そのあと腰もさすった。すると、
「痛むのか?」
と知らぬ間にバスルームから出てきた一臣さんが聞いてきた。
「あ、ちょっとだけ」
「ベッドで休んでいていいぞ」
「はい」
髪は乾いたので、ドライヤーは一臣さんに渡して、私はベッドに横になった。
「ふう」
あ、思わずため息が漏れちゃった。
「なんだよ。けっこう辛いんじゃないか。無理するなよ」
「はい」
無理をしているつもりはなかった。いつも、こんなだし。一人暮らしをずっとしてきたから、一人で耐えていることがほとんどだし。
でも、高校時代は寮の友達が心配してくれたり、大学時代は大家さんが、お腹を冷やしちゃいけないと毛糸のパンツを編んでくれたり、毛布を貸してくれたりしたっけなあ。
一臣さんは、ドライヤーで思い切り髪を乾かし、手櫛でさささっと髪を整えると、私の横に寝っころがってきた。そして、私のほうを見て優しく、
「どこが痛い?お腹のどのへんだ?」
と聞いてきた。
「え、このへんが…」
私が手で痛い箇所をおさえると、私の手をどけて、その部分を優しく撫でてくれた。
わ~~~~~。一臣さんの手、あったかいし優しい。
「眠くなったら寝てもいいぞ」
「は、はい」
もうすでに、優しい手にとろんって溶けそう。それに一臣さん、優しい目で私を見つめてて、それだけでも、とろけそうだ。
痛みがどんどん和らいでいく。すごいなあ。一臣さんの手って。
「私が精神安定剤なら、一臣さんは鎮痛剤ですね」
「痛いの消えたのか?」
「はい」
「そうか。でも、もう少しさすっててやるから寝ていいぞ」
「……はい」
うっとり。
幸せすぎちゃう。いいのかな、こんなに幸せで。
「ランのことも、こうやって撫でてやったなあ。思い出すなあ」
う、う~~~ん。ちょっとだけ、うっとり感が減ったかも。私はペットと同じなわけね。
「ランは、俺の家族だった。大事な存在だったよな」
ぽつりと一臣さんがそう言って、私は申し訳なくなった。
そうか。一臣さんにはペットと言うより、家族だったんだ。それもいつでもそばにいてくれる、とっても大事な存在。
「私は、病気にはなりません。元気だし、健康だけが取り柄だから」
「ん?ああ、ランのことか」
「はい。一臣さんを一人になんてしませんから」
そう言うと、一臣さんは目を細め、チュッと私にキスをした。
「おやすみ、弥生」
「はい…。おやすみなさい」
目を閉じた。一臣さんはまだ、私のお腹をさすってくれている。
私も、一臣さんが辛い時にはずっとそばにいて、ずっと守って支えて、ずっと力になっていたい。
一臣さんの優しい手の感触を感じながら、そんなことを思った。そして、いつの間にか深い眠りに入っていた。
なんで一臣さんの隣は、あったかくって安心するのかな。
一臣さんの部屋も、このベッドも、とっても安心する。
翌朝、ぐっすりと眠れた私は、目覚ましのなる前にすっきりと目が覚めた。
チュンチュンと、雀のさえずりが聞こえてきて、隣ではスースーという一臣さんの寝息が聞こえて来ていた。
また、私に抱きついて寝てる。腕が重いけど、でも嬉しい。
寝顔は可愛い。だけど、麗しい。麗しいのに可愛いってすごいなあ。
しばらく一臣さんの寝顔を見ていた。すると突然、ぱっちりと目を開けた。
「あ…」
「おはようございます」
一臣さんは、眠そうな目で私をしばらく見つめると、
「ああ、おはよう、弥生」
とようやく意識がはっきりとしたようだった。
「ふわ~~~~。よく寝た。今、何時だ?」
サイドボードに手を伸ばし、時計を取って一臣さんは時間を見た。
「6時か…。ずいぶんと早くに目が覚めたな」
「ですよね。まだ、寝ていてもいいですよ?私、起こします」
「いや。もう起きる。昨日11時前に暇過ぎて寝ちまったし。ばっちり寝れたからな」
「暇過ぎて?」
「ああ。お前とエッチしていないと、することもないし」
何それ。
「でも、仕事とか」
「最近は家にまで持ち帰っていない。お前も、家でまで俺が仕事していたら嫌だろ?エッチもできないし」
なんか、全部エッチができるかどうかが基準になっていない?!
「でも、えっと。テレビとか」
「ヘッドホンで見ても良かったんだが、そこまでして見る気もしなかったしな」
「ごめんなさい。音、気を使ってくれたんですね。でも、多少の音がしていても、私、グースカ寝れるから平気なんです」
「ははは。さすがだな。じゃあ、今度お前が早くに寝た時には、音を下げて見ることにするよ」
「はい」
「……。まあ、お前の寝顔、しっかりと見れたからいいけどな」
ドキ。
「へ、変な顔していませんでしたか?」
「していた。よだれたらして、イビキかいて」
「うそ!」
「ははは。嘘だよ。お前、酒飲むとイビキかくけど、普段はかいていないから安心しろ」
お酒飲むと、本当にイビキかくんだ。これからやっぱり、お酒は飲まないようにしよう。
「私もちょっと早くに起きたから、一臣さんの寝顔見てました」
「変な顔していたか?」
「いいえ。可愛くて麗しくって、素敵でした」
「怖いな、それ」
「え?」
うそ。ストーカー発言だった?やっぱり、こういうこと言うと、引くの?
「どれだけ俺に惚れてるんだよ。だいたい、可愛いのに麗しいって変だろ?」
「でも、本当にそうだから、一臣さんってすごいなあって…」
「なんだ?そりゃ…」
ギュ。
あ。抱きしめられた。
「そうか。お前、今、生理か。抱けないんだよな。一瞬襲いたくなったけど我慢だよな…」
そう言うと一臣さんは、私のおでこにキスをして、
「起きるか」
と言って、体を起こした。
シルクのパジャマ。今日は薄い水色なんだ。たまにシルバーの時もある。色は3パターンなのかな。でも、形はどれも同じ。きっとかなりの高級品なんだろうな。
誰が買って来るのかな。自分で?それとも、メイドの人?まさか、樋口さんだったり。
「ん~~~~。最近運動していないから、なまってるな。俺、ちょっと走ってくるから、お前はのんびりしてていいぞ」
「え?どこをですか?」
「屋敷の周りをぐるっとだ」
「道路をですか?」
「まさか。敷地内だけだ。でも、何周もしたら十分の距離だぞ」
なるほど。
「裏にまだ、開いているスペースがあるから、そこにプールかテニスコートでも作るか。そうしたら、家に居ながらにして、いろいろと運動できるしな」
「格技場も作ってほしいです」
「ははは!そうだったな。お前、武道家なんだもんな。わかった。格技場なら、すぐに作れそうだし、親父も喜んで作るかもな」
「総おじさまも武道の訓練したいんですか?」
「いいや。お前が喜ぶなら作ってくれるってことだ。なんだか、自分のオフィスにお前を呼びたくてしょうがないようだぞ。一回、顔を出すとするか。うるさいから」
「オフィスって、15階にある?」
「ああ。親父のオフィスは俺のとは違って、いろんな部屋がある。親父専門の秘書の部屋もあるし、まあ、いろいろとな」
「へ~~。すごいんですね」
「いずれ、俺もあの部屋に行く。そうだ。今はおふくろの部屋は親父の部屋からかなり離れたところにあるから、俺が社長室を使うようになったら、お前の部屋とつながるように作り替えよう。な?そっちのほうがいいだろ?」
「はい。あれ?じゃあ、15階にはお母様の専用のお部屋もあるんですか?」
「ああ。まあ、ほとんどいないけどな」
そうだったんだ。知らなかった。15階って、一臣さんの部屋にしか行ったことないし。
一臣さんはクローゼットを開けると、ランニング用の格好に着替え、
「じゃ、行ってくる」
とそう言って、部屋を出て行ってしまった。
そうか。普段、もっといろいろと運動をしたりして鍛えていたんだな。私がお屋敷に来てからは、ずっと一緒にいてくれて、一人でどこかに行ったりすることもなかったけど、私が来るまでは、お一人でいろんなことをしていたんだろうし。
そうだよなあ。ずっと一緒にいてくれてるんだよなあ。私が寂しくならないようにかな。
「私も生理じゃなかったら、一緒に走ったのに」
あ。そうか。これからは、たまに早起きをして、2人で一緒に走ってもいいのか。
わあい。そういうのもすっごく楽しそう。
一緒にジムに行って、トレーニングもいいな。あと、一臣さんのカンフーをしている姿、見てみたい。
これからも、一臣さんと一緒にいろんなことができるんだな。
ああ、ワクワクする。まずは来週の温泉旅行。きっと、浴衣を着るんだよね。一臣さんの浴衣姿。胸がはだけていて、きっとセクシーなんだろうな。
きゃ~~~。生理ももう終わっているし、やっぱり、2人きりの夜は、優しく愛してくれるのかな。
きゃ~~~~~~~~~!!!ちょっと今、妄想しちゃった!それだけで、心臓バクバクしちゃった。
部屋についている露天風呂に2人で入るんだよね。
きゃ~~~~~、きゃ~~~~~~、きゃ~~~~~~。楽しみすぎる!来週まで待てないくらいだ。
私は、バルコニーに出てみた。もしかして、一臣さんの走っている姿が見れるかもしれないと思って。
でも、どこを見回してもいなかった。
ちょっとがっかり。
それから、また部屋に戻り、自分の部屋で着替えをした。顔も洗って、化粧は後回しにして、部屋を出て一階に行った。
どこかから、走っている姿が見れたらいいのに。
「あれ?弥生様、おはようございます。早いですね」
エントランスにいると、外から喜多見さんがお屋敷に入ってきて私を見つけた。
「喜多見さん、おはようございます。あの、一臣さん、ランニングに行ったと思うんですが」
「はい。走っていますよ」
「どの辺を?」
「一緒に走られるんですか?」
「いいえ。ただ、走っている姿を見たいなって」
「あ、それはやめたほうがいいかもしれないですね。一臣おぼっちゃまはああ見えて、実はストイックな方で。ピアノの練習もけして人に見せないようにしていますし、走っている時も一人きりで走りたいみたいですよ。誰にもその姿は見られなくないようです」
え?
ってことは、一緒に走るなんて、無理ってことかな?
「お部屋でお待ちいただくのがいいと思いますよ。走って帰ってきた一臣おぼっちゃまに、タオルでも手渡してあげたらどうでしょう」
「…はい。わかりました」
ちょっと、ううん、かなりがっかり。走っている姿も見たいし、いつか一緒に走りたかった。
仕方なく、また部屋に戻った。お化粧もして、一臣さんの部屋でひたすらタオルを手にして待っていた。すると、ドアがガチャリと開き、
「あっち~~~~」
と言いながら一臣さんが部屋に入ってきた。
わあ!汗びっしょりだ。
「あ…」
タオルを渡そうとしたが、
「シャワー浴びてくる」
と、一臣さんはすぐにバスルームに入って行ってしまった。
そりゃ、そうだよね。渡すなら正面玄関でじゃない?部屋じゃないよね。
待っているところを間違えたかな。もしや…。
ベッドにドスンと座って、一臣さんが出てくるのを待った。5分後、もう一臣さんはバスルームから出てきた。髪まで洗ったようだけど、ずいぶんと早くに出てきたんだなあ。
「弥生、なんで手にタオル持ってるんだ?」
「あ」
ばれてた。
「これは、その…」
「髪でも拭いてくれるのか?」
そう言って一臣さんは濡れたままの頭を、私のほうに向けた。私は一臣さんの髪を、手にしていたタオルで拭いてみた。
ゴシゴシ…。きゃあ、なんだか、可愛い息子でもできたみたいで嬉しい。
「何周したんですか?」
「3周かな」
「どのくらいのスピードで走るんですか?」
「かなり速いぞ。きっとお前だったら、追いつけないかもな」
「そうなんですね。じゃあ、一緒に走るのは無理ですね」
「ん?」
一臣さんは顔をあげた。
「一緒に走りたかったのか?生理中って運動してもいいものなのか?」
「いえ。あんまり、したくはないです。でも、いつか一緒に走れたらいいな…って思ってました」
「そうか。だけど、俺の走りについてくるのはけっこうきついぞ」
「……そうですか」
がっかりだな。
「悪いな。運動は一人ですることが多いんだ。走るのもそうだし、泳ぐのも、ジムでのトレーニングも」
「ストイックなんですか?」
「そうだな」
「ピアノもですか?」
「ああ。練習の時には誰にも邪魔されたくないからな。ただし、練習じゃなかったらいいぞ。弥生のために弾く時は、弥生だけを呼んで弾いてやるし…。プールもただ遊びに行くだけなら一緒に行くし…。走るのは一人で走りたいが、テニスでもしたいっていうなら、付き合うぞ?」
「テニスできません」
「じゃあ、なんだったらできる?」
「武道…」
「う~~ん。剣道、柔道、合気道をしていたんだっけ?それは無理だ。お前には勝てそうもないし」
「カンフーとか、テコンドーとかですか?できるのは」
「少林寺とかな」
「かっこいい!見てみたい!私もしたい!」
「はいはい。今度な。教えることは無理だ。そういうのは樋口か、他の誰かに教えてもらえ」
「はい。じゃあ、教えてもらうので、いつか手合せお願いします」
「俺とか?!」
「はいっ」
「…変な奴だな。そんなことで目を輝かせて。俺はベッドの上でならいくらでも、寝技かけたりかけられたりしてもいいが」
「言い方がエッチ!そういうこと言わないでください。もうエロ親父みたいですよ」
「………悪かったな」
あ、へそ曲げた?
だけど、喜多見さんが言うように本当に一緒に走るのは無理なんだなあ。
「テニスも習います。できるようになったら、一緒にテニスしてください」
「はいはい。気長に待ってるよ」
「あ!私もこう見えて、運動神経はあるんですっ」
「武道以外にできることがあるのか?」
「あ、あります。きっと頑張ればすぐ、いろんなことできるようになるはずです」
「はいはい」
「一臣さんはテニス、よくされるんですか?」
「最近はしていないな。大学の時はよくしていたけどな」
そういえば、サークルにも入っていたんだよね。見たことがある。私も入りたかったけど、そんな暇もないし、テニスラケットだの、テニスウエアだのを買う余裕すらなかったし。
なんか、もしかして、一緒にする趣味とか、そういうのが合わないのかもしれないってこと?
「さて、着替えてコーヒーでも飲むか。お前は朝飯食ったのか?」
「まだです」
「じゃあ、ダイニングに行けよ。そろそろ用意できているはずだぞ」
「はい。一臣さんも来ますか?」
「俺はいい。のんびりと着替えて、ここでコーヒー飲むから」
「そうですか」
がっかり。もしかしたらこうやって、別行動をする時間も増えていくのかな。ちょっと寂しいかも…。