~その13~ 甘いキス?
14階の応接室に行くと、細川女史が兄にお茶を出してくれていた。
「一臣様と弥生様も、お茶でよろしいですか?」
「いや、いい。あとでおやつと一緒に弥生はお茶を飲むだろうし」
「おやつ?」
細川女史が不思議そうな顔をした。
「3時のおやつだ。弥生のために樋口と親父が買ってきた」
「…まあ」
細川女史は笑いをこらえながら、
「失礼します」
と言って応接室を出て行った。
一臣さんは如月お兄様の前のソファに、どっかりと座った。私もその隣のソファに腰を下ろした。
「パーティの時には、挨拶もできず申し訳ありませんでした」
先に口を開いたのは、一臣さんだった。
「…いや。それより、弥生は社長に可愛がられているんだね」
兄が突然そんなことを言いだした。
「ああ。父は弥生が7歳くらいの時から、弥生のことはとっても気に入っていたようですね」
一臣さんの言い方、挑戦的と言うか、表情もずっと怖い。
でも、兄も負けずと、一臣さんが応接室に入った時から、一臣さんを睨みつけているような気がする。
この2人って、もしや犬猿の仲?
「弥生、社長には時々、お菓子を買ってもらうのかい?」
「え?あ。さっきのおやつのことですか?あれは、大阪に行ったお土産を買ってきてくださったんです」
「ああ。そうなのか。樋口っていうのは、一臣氏の秘書だったっけね?」
「はい」
「彼も弥生のことを、大事に思ってくれているんだね?」
「はい。とても優しい方です」
「そうか。じゃあ、一臣君だけなんだね。弥生のことを大事に思っていないのは」
そう言って、視線を私から一臣さんに向けた兄は、思い切り一臣さんを睨みつけた。
「わかっていますよ。今日いらした目的は。あれですよね?僕の噂を聞いたんですよね?」
「へえ。わかっているってことは、身に覚えがあるってことかい?」
「いえ。そういう変な噂が社内に流れているのを知っているので、如月さんの耳にも入ったのかと思いまして」
一臣さんはそこまでとっても冷静に言ってから、ぎろっと兄を睨んだ。
あわわ。睨み合っている。どうしよう。
「確か前に聞いた時には、スキャンダラスなことは一切しないと言っていたね?一臣君」
「はい、言った通り、一切していませんよ」
一臣さんはそう言い切った。
「へえ。そりゃ驚いた。弥生。お前はこの噂を知らないかもしれないから、あまり耳には入れたくなかった。弥生が傷つくからね。でも、ここまで思い切りしらを切られたんじゃしょうがないな。弥生にもきっぱりと教えて、さっさと君と別れてもらうよ」
「はあ?」
一臣さんは、片眉を思い切りあげた。
やっぱり。別れさせようとしにきたのか。いったい、何回目かなあ。いい加減、別れさせるのを諦めたらいいのに。
「君は、弥生との婚約をするにはしておいて、他の女性と遊ぶつもりなのか。それとも、本当は婚約も嫌がっていて、その腹いせで他の女性と付き合っているのか。どっちなのかは知らないが、弥生のことを大事にしないと言うのなら、結婚も、契約も破棄にしてもらうぞ」
え。契約も?!
「どちらも破棄にはさせませんよ」
一臣さんはまた、冷静な口調でそう言い返した。
「弥生!こいつはなあ、秘書課の新人の女性に手をだし、自分の部屋にまで連れ込んでみたり、ホテルだかどこかで一緒に泊まり、そのまま会社にこいつの車でやってくるようなとんでもないやつなんだぞ」
「え?」
それ…。私だよね。
「それも、社内でもいつもその女を隣にはべらかし、社員の前でも堂々と手を繋いで歩くような、とんでもないバカな男なんだぞ!その女だって、マヌケで遊ばれているのもわからないような、とんでもない女なんだ」
「はははははっ」
一臣さんが、わざとらしい笑い声を発した。
「何がおかしい!」
「いや。ずいぶんと詳しく知っているものだなあと思って感心しましたよ。で、噂では本当にマヌケな女って言っていたんですか?」
「そうだ。見た目もマヌケで、品のない女で」
「酷い…」
グッサリ。みんなにそう見られているんだ。
「酷い?」
兄が私のほうを見て一言言うと、
「ああ、そうだろ?弥生。酷い男だろ?やっぱり、婚約解消してとっととアメリカに来たほうが良かったんだ」
と、酷いと言った意味を取り違えた。
「違います。マヌケで品のない女なんて酷いって言ったんです」
「弥生はその女の肩を持つ気なのか?」
「違います。それ、私なんです」
私は兄にそう必死になって訴えた。
「ははははは!確かに酷いよなあ?マヌケはいいとしても、品のないっていうのは酷いなあ」
もう!なんで大笑いしているの?一臣さんは。
「マヌケも嫌です!酷いです!」
私がそう一臣さんに言うと、一臣さんは片眉をあげ、
「でも、お嬢様には見られていないのは確かだよな」
と嫌みっぽくそう言った。
「え?」
「如月さん。さっきあなたが言っていたのは、全部弥生のことです。ホテルには泊まっていませんが、弥生は屋敷に住んでいるので、朝は一緒の車で出社します。社員は弥生を上条グループの令嬢だと、どうしてもそう思えないようで、やっぱり、弥生がお嬢様に見えないからですかね?」
一臣さんはまた、嫌味っぽくそう言った。
「…部屋に連れ込んだのか?弥生を?」
「僕に付いている秘書ですから、部屋にも来ますよ。何か問題でも?」
「で、では、平気で社内で手を繋いでいたというのは」
「ああ、本当です。弥生と僕はそれだけ、仲がいいですから」
え。
仲がいい…のところを、やけに一臣さんは強調した。すると兄は、顔を引きつらせた。
「わざとらしい。それも全部演技なんじゃないのか?」
「…違いますよ」
一臣さんはちょっと間をあけてから答えた。なんで、開けたんだろう。実は演技だったとか?あ、そうか。わざと私と仲がいいって社員に見せつけていたんだっけ。その頃から。
トントン。その時、ノックの音がして、
「失礼するよ」
と言って、総おじさまが入ってきた。
「親父…。いや、社長。何をしに来たんですか?」
あ。一臣さん、眉間にしわが。総おじさまが来たこと怒ってるんだ。でも、樋口さんに面倒だから、親父に任せるか…なんて言っていたのにな。
「やあ。如月君。先日は一臣の誕生日パーティに来てくれてありがとう」
「あ。こちらこそ、お招きありがとうございました」
兄は突然の総おじさまの訪問に、相当驚いたのか、慌てて立ち上がりぺっこりと45度の角度で丁寧にお辞儀をした。
「まあ、座ってくれ。それで、今日はどんな用があって、如月君は来たのかい?」
「…」
兄は黙って座ると、ちょっとの間をあけ、
「一臣君の噂を耳にはさみまして、それを確認しに…」
と、顔をこわばらせそう言った。
「あははは!あの噂かな?とっても仲のいい女性がいて、社内で手も繋ぐ、いつもどこに行くのにも連れて行く、べったりと仲がいい。そのことかい?」
総おじさまは笑いながらそう言った。
「そ、そうです」
「いや~~。驚きだろう?僕もいろいろと部下から報告を受けて、驚いているよ」
え?総おじさま、何を言いだすの?一臣さんも顔色を変え、
「お…、社長…」
と、総おじさまの話を止めようとしたが、総おじさまは「まあ、まあ」と言いながら、朗らかに話を続けた。
「どうやらその女性とは、屋敷でも仲がいいらしい。一緒に仲良くパンケーキを食べたりしているらしいし、会社の帰りにもよく2人でご飯を食べにも行っているようだ。いや~~、屋敷でも会社でもどこでも、一緒にいるなんて、本当に仲が良くないと無理だと僕は思うよ、うん。如月君はどう思うかい?」
総おじさまの質問に、兄は黙り込んだ。
「弥生ちゃんは可愛いからねえ。それに、前向きでなんにたいしても一生懸命で。そんな子を一臣が気に入らないわけがない。まあ、一臣は8歳の頃から、弥生ちゃんのことは気に入っていて、結婚したいとまで言っていたくらいだけどね。はははは」
「親父!そんな子供の頃の話、持ち出すなよ」
あ。一臣さんが照れてる?鼻をぴくぴくっとさせて、片眉をあげ、コホンと咳ばらいをした。
「如月君、もし、どうしても信じられないと言うなら、今日1日、この二人と行動を共にしたらどうだい?なんだったら、屋敷にも泊まっていったら」
「親父!!なんで、そういうことを言いだすんだ」
あ。今度は切れた。本気で切れたようだ。こめかみに青筋が立っているし。
「いくらなんでも、兄も忙しいですし、そのようなことは無理ですよ。ね?如月お兄様」
私は一臣さんの怒りを鎮めるつもりで、兄にそう念を押した。
「いや。午後は社に戻って片づけないとならないことがあるが、夜は開いているよ。明日の便でアメリカに帰るから、屋敷に泊まってその足で空港に行く。本当にかまわないんですね?社長」
「もちろんだよ。僕は忙しくて屋敷に戻れないが、弥生ちゃんと一臣はいるから、2人の仲がいいところをじっくりと見て、安心してアメリカに帰るといいよ、如月君」
総おじさまはにこりとして、ソファを立ち、
「じゃあ。僕はこれで」
と、さっさと応接室を出て行ってしまった。
「親父、何しに来たんだ」
ぼそっとそう言って、一臣さんは眉間にしわを寄せた。
「じゃあ、夕飯も、緒方家の屋敷で食べさせてもらおうかな。7時ごろに伺えばいいかな?弥生」
「はい。大丈夫です」
「では、僕もこれで、そろそろ失礼するよ」
兄も立ち上がり、私にはにこりと微笑み、一臣さんには睨みを切らし、そして応接室を出て行った。
「なんなんだよっ!親父のやつ!どういうつもりだ!?」
「でも、チャンスかもしれないですよね?」
「なんのだ?!」
「兄にわかってもらう…」
「まさか、如月氏の前で、いちゃつくっていうのか?!」
「……で、ですよね?さすがにできないですよね?」
「してやる」
「え?!」
「それが見たいんだろう?見て納得したいんだろう?思い切り、いちゃついてやる!」
「だ、駄目です。それは駄目です!」
バチン!
「痛い」
でこぴん?!う~~。なんで?
おでこを手でおさえると、一臣さんはその手をどかし、チュッとおでこにキスをした。
「…痛かったか?」
「痛いです。でこぴん」
「悪い…」
そう言ってまたおでこにキスをして、そのあと唇にまでキスをしてきた。
トントン。
「失礼します」
その時、突然江古田さんがドアを開けたので、
「返事が聞こえてから開けろよ、江古田!」
と、一臣さんは、私から離れてそう江古田さんを怒鳴ってしまった。
「も、申し訳ありませんでした」
江古田さんは思い切り頭を下げ、私のほうが慌ててしまった。
「行くぞ、弥生。ここの片づけは江古田に任せろ」
そう言って、一臣さんは私の手を引き、エレベーターホールまで連れて行った。
「は~~あ」
思い切り眉間にしわ。これは、面倒くさいっていう表情かな?
エレベーターが到着した。中には誰も乗っていなかった。
一臣さんとエレベーターに乗ると、カードキーを差し、15階のボタンを押した。そんな私の後ろから、一臣さんは抱きついてきた。
「俺は屋敷に帰ったら、お前と二人きりでずっと過ごしたかったんだ。夕飯だって、汐里もアメリカに帰って、お前と俺だけだったのに」
あ。そういえば…。
「なのになんだって、あんなのと一緒に」
「あんなのって、私の兄なんですけど」
「ああ、悪い。……だけど、お前の兄貴、しつこすぎないか?だいたい考えりゃわかるだろう。ずっと一緒にいるのなんか、お前しかいないって」
「え?」
「わかんないもんなのか?」
「そりゃ、私の仕事も兄はよくわかっていないだろうし、屋敷での私と一臣さんのこともわかっていないですし。あ、でも、あのダイニングでご飯食べたからって、私と一臣さんの仲がいいかどうか、わかるんでしょうかね?」
「だから、いちゃついているところを見せるって言っただろ?そうだな。一緒の部屋に入って行くところでも見せるか?大広間か応接間で、派手にいちゃつくか」
「え?」
「いつも、俺のオフィスでしているみたいに、お前を膝の上に座らせて、いちゃつきまくる」
「しません!」
そんなこと兄の前でするわけないでしょう!もう!
エレベーターが15階に着いた。一臣さんは、足早に私を一臣さんのオフィスに連れて行き、受付の樋口さんにも何も言わず、さっさと部屋に入ってしまった。
そしてソファに座り、私を膝の上に座らせた。
「あの、3時のおやつは?」
「お前、俺といちゃつくより、おやつのほうが大事なのかよ」
「………」
そんなことを言われてもなあ。っていうか、いちゃつく気でいるの?
はむっ!
「ひゃあ!」
いきなり、耳たぶ噛んで来ないで!驚いた。
「3時のおやつより、俺には弥生のほうがいい」
「は?」
ドキーーッ!何を言いだすんだ。突然。
「弥生のほうがきっと甘いし」
「あ、甘い?」
ど、どういうこと?!
びっくりしていると、私を一臣さんは膝の上からおろした。そして、くるっと私のことを一臣さんのほうに向けると、私の背中に腕を回し、私を引き寄せキスをしてきた。
うわ!それも、大人のキス!
う、うわわわ!長いよ。とろけちゃうってば。
ほら。腰が抜けそう。足がガクガクしてる。
チュ。一臣さんは、舌を私の口から出すと、唇に優しくキスをした。ほわわんとしたまま、腰を抜かしそうになっていると、また一臣さんは背中に回している腕に力を入れ、ギュウっと私を抱き寄せ、舌を入れてきた。
え?うそ。また?
もう、クラクラなのに。限界。全身の力、抜けてる…。
私は両手で一臣さんの胸にしがみついていた。必死にしがみついていないと、一臣さんの体から、へなへなと床に崩れ落ちそうだった。
頭、真っ白。何も考えられない…。
チュウ…。一臣さんが私の舌を吸ってる?そして、そっと唇を離して、それから顔も私からちょっと離すと、
「やっぱり。弥生、甘かった」
と囁いた。
え?
甘い?
どひゃあ。なんか、顔が一気に火照る!
体が崩れる。へなへなと床に落ちる…。と思ったのもつかの間、一臣さんがギュウっと私を思い切り抱きしめてきた。
きゃ~~~~。息できないくらい抱きしめてきた!苦しい。
「弥生の舌って、なんで甘いんだ?」
「し、知りません。それに、甘くありません」
「甘いぞ?」
ぎょえ~~~。やめてくれ。そういうことを言うのは!!それも耳元で。
あ~~~。これから仕事あるよね。こんな状態でできるのかな。
幸せなんだけど、メロメロでへなへなだ。
一臣さんとこんななのに、如月お兄様は私たちの仲を疑っているなんて…。
こんなに甘々なのになあ…。
でも、こんなに、甘々のメロメロのドキドキの毎日を過ごしていていいんだろうか…。
なんて疑問は、贅沢すぎるというものかな。
胸が半端なくドキドキして、体中の力は抜け、ヘナヘナ状態なのに、頭ではそんなことを考えていた。でも、一臣さんは、ずっと私のことを離してくれようともせず、
「可愛いな、お前は」
と私の髪に頬ずりをしている。