~その12~ 総おじさま
一臣さんのオフィスの受付に、樋口さんはいなかった。
「あれ?樋口さんは?」
「あとから来る。一緒に昼飯食って、あいつだけコーヒー豆買いに行ったから」
「コーヒー豆?」
「ああ。もうすぐ切れそうだからってさ。あ、また何かうまいお土産、お前に買ってきてくれるかもな」
「…え。甘いものですか?そういえば、私、婚約披露パーティで、ドレス着るんですよね」
「そうだ。着るぞ」
「それまでにダイエットしないと」
「そうだな。一回ドレスの試着もしないとな。どうやら、おふくろがちゃんとドレスをオーダーしたみたいだから」
「え?そうなんですか?」
うひゃあ。嬉しいけど、サイズ大丈夫なのかな。
「ただ、オーダーしていたのが、俺の誕生日パーティよりもずっと前だから、お前に合わせてオーダーしたかどうかは知らんがな」
「え?」
どういう意味?
「多分、大金麗子に合わせてあるんじゃないか」
「ええ?」
じゃあとてもじゃないけど、そのドレス着れないんじゃあ…。
その時、一臣さんのオフィスの受付の電話が鳴った。私が出ようとすると、
「ああ。俺が出るからいい」
と言って、一臣さんが電話に出た。
「ああ、俺だ。繋いでいいぞ」
そして、一臣さんは、苦虫をつぶしたような嫌な顔をして電話に出て、
「先日は誕生日パーティに来て下さって、ありがとうございました。え?今日これからですか?」
ともっと嫌そうな顔をした。声にも出ちゃってる。
「はい。ええ。3時までは何も予定がないので、お越しくださってもいっこうにかまいませんが。でも、時間の無駄だと思いますよ」
そう言うと、受話器を一臣さんは耳から離した。どうやら、相手が大きな声を出したらしい。いったい誰かなあ。
「はい。わかりました。お待ちしています。ああ、はいはい。弥生も一緒にお待ちしていますので。では!」
そう言って一臣さんは、さっさと電話を切ってしまった。
「私?」
「ああ。お前昨日言ってたな?如月氏が来たらちゃんとお前から説明するって」
「え?!今のって如月お兄様から?」
「そうだ。これから来るそうだぞ。怒っているようだったから、どこからか噂でも聞いたんだろ」
ひゃ~~~~~~~~~~!!!嘘でしょ。本当に来るの?
もう~~。如月お兄様、ちょっとしつこいかも。
いやいや。妹の幸せを願ってこそ、わざわざ忙しいのに来てくれるわけだから、嫌がっていたら悪いよね。でも、もうちょっと一臣さんを信じてくれてもいいのに。
「まあ、しょうがないか。俺の今までの素行の悪さを知っているんだから、そりゃ、心配にもなるよな」
あ。意外にも一臣さんのほうが、兄のことを受け止めてる。
その時、ガチャリとドアが開き、
「どうぞ」
と樋口さんがそう言いながら、ドアを大きく開いた。
誰?まさか、ここまで兄がやってきちゃった?と思いながら、一臣さんとドアの外を見ると、なんと、
「弥生ちゃん!お土産だよ」
と言いながら、総おじさまが顔を出した。
「親父?いったい、俺の部屋になんの用だ」
「お前にじゃなくて、弥生ちゃんに用があったんだよ。昨日、大阪にちょっと行っていたから、弥生ちゃんに買ってきたんだ。生八つ橋。弥生ちゃんは甘いの好きだよね?」
そう言いながら、総おじさまは一臣さんのオフィスにずかずかと入ってきた。
「生八つ橋~~?親父、今、大阪に行っていたって言ったよな?」
「ああ。そのついでに、秘書に買ってきてもらった」
「まったく。その秘書もかわいそうだよな。生八つ橋を買うだけのために京都まで行かされて」
「いいじゃないか。それより、弥生ちゃん、これ、一緒に食べないかい?これから、僕の部屋で一緒に」
「行くわけないだろ!だいたいこれから、弥生の兄がやってくるんだ。そんな暇もないし、暇があっても親父のオフィスなんかに弥生を行かせないぞ!」
「なんだよ。意地悪言うなよ。せっかくちょっと、時間が取れたから、弥生ちゃんといっぱい話そうと思っていたのに」
「……。弥生は俺のフィアンセだ!親父のもんじゃないっ!」
「でも、義理の娘になるわけだし、弥生ちゃん、こいつと結婚したら、お父様って呼んでくれよ?」
総おじさまって、こんな人だっけ?鼻の下伸ばして、この前の重役会議の時とは別人みたい。
「あ、弥生ちゃんのお兄さんっていったら、如月氏か。僕も会いたいから、来たら呼んでくれ。樋口。14階の応接室だな?」
「はい。かしこまりました」
「親父は来ないでもいいぞ。どうせ、如月氏の目的はわかっている。俺の変な噂を聞いて、こいつと別れろとか、またあれこれ言ってくるつもりなんだから」
「ああ、一臣の噂は聞いている。秘書課の可愛い新人と愛人関係になって、15階の部屋にも連れ込んでいるっていう噂だろ?」
「親父の耳にも入っているのか。でも、そいつは…」
「弥生ちゃんだろ?」
「そ、そうだ。弥生だ」
「弥生ちゃんとは仲いいみたいだなあ、一臣。僕は本当にほっとしているぞ。パンケーキも一緒に部屋で食べたり、エレベーターではべったりとくっついていたり、手も繋いで社内を歩いてみたり…」
ひょえ~~~~!!!!総おじさまの耳に全部入っているんだ!
「パンケーキ?ああ。国分寺さん、本当に親父に報告したのかよ」
「それを全部、僕から如月氏に言えば、なんの問題もないだろう。さすがに緒方商事の社長の言うことは聞いてくれると思うがな」
「甘い。親父は口出しするな。かえってややこしくなる。それより、弥生がちゃんと説明するそうだから、親父は来なくていいぞ。樋口、親父は呼ぶなよ」
「はははは。楽しいなあ。とっても楽しそうだから、参加するぞ。樋口、ちゃんと呼んでくれ。な?」
そう言って総おじさまは、一臣さんのオフィスを出て行った。
「親父の奴~~。楽しみやがって。こっちはうんざりしているっていうのに」
「こうなったら、本当に社長に任せたらどうですか?一臣様。社長だって、弥生様と一臣様のご婚約が破棄になったら困るわけですし、なんとかうまく話をつけてくださると思いますよ?」
「う、う~~~~ん。そうだな。面倒くさいし、親父に任せてみるか」
あ。また、面倒くさがってる。
「親父の奴、生八つ橋置いていったな。弥生、俺の部屋で食うか?」
「はい」
わあい。生八つ橋好きなんだ。嬉しいな。
「あ、では、これも先ほど買って来たので、召し上がってください」
樋口さんからも何やら、紙袋を渡された。中を見ると、コーヒー豆と、レーズンクッキーが入っていた。
「レーズンクッキーも大好物なんです!なんで知っているんですか?樋口さん」
私は思わず、樋口さんに食いつくように聞いてしまった。
「それは…、偶然です」
さすがの樋口さんも、体を引き気味にしている。あ、思わず力が入ってしまった…。
「そうなんですか。とっても嬉しいです。ありがとうございます」
私はその袋もウキウキしながら抱え、一臣さんの部屋に入った。
ワクワク。ウキウキ。どうしようかな。お茶を淹れようか、コーヒーか、紅茶か。生八つ橋だからやっぱり、日本茶かな。
「おい」
「はい?」
「とっても嬉しそうなところ悪いが、ダイエットするんだよな?」
「あっ!!!」
そうだった。ドレスのためにダイエット…。
「じゃ、じゃあ、明日から…実行します」
「はあ?」
ああ。思い切り呆れられた!
「まあ、いいけどな。俺がドレスを着るわけでもないし。困るのはお前だし」
ひえ~~。言われてしまった。
「でも、レーズンクッキー…。生八つ橋。どちらも大好物」
「はいはい。だから食ってもいいって言ったろ。ドレスを諦めるか?それもいいかもな」
「え?じゃあ、何を着たらいいんですか?」
「…ちょっと待ってろ。確か、おふくろがオーダーしたドレス、写真が俺宛に来ていたはずだ」
そう言って一臣さんは、パソコンを起動させた。そして、すごい速さでキーボードを打つと、
「ああ。これだ」
と、その写真を見せてくれた。
「え?!」
「どう見ても大金麗子仕様だな」
一臣さんも、目を点にした。私もびっくりだ。
胸が大きく開いている、濃い緑色の体の線がぴったりと出るような大人っぽいドレスだ。どう見ても、私には似合いそうもない。
「これは、どんなにダイエットしても無理だな。まず、胸のサイズが違うだろ?何か詰め物をしても無理そうだ」
グッサリ。
「それにこの色。おふくろ、緑が好きなんだよな。お前が着たら緑の狸だな」
「ひどい!」
「なんだよ。ナイスだろ?今のボケ…」
酷い~~~~!!!
「そうだ。お前の振袖、成人式に着ていたやつ。写真で見ただけだが、すごく綺麗だったぞ。顏は修正したのかもしれないけど、着物は修正していないだろ?」
「はい」
いえ、顔もあんまり修正していないと思うんだけど…。多少、鼻筋高く見せたり顔が痩せているように見せたりしただけで。
でも、そんなこと言ったら、十分修正しているだろがって怒られそう。
「あれでいいんじゃないのか?パーティって言ったって、ダンスをするわけでもないし。お前、寸胴、短足、なで肩で、絶対にドレスより着物のほうが似合うし」
「褒めてないですよね?さっきから、一つも」
「褒めてるだろ?着物が似合うって言っているんだから」
「……」
「それとも、この大金麗子仕様のドレスでも着るか?絶対に似合わないドレス」
「い、嫌です」
「だったら、振袖着ろよ。きっとお前可愛いぞ」
え?!
「可愛いですか?」
「ああ。それだけは俺が保証する」
「可愛いのをですか?」
嬉しい。
でも、綺麗とか美しいとか、女らしいとかじゃないんだ。
「お前可愛いからな。めちゃくちゃ」
へ?!
そう言うと一臣さんは、私のことをグイッと引っ張り、ソファに座って私を膝の上に座らせた。そして後ろからギュウっと抱きしめてきた。
「昨日はお前、可愛かったな」
「え?昨日?」
「膝の上に座りたいですって言ってくるとは思わなかったぞ」
きゃあ。思い出して顔から火が出た。思えば、大胆発言だった。
「可愛いなあ、お前」
そう言って、一臣さんは後頭部に頬ずりをする。
うわ。ドキドキだ。でも、嬉しい。だけどドキドキだ。
でも、やっぱり抱きしめてもらうのはすごく幸せだ。
ドキッ!
え?
太もも、撫でてきちゃった。どうしよう。
「あ、あの」
「ん?」
「いえ…」
前なら、駄目ですって言って、手をどかそうとしたんだけど、なんか、このまま撫でていて欲しい気がしちゃうのは、私がスケベだから?
「あ!」
左手は、胸を触って来ちゃった!それも、上着の襟もとから手を入れて、ブラウスの上から触ってる。
ど、どうしよう。
これは、かなりの…、上級クラス?
「これって、恋愛上級者編ですか?」
「これか?いいや。まだまだ、中級…。いや、中級にもいっていないかな」
うそ!これで?!
「そういえば、お前、変な質問あったんだよな?」
ええ?この状態で聞いてくるの?まだ、太ももは撫でてるし、胸は触っているし。
「気になるから言え。言わないとスカートの中まで手を入れるぞ」
ぎゃあ!
「い、言います。だから、中までは入れないでくさい。そこまで私は、レベルが達していませんから」
「へえ。大胆になったんじゃないのか?」
「それは…。お、お屋敷での私だけです」
「なんだよ、そりゃ」
「オフィスでは無理です」
「わかった。じゃあ、今夜楽しみにしているから」
そう言って、一臣さんは太ももにあった手と、胸にあった手をどけて、後ろからまた私のお腹に腕を回し、抱きしめた。
「で?変な質問っていうのはなんだ?」
「あ。えっと…。上野さんとか、お付き合いをしていた人とは、どうやって知り会って、どうやって付き合うようになったんだろうって、ほんのちょっと思っただけで。もう聞きたくなくなったから、いいです。答えてくれなくても」
「なんだよ。聞きたかったんだろ?」
「いいえ。聞いたらかえって、もんもんとしそうだからいいです」
「もんもんとか?ははは。でも、そんなたいした出会いも一回もないし、多分、ショックも受けないと思うけどな」
「そうなんですか?」
「まあ、たいていが相手から迫ってきた。上野は…、どこだったかな?研修に俺も見学に行くことになって…、帰りにみんなで会食を開いて、そこであいつから迫ってきたんだ」
「それだけで、お付き合いを?」
「ああ。うまいもんが食いたいなら、連れて行くぞと言ったら、ほいほいとついてきた。ああいうやつは、遊び慣れているやつだから、俺も簡単に付き合うようにする」
「…そうなんですか」
「他の女も、そんな感じだ。向こうから仕掛けてくる。遊んでいそうで、あとくされなさそうなら付き合う。やたらと本気っぽかったら断るし、まだまだ、処女かもしれないなっていうような女だったら、話もしない」
ひゃあ、そうなんだ。徹底していたんだ。
「本気かどうか、わかるんですか?」
「わかるさ。最初は遊びで、途中から本気っぽくなった時点でも、即別れる。あと、しつこい女も嫌いだから、すぐに縁を切った」
怖いかも。一臣さんって。
「でも、長くお付き合いをしていた人もいましたか?」
「長く?う~~~ん。期間にしては長いけど、会った回数は数回っていう女はいたな。キャビンアテンダントとか、海外に行ったり来たりで会う機会もないし、そういう女とは長く付き合っていた方かな」
ヨーコさんのことかな。
「じゃあ、会社では?」
「長くは付き合わない。あとくされなく別れられなくなっても困るからな。っていっても、俺はまだ緒方商事に入ってきて2年だから、長い奴でも、1年くらいだな。入ったばかりの時は、めちゃくちゃ忙しくて、女と遊んでなんかいられなかったし」
「…も、もういいです」
「ん?」
「なんか、それ以上はいいです」
「そうだな。全部過去のことなんだから、気にする必要もないしな」
「はい…」
「って言ってるそばから、気にしているだろ?こら!襲うぞ」
「え?!」
「もう全員と手を切った。今はお前だけだ。これからもだ。それでいいだろが」
「はい」
ギュウ。また一臣さんが強く抱きしめてきた。
「浮気とかする気も起きないし、他の女を抱く気も起きないしな」
「え?」
「お前だけでいい。お前がいたらそれだけで、俺は満たされるから」
ドキン!
「わ、私も。一臣さんがいるだけで、幸せいっぱいです」
「だろ?」
そう言って一臣さんは、私の耳たぶをはむっと噛んだ。
「きゃ!」
「甘噛みされると、感じちゃうんだよな?」
そうだ。自分でばらしたんだ。ひゃ~~。恥ずかしい。
「あはは。可愛いな、今、照れてるのか?首も耳も真っ赤だぞ」
きゃ~~~~~!きゃ~~~~!思い切り恥ずかしい。でも、幸せすぎる!
なんて、ラブラブモード全開になっていると、
「一臣様、如月様がおいでです」
と、樋口さんがインターホンで教えてきた。
「あ~~~あ。テンション下がったな」
「……はい」
それは、私もです。
「こうなったら、ここに呼ぶか?それで、こんなに俺らはラブラブなんだってところを見せつけるか?」
「や、駄目です。それはそれで、怒り出しそうです。結婚前に手を出すんじゃないって」
「それ、本気で言っているのか?」
「はい」
「……は~~~。如月氏ってほんと、面倒な奴だな。仕方ない。応接室に行くか。それで、さっさと話を終わらせよう。もう面倒なのは懲り懲りだ」
酷い。
でも、実を言うと私も懲り懲り。しばらくは、私たちをそっと見守っていて欲しいのに。
ちょっと、2人でテンション下がりながら部屋を出て、14階まで半分嫌々ながらも、重い足取りで行った。樋口さんだけが、背筋を伸ばし、シャンとしていた。