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ビバ!政略結婚  作者: よだ ちかこ
第8章 フィアンセの噂話
103/195

~その7~ 汐里さん

 お屋敷に着いて、車を降りた。一臣さんも車を降りると、さっさとお屋敷に向かって大股歩きで行ってしまった。

 国分寺さんや喜多見さん、亜美ちゃん、トモちゃん、日野さんがお屋敷から現れ、

「おかえりなさいませ」

と深々とお辞儀をした。


「ああ」

 一言そう言うと、一臣さんは2階に上って行き、私はあとから必死に追いかけた。でも、歩幅が違い過ぎて追いつけず、先に一臣さんは自分の部屋に入り、ドアをバタンと閉めた。


 あれれ?

 お屋敷でもいちゃいちゃし放題っていうのは、どうなったのかな?忘れたのかな?それとも。


 私も自分の部屋に入った。もしかすると、一臣さんが私の部屋に来ているかもという淡い期待を持って。でもいなかった。

 カバンを置き、スーツを脱いで、動きやすいキュロットを着た。そして、一臣さんの部屋のドアをノックした。


「入っていいぞ」

 良かった。ダメだって言われたら、果てしなく落ち込みそうになってた。

「し、失礼します」

 ドアを開け、中に入り、すぐにドアを閉めた。


 一臣さんは着替えている最中だった。スーツのスラックスはすでに着替えていて、上半身はまだ裸のままだ。

 うわ!

 素肌、もろ目に入ってきた。ドキドキドキ!


「あの…」

 一臣さんのほうは見ないようにして、声をかけた。

「なんだ?」

「いえ。なんでもないです」


 特に話があったわけではない。ドアの前で私はまだ、佇んでいた。

「なんだ?なんの用だ?」

 え?

 実は用もない。ただ、一臣さんのそばにいたいだけだ。


「えっと」

 どうしよう。何の用もないのに来たのかって怒られるかな。

「もう、食事の時間ですよね?」

「ああ。一緒に食堂にでも行きたかったのか?」

「い、いいえ」

「じゃ、なんだ?」


 一臣さんはそう言うと、私のほうをじっと見た。まだ、上半身裸のままで。

「着替えているところでも、覗きに来たのか?」

「違います!!!」

 私は慌てて一臣さんの部屋を出て、ドアを閉めた。


 なんか、もしかして、変?

 一臣さん、怒ってる?

 やたらとそっけない。怒らせちゃった?


 ドキバク、ドキバク。そっけない一臣さんにようやく気が付き、私はどんどん不安になっていった。


 それからちょっとして、ドアをノックする音とともに、

「弥生様、夕飯の準備が整いました」

という亜美ちゃんの声がした。

「はい、今行きます」

 私はすぐにドアを開け、亜美ちゃんと一緒にダイニングに向かった。


 夕飯は私と一臣さんの席の前にだけ、準備がされていた。ああ、そうだった。もう他の誰もいないから、当分は2人きりなんだ。と思っていると、数か所開けた席の前にも、夕飯の準備がしてあった。


「あの、どなたかいらっしゃるんですか?」

 そう亜美ちゃんに聞くと、

「汐里様です」

と、亜美ちゃんが答えた。


 あ、そうだった。一臣さんのいとこの汐里さん、お屋敷に泊まっているんだっけ。

 なんて思いつつ、国分寺さんが引いてくれた椅子に座ると、そこに楽しげに笑いながら、一臣さんと汐里さんが入ってきた。


 え…。一臣さんが笑ってる。それもとっても、楽しそうだ。

 そんな二人を見て、トモちゃんや亜美ちゃんはびっくりしている。でも、他の人はあまり気にする様子もなく、いつものように仕事をしている。

 ああ。きっと前から、汐里さんとは仲いいんだろうな。それを知っている人は特に、驚くような光景じゃないんだ。


「弥生さん、こんばんは」

「はい。こんばんは」

 私は汐里さんから挨拶されて、慌てて席を立って挨拶をした。


「あ、いいの、座ってて。ところで、昨日の琴の演奏良かったわよ」

「ありがとうございます。汐里さんのチェロも素敵でした」

 そう言うと、汐里さんはにこりと笑って、自分の席に座りに行った。


 一臣さんも、私の前に座った。そして、お料理が運ばれてきて、黙々とそれを3人で食べた。

 し~~~ん。ダイニングは静かだった。お料理は和食だ。それも、懐石料理のような上品なものだった。

 もしかして、汐里さんのリクエストかな。


 黙って食べ終わると、コック長が出てきた。

「喜多見コック長。ありがとう、私のために」

「いいえ。なんでもリクエストしてください。また明日も汐里様のためにお作りしますよ」


「ほんと?アメリカにいると、コック長の日本料理が懐かしくなっちゃうのよね。じゃあ、明日は…お刺身やてんぷらが食べたいわ」

「はい、かしこまりました」

 やっぱり、汐里さんのリクエストなんだ。


「弥生様、いかがでしたか?」

「あ。美味しかったです」

「そうですか。良かったです。明日は、弥生様はなにかリクエストはございますか?」

「いいえ。私も天ぷらが楽しみです」

「かしこまりました」


 コック長はそのまま、一臣さんの席まで行った。一臣さんは、お茶を飲むと、

「美味しかったぞ」

と一言だけそう言って、立ち上がった。


 あれ?もうお部屋に戻るのかな。それとも、一緒にお部屋に行ってくれるのかな。

「汐里も食べ終わったんだろ?」

「うん」

「じゃあ、大広間に行くぞ」


「楽しみだな~~。一臣ったらピアノの腕落ちていなかったし。早く日本で一臣とコラボしたかったのよねえ」

「コラボ?」

 私がぼそっと呟くと、

「俺のピアノと汐里のチェロだ。日本に汐里が帰って来た時には、必ずしている」

と一臣さんが教えてくれた。


 わあ!素敵!ぜひ聞きたい。と思いながら、目を輝かせると、

「ごめんね?弥生さんには聞かせられないわ。これは2人の楽しみだから、他の誰にも邪魔させないの」

と汐里さんはそう言って、一臣さんと腕を組んでダイニングを出て行ってしまった。


 え?


「弥生様、お茶のおかわりでもしますか?」

 国分寺さんが聞いてきた。

「い、いえ。もう部屋に行くのでけっこうです」

「そうですか…。もしかしたら、一臣様の演奏を聞きたいのでは?大広間の前の廊下でこっそりと聞くことはできますが」


「………」

 国分寺さんが小声でそう言ってくれたが、私は何も答えられなくなった。そして、黙って席を立ち、

「邪魔したら悪いですから、部屋に戻ります」

と、ダイニングを出た。


 とぼとぼと階段を上がりだしたとき、ピアノの音が聞こえてきた。なんていう曲だろうか。そのあとにすぐチェロの音も。

 綺麗なハーモニー。


 そうか。汐里さんが日本に来ると、いつもこうやって2人で演奏をしていたんだ。それが楽しみだったんだ。

 仲いいんだな…。


 2階に上がり、私の部屋に入ると演奏はまったく聞こえてこなくなった。

 私はなんだか、無性に寂しくなり、自分の部屋のシャワーを浴びて、パジャマにさっさと着替え、自分の部屋のベッドに潜り込んだ。


 体がベッドに沈み込んだ。

 私の知らない一臣さんは、まだまだいっぱいいるんだな。知らない顏、知らない笑い声、知らない仲のいい人たち。


 お付き合いしていた人だって、どんな人と付き合っていたのかも把握していない。そんなことどうでもいいことだと思うけど、やっぱり簡単には割り切れない。

 

 いきなりそっけなくなっただけでも、こんなに不安になるし、一臣さんはちょっとの間変だっただけで、本当は私にも冷たくなるかもしれないし、いきなり淡泊になっちゃうかもしれないんだよね。


 もし、これから社内で仲良くしてくれても、それも会社のための演技かもしれないんだ。

 

 駄目だ。また、信じられなくなってる。私、浮き沈みが激しすぎる。


 でも、帰りの車でもそういえば、一臣さん変だったし、オフィスでも、膝の上に座らせてくれたけど、いつもなら一臣さんのほうから私に抱きついたり、膝の上に座らせたりしてた。


 あれ?


 いきなり、本当に、そっけなくなった?

 ドクン。


 ああ。なんだかまた、とめどなく不安が押し寄せてきた。また、ギュッて抱きしめてくれないと、不安だらけだ。

 ベッドの中で丸まった。スプリングがまた沈んだ。そのままどこまでも、深く沈んでいくような気がした。


 カチカチカチ。時計の音。窓の外から、風で揺れる木々のざわめき。初めてこのお屋敷に来た時のような、静けさと怖さが部屋中に充満している。

 もう、寝ちゃおうか。

 一臣さんの部屋に行って、一臣さんの部屋のベッドに寝ていようか。


 でも、なんでここにいるんだって怒られたらもっと落ち込む。

 何の用だってまた冷たく言われたら、果てしなく落ち込む。


 このまま、今日はここで寝ちゃおうか。そんなことを思いつつ、目を閉じた。

 ざわざわざわ…。木々が揺れる音だけが響き、他の音が何も聞こえなくなり、知らぬ間に私は眠りに落ちていた。


 夢の中でも、一臣さんは遠かった。遠くにいて、私は一臣さんに近づこうとしているのに近づけない。そんな変な夢だった。

 そこは大学のキャンパスだったかもしれない。遠くで、華やかな女性と一臣さんは笑っていた。

 私が呼んでも無視された。


 なんだ。一臣さんと結ばれたとか、仲良くなったとか、あれって、全部夢だったんだなあ。そんなことを遠くにいる一臣さんを見ながら思っていた。


 ムギュ。

 苦しい。息、できない。なんで?

 パチ!


 目が覚めた。目の前に一臣さんの顔があった。私の鼻をつまんでいたようだ。

 あれ?


「なんでお前、こっちで寝てるんだ?」

「え?」

「だから、なんだってここで寝ているんだよ?俺の部屋じゃなくて」


「………ここは?」

「お前の部屋だ」

「あ。夢だったんだ」

「…どんな夢だよ。うなされてたけど」

 え?うなされてた?


「それより、俺の部屋に来いよ」

「……はい」

 一臣さんは先にベッドから起き上がった。もしかして、私が起きるまで隣にいたのかな。


 そしてドアを開くと、

「ほら」

と言って、私を先に通してくれた。

 私が一臣さんの部屋に入ると、バタンとドアを閉め、そのまま一臣さんは、ソファに座りに行った。


 まだ、バスローブにもパジャマにも着替えていない。今まで大広間にいたのかな。時計を見てみると、11時をまわっていた。

「髪、濡れたまま寝たのか?」

「あ、はい」


「疲れていたのか?」

「はい」

「でも、俺の部屋の風呂も用意できていたぞ?なんで自分の部屋のに入ったんだよ」

「暑かったし、シャワーだけでもいいかなって」


「それで、なんでお前の部屋で寝ていたんだよ」

「それは、勝手に一臣さんの部屋で寝ていたら怒られるかなって」

「ああ、そう」

 え?へそ曲げた?思い切り今、片眉あがった。


「一臣さんはお風呂は?」

「今から入る」

「今まで演奏していたんですか?」

「いや。汐里と酒飲んでた」

「……」


 そうだったんだ。どこでかな。大広間でかな。2人きりでだよね。

「風呂入ってくるから、お前髪乾かしておけよ。ドライヤーなら、そこに出ている」

「あ、はい」

 一臣さんは、バスルームに入りに行った。


 私はチェストの前に座り、髪を乾かした。ああ、半乾きで寝たからぼさぼさだ。もうすでに変な癖がついちゃって、直らない。

「はあ」

 汐里さんは綺麗な人だった。でも、性格はなんとなく男っぽい感じで、サバサバした雰囲気だったな。


 髪を乾かし終え、私はそそくさと一臣さんのベッドに入った。フワ。布団からは一臣さんのコロンの匂い。

 私の部屋と違って、なんだってここはこんなに、心地いいんだろう。

 でも、一臣さんが隣で私を抱きしめてくれたら、もっと心が安心するのになあ。


 バタン。バスルームが閉まる音がして、一臣さんがこっちに向かって歩いてくる気配がした。私は背中を向け、体を丸くして、寝ているふりをしてしまった。

 でも、一臣さんは特に私のことを気にかけるわけでもなく、すぐにドライヤーで髪を乾かし始めた。


 それからしばらくして、ドアをノックする音が聞こえてきた。

「一臣~~、いるんでしょ?」

 ドキ。あれって、汐里さんの声?


 一臣さんはドライヤーを止め、バスローブのままドアを開けに行った。

 ドキン。何の用かな。部屋まで来るなんて。

「どうした?汐里」

「これ。一臣の時計、私の部屋で外して、忘れていったから届けに来たわよ。ロレックスでしょ?大事なものなんじゃないの?」


「ああ。サンキュ」

 時計を忘れて行った?汐里さんの部屋でお酒飲んでいたの?


「一臣の部屋って、ジャグジーなのよね?」

「ああ」

「入らせてよ。一回くらいいいでしょ?」

「駄目だ」


「なんでよ。部屋にも入れさせないし、メイドですら、喜多見さん以外の子に掃除させないんだってね?」

「ああ。勝手にあれこれ片づけるから、喜多見さんじゃないと駄目なんだよ」

「それで、他の人はだ~れもいれないんだ。屋敷に連れ込んだ女はどうしているわけ?」

「屋敷に連れ込んだことはないけどな、一回も」


「徹底してるのね。相変わらず一臣の部屋は、自分のお城なわけね?」

「ああ」

「じゃあ、どうするの?あの弥生さんと婚約したんでしょ?あの子、この屋敷に住んでいるんでしょ?今はいいけど、結婚してもまったく別々の部屋で暮らすわけ?」


「そんな心配、汐里がしないでもいいだろ」

「だってあの子、一臣に熱あげてたみたいだし、ちょっとかわいそうだなって思って。あ、そっか。あの子の部屋、隣りだっけ。夜這いでもしに行くの?」

「しねえよ」


「じゃあ、子づくりの時だけあの子の部屋に行って、あとはほったらかし?」

「うるさいな。しつこいぞ、汐里。お前には関係ないだろ。早く部屋戻って寝たら?」

「そんなでいいわけ?」

「何が?」


「会社ではワンマンなんだって?女はいっぱいいるらしいけど、全部遊びでしょ?屋敷に戻ったら自分の部屋に引っ込んで、一人で過ごして。人間としてどうよって、私だって心配になるわよ。これから先、ずうっと、そんな感じで過ごすわけ?」

「女はみんな手を切った。だから、人間としてどうよなんて、汐里に言われる筋合いはないんだよ」


 一臣さんは、面倒くさそうにそう答えた。

 なんだか、話だけ聞いていると、まるでお姉さんみたいだ。年は汐里さんの方が上なんだっけ?


「え?それ、本当に?あんなに女遊びが盛んだったあなたが?手を切ることなんかできるの?」

「できるよ。そんなの簡単だ」

「でも、なんで手を切ったの?あ、会社のため?」

「フィアンセ決まったんだから、他の女と遊んでいるわけにもいかないだろ?」


「おじ様も言っていたけど、そんなに緒方財閥苦しいわけ?上条グループとの提携やばくなったら、そんなに大変なわけ?」

「まあな」


「うちの父親のせいもある?いろんな骨董品だの、美術品を多額のお金出して買っていたから」

「いや。あの頃は、緒方財閥も全然ゆるがなかったし。あ、でも、多少は健次郎おじさんの影響もあるのかもな」

「緒方財閥の財産、使ってたんだもんね。それを一臣が犠牲になって、政略結婚までさせられるの?なんか、腹だたしくない?一臣は、あの大金麗子が気に入っていたんでしょ?」


「俺?う~~~ん、でもあのお嬢様は、かなりのわがままそうだったから」

「じゃあ、本命は、鷺沼京子?」

「ああ、体弱そうだからパス」


「もう!私の悩みばかり聞いてもらってる場合じゃなかった。一臣の話も聞くから飲み直そう。一臣の部屋、入れてよ。まずは、自分の城に人を入れられるようにならないと」

 え?入ってくるの?私、どうしよう。おろおろ。隣りの部屋に戻ったほうがいいのかな。


「駄目だ」

 あ。一臣さん、断ってくれた。よかった。

「なんで?」

「それに、飲み直さないよ。もう寝るし」


「まだ、11時よ。明日仕事があるとはいえ、まだまだいいでしょ?少しくらい」

「駄目だって。一人にさせると寂しがるから、もう隣にいてやんないと」

「…誰が?あ!まさか。また犬でも飼った?」

「犬?いや、どっちかっていうと狸に近い?」


 狸?私のこと?

「ひどい!」

 あ!今、声でてた。でも、聞えてないよね?一臣さんや汐里さんには。


「え?今の、誰の声?」

 しまった。聞こえてた?!

「俺のフィアンセ」

「え?!でも、一臣の部屋の中から聞こえたけど?」


「だから、今、ベッドで俺を待っているんだ。悪いな、汐里。酒ならまた今度だ。ほっとくとあいつ、勝手に落ち込みだすから」

「ちょっと待った!昨日、フィアンセに決まって、もう部屋に連れ込んでんの?っていうか、一臣の城にあのフィアンセ入れたわけ?」


「いいや。昨日からじゃない。弥生がこの屋敷に来てからずっと一緒に寝てる」

 きゃあ!ばらしてる!

「ええ?」

「汐里も知ってるだろ。龍二のやばい性格。親父といろいろと策を練ったんだ。昨日のあれは、出来レース。弥生との婚約はもっと前から決まっていたし、俺と弥生はすでにそういう仲ってわけだ」


「そういう仲?」

「他の女と手を切ったのも、弥生一人に決めたからだ。わかった?いい加減、汐里も一人の男に決めたら?それか一生独身でいたいなら、それもいいかもしれないぞ?チェリストでやっていく自信がないからって、結婚に走らなくてもさ。じゃ、おやすみ」


 バタン。一臣さんはドアを閉め、部屋の中へと入ってきた。そして、カタンと腕時計をチェストの上に置く音がして、ベッドに近づいてくる気配がした。


「こら、狸」

「た、狸じゃないです」

 背中を向けたままそう言うと、一臣さんはベッドにドスンと座った。


「狸だろ?ずっと狸寝入りしていたんだろ?」

 あ。そっちの狸…。

「ごめんなさい」

「俺と汐里の話、聞いてたな?」

「ごめんなさい」


「ま、いいけどな」

「時計、置いてきたんですか?」

「ああ。なんか、邪魔になって。外してそのまま忘れて来てた」

「大事な時計なんですか?」

「……まあ、な」


「……ずっと、汐里さんの部屋で飲んでいたんですか?」

「別に汐里といちゃついていたわけじゃないぞ。あいつとはそんな関係でもないんだし」

「う、疑ったりしていません。話を聞いていても、お姉さんみたいだなって思ったし」

「あ、そうかもな」


「……お、おやすみなさい」

「寝るのか?」

「はい。おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」


 一臣さんは、おやすみのキスもしてくれず、ベッドから立ち上がると髪を乾かしに行った。私はずうっと、一臣さんには背中を向けたままだった。


 でも、後ろから抱きしめてくれないかな、なんて期待はしていた。でも、してくれなかった。


 やっぱり、そっけない。でも、ちゃんと私が寂しがるからって、戻って来てくれたし、お酒の誘いも断ってくれた。


 モヤモヤ。それなのに、なんで胸がモヤモヤするのかな。

 ううん。これはモヤモヤて言うより、モンモンかな。


 ああ!もう!自分の感情すら、よくわかんない。もう寝よう。寝てしまえ。

 そう思って目をつむった。でも、結局はまったく眠れなかった。


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