~その5~ 工場視察
車はようやく緒方鉄工所に着いた。私は久しぶりに来た鉄工所に思わず、ハイテンションになってしまった。
バタンと勢いよく車のドアを開け、さっさと羊羹の袋を持って、鉄工所の入り口に走って行った。はっきり言って、一臣さんのこともすっかり忘れて…。
「大門さん!みなさん!お久しぶりです~~~~~~!」
大門さんにはこの前、会ったばかりだったけど、思わずそう叫んでいた。
「弥生ちゃんかい?!」
みんなが私に気が付き、作業を止めて集まってきた。
事務所の中からは、大門さん、工場長の息子の学さん。それに事務員の人も出てきた。
「弥生ちゃんかい?」
「学さん!お久しぶりです」
「びっくりしたなあ。親父からすっかり弥生ちゃんが綺麗になったって聞いてはいたけど、本当に可愛くなっちゃって!」
そう言って、学さんは私の真ん前に来た。
「あ。これ、虎屋の羊羹です。みなさんで食べてください」
「弥生ちゃんの差し入れ?嬉しいなあ」
大門工場長にそう言われ、
「いえ!これは、一臣さんからのです」
と、慌ててそう言った。
そして、一臣さんをしっかり忘れていたことを思い出した。慌てて工場の出入り口を見ると、そこに仁王立ちをした一臣さんと、その隣で困っている綱島さんがいた。
「あ!」
一臣さんの顔、怒っている顔だ!
「こんにちは。わたしは緒方商事の綱島と言いますが、今日、お伺いしたのは…」
「待っていましたよ!どうぞ、こちらへ!」
大門工場長が大きな声で歓迎して、綱島さんはほっとしながら、歩き出した。でも、一臣さんはまだ、むすっとしている。それに、動かないでいる。
呼んだ方がいいのかな?それとも、私からそばに行った方がいいのかな?
「弥生ちゃん。それにしても、それが本当の弥生ちゃんだったんだね?ずっと化粧が濃くてわからなかったけど、今はすっぴんなのかい?」
学さんが隣で聞いてきた。
「え?いえ。薄化粧をしていますけど」
「そうなのか!なんだ。すっぴんの弥生ちゃんを一目見ておけば良かったよ。1年も一緒に働いてて、弥生ちゃんの可愛らしさに気が付けないなんて、失敗したなあ。弥生ちゃん、今は彼氏はいるのかい?あ、まさか、彼氏ができてこんなに変わっちゃったのかな?」
そう言って、なぜか学さんは私の肩に手を置いた。
あれ?こんなスキンシップをする人じゃなかったんだけどなあ。
ドスドスドスドス!っていう足音はしなかったものの、ものすごい迫力で一臣さんが工場内に入ってきて、私の横に並ぶと、べりっと学さんから私を引き離し、
「緒方商事の緒方一臣です。今日は新しく組んだプロジェクトの視察で来ました」
と、表情を変えずそう言った。
「あ、ど、どうも。大門学です」
学さんは、迫力負けしたのか、一歩後ずさりをした。
「学。そちらの方は、緒方財閥の御曹司の一臣氏だぞ」
「え?」
あ。学さん、さらに一歩後ろに下がって、顔を引きつらせている。
「そうでしたか。いやあ、御曹司が自ら、こんな小さな町工場に来て下さるとは。はははは」
笑ってない、笑っていない。学さん、ただ顔が引きつっているだけだ。
「弥生は…、いえ、上条は今、僕の秘書をしています。あまり、軽々しく声を掛けないようにしていただきたい」
え。そ、そんなこと言っちゃうの?一臣さん。
「…軽々しくも何も、前にここで働いていたんだから、少しは話してもいいんじゃないですか?」
うわ。学さんもそこで、一臣さんにはむかっちゃう?一臣さん、怖いってことは町工場の人にまでは知られていないんだっけ。
それもそうか。私だってまったく知らなかったし。
「は?!」
あ。やばい。一臣さんのあの片眉あがった時は、頭に来ている時。
「弥生ちゃんと仲良くするのもしないのも、こっちの勝手ですよね?いくら秘書だからって、恋人でもあるまいし、一臣氏のものでもないんですから」
うわ!それ以上言ったら、一臣さんが雷落とすよ!
一臣さんと学さんの間に入って、綱島さんもおたおたしているし。って、私だよ。こういう時になんとかしないと。ぼ~っとしている場合じゃない。でも、なんて言えばいいの?
「弥生は俺のものだ!俺のフィアンセだ!他の男に気安く肩を触られ、それを俺が怒って何が悪い?!」
え。
今、なんて?フィアンセだって思い切りばらした?!
「フィアンセ?」
ほ、ほら。学さんも口をパクパクさせて驚いてる。それに、大門工場長も。ううん。工場内の人がみんな、目を点にして口をあんぐりと開けている。
「あ。あはははは。冗談が好きですねえ、一臣氏は。弥生ちゃんが一臣氏のフィアンセだなんて。あはははは!」
大門工場長が、一番に沈黙をやぶり、そう言って笑った。すると、周りのみんなも、学さんまでが、あははと笑いだした。
「こんなことを冗談で言うわけがないだろう。弥生は上条グループの一人娘で、俺と婚約したんだ。工場長は弥生が上条グループの娘だってことくらい、知っていたんだろう?」
「知っていません。父も、総おじさまも知らせていません」
「え?!」
一臣さんが私を見て黙り込んだ。
大門工場長は、目を丸くして青ざめた。学さんも、血の気が引いていったようだ。
「なんだ。工場長にくらい素性を明かして働いているかと思ったぞ。違ったのか」
「はい。兄たちは、上司にだけ知らせていたようですが、私は…、ただの事務員ですし、知らせる必要もないだろうって父が…」
「弥生ちゃんが、上条グループの令嬢で、一臣氏のフィアンセ?!」
あ、大門工場長、驚きのあまり顔が真っ白に。
「あ、あの!上条家のルールと言うか、変な子育て方法なんです。中学卒業と同時に家を追い出され、一人前になるまで、一人でやっていかないとならないという…」
そう言ってもみんな、まだかたまったまま、びくともしない。
「今まで、隠していてごめんなさい。でも、今までどおりに接していただいて構わないです。その…」
「構う!弥生は俺のフィアンセなんだから、あんまり仲良くされても困るんだよ。わかったか。弥生。お前も気をつけろって言ったよな?」
「あ」
そうだった。他の男と仲良くするなって言われたんだった。
「はい。でも、あの…」
「まあ、いい。とにかく今日は仕事で来たんだからな。早速、工場内を案内してもらって、工場長の神業というのを見せてもらうぞ。綱島。お前確か、3年くらい工場で修業したんだろ?それに、大学は工業大学の出で、いろいろと詳しいんだろ?」
「あ。はい。でも詳しいと言うほどのものでは」
「それでも、俺よりはいろんな知識があるだろ?それでお前のことを連れて来たんだからな」
「あ。はい。わかりました」
それから、一臣さんは、工場長の説明を受けながら、綱島さんと一緒に工場の奥へと入って行った。
私は、「お前は事務所で待ってろ」と一臣さんに言われたので、事務所の中に入った。事務員さんがお茶を淹れて出してくれた。
「弥生ちゃん、私いっぱい失礼なことをしてしまったのでは」
「え?」
「弥生ちゃんがまさか、上条グループの令嬢だと知らず、普通に接しちゃって申し訳ない。あ、ちゃんづけなんかしたら、申し訳ないですよね?」
「い、嫌だな。今までどおりの話し方でいいです。本当に気にしないでください」
そんな話をしていると、そこに学さんが来た。あれ?一臣さんたちと一緒に工場の奥に行ったのかと思った。
「弥生ちゃん、大丈夫?」
「え?」
「一臣氏は、ワンマンで大変なわがまま息子だって聞いたことがあるよ。フィアンセっていうのも、親が勝手に決めたとかじゃないの?政略結婚ってやつだろ?」
「はあ」
「そんなで、大丈夫?弥生ちゃんは本当にいい子だから、騙されているみたいで心配だよ」
「大丈夫です。騙されてもいないし、一臣さん、あんな風に見えてすごく優しいし」
「優しい?あれが?どう見たって横暴なわがまま息子だろ?好き放題して生きてきたって、まんま顔から滲み出ているじゃないか」
そうかなあ。あれでもいっぱい、プレッシャーと戦ったり、仕事も頑張ってこなしていたり、責任感もあって、寛大な心もあって、いざというと言葉づかいだってガラッと変わって、紳士的にもなって、最高の人なんだけどなあ。
って。私、ものすごい一臣さんのこと、持ち上げてる?
ううん。事実、そうだと思うんだけど。ちゃんと社長の器持ってるよ。まあ、たまに面倒くさがりになったりするけど。
「でも、そんな人に見えたとしても、私は一臣さんのことが好きだし、一臣さんについて行きたいって思っています。だから、学さんが心配することは何もないですよ?」
そう言うと、学さんが驚いた表情を見せた。
「弥生ちゃん、本当に変わったね」
「え?そうですか?」
「うん。なんか、地に足がついたっていうか、もっとフワフワしていたのに。見た目はすっかり若返ったけど、中身は大人になったんだね」
え。私って、フワフワしていたの?
「そうか。まあ、弥生ちゃんが一臣氏を気に入っているっていうなら、何も言うことはないけどね。嫌々結婚するとなったら、ちょっと心配だったけどね」
「嫌々だなんて!私はずっと一臣さんのことを思い続けてきたから、嫌々だなんてそんなのあり得ません」
そう言ってから、あ、なんかすごいこと言っちゃったって気が付き、顔が熱くなった。
「あ。大学の頃から一筋に思っている人がいるって言っていたのは、一臣様のことなの?」
そう事務員さんが聞いてきた。
「はい、そうです」
「へ~~。そりゃ驚きだ。弥生ちゃんの想い人は、あの一臣氏だったんだ。そんな人と婚約することになったんだ。じゃあ、おめでとうと言うべきかな」
「はい!」
私は顔を熱くしながら、思い切り頷いた。すると、学さんは笑いながら、
「ああ、じゃあ、すっぴんの弥生ちゃんを見て、俺が弥生ちゃんに恋していたとしても、ふられていたってことか」
と、そう冗談を言った。
「学さんにはいるじゃないですか。彼女。確か、まだ20歳かそこそこの…」
「ははは。まあね。あんまり若くて、まだまだ結婚までこぎつけないのが残念なんだけどね」
なんだ。いまだにラブラブなんだな。
それから、1時間、一臣さんは工場内を見学したり、いろんな説明を受け、そして綱島さんと一緒に事務室に来た。そこでお茶を飲み、
「じゃあ、次に行くか。工場長、今日はいろいろと仕事の途中でお邪魔して悪かったな。いろんな説明が聞けて、役に立った」
とそう言って、席を立った。
「こちらこそ、こんな町工場に来ていただいて…。また、何か役に立てることがありましたら、なんでも言ってください」
「ああ。大門工場長の神業とやらを見せてもらって、弥生の目が確かなんだってわかったしな。また近いうちに連絡する」
そして、私たちは工場を出て、車に乗り込んだ。
また綱島さんが後部座席だ。ちょっと寂しいなあ。
「どうだった?綱島」
車の中で、一臣さんが綱島さんに聞いた。綱島さんは自分の感じたことを率直に話し、それから一臣さんとずっと、これからのことや、課題など、議論を交わしていた。
仕事のこととなると、綱島さんの目は変わる。話し方まで変わってしまう。なかなかのやり手だと思う。それを一臣さんもしっかりとわかっていたようだ。
機械金属部の部長は最も適切な人を、リーダーに抜擢したようだ。
「次の工場はやたらとでかい。だが、近年赤字続きで、停まっている機械もあるが、そのままの状態でほったらかしだ。ある意味、宝の持ち腐れだな。それをどうにかしないとならない」
一臣さんはまた資料を取り出し、綱島さんと熱心に話し出した。
なんか、2人ともすごい。入って行けないくらいの熱を感じる。
一臣さんって、やっぱりすごいんじゃないかな。機械のこととか、まったくの素人のはずなのに、意外と詳しいし。これって、絶対に勉強したんだよね。
でもいつの間に?あ、もしかして、そういうことも全部、英才教育を受けていたのかしら。
私にはついていけない専門用語のあふれている会話。自分がわからないことは、理解できるまで綱島さんに聞き、納得すると、一臣さんは綱島さんにお礼を言う。
納得できないことは何度でも聞いたり、反論もする。
綱島さんも負けてはいない。一臣さんに対して堂々と意見を言う。
私は、はたして一臣さんの補佐なんてできるのかな。こんなやり取りを聞いても、ちんぷんかんぷんだ。
あ、そうか。私も勉強したらいいのか。何もわからずじまいにしないで、しっかりとわかるように。
でも、やっぱり心のどこかで、なんの役にも立っていないかもしれないと、沈んでいく気持ちを感じていた。あの、菊名さんが言うのは本当のことだ。提案しただけで、なんにもわかっていないし、意見も言えないし、役にも立たない。
ズ~~~ン。
補佐って、何かな。単なる金魚の糞だな。これじゃ。
次の工場でも、私は事務所にいていいと言われた。ついて行っても説明を受けてもわからないんだから、しょうがないか。でも、単なる足手まといでしかないような気になった。
「上条さんは、一臣氏の秘書なんですか?」
その工場内で働く事務員さんにそう聞かれた。私よりも年上かな。おとなしそうな人だ。
「はい。そうです」
「すごいですね。じゃあ、のちのちは社長秘書なんですね?」
いえ。社長夫人です。と心の中で呟いて、さ~~っと血の気が引く思いをした。
社長夫人?そんなの、私になれるのかな。なんの役にも立たない私が。
「この工場、今、危ないんです。それをどうにか救ってもらえるよう、一臣氏や社長に言ってもらえないでしょうか」
「え?」
突然の申し出にびっくりした。
「危ないって?」
「発注が、ここ半年で半分に減っちゃって。お給料もカットだし、ボーナスも前の年の半分でした。でも、出ただけましでしたけど」
「…そうなんですか?」
「辞めていった若い社員もいます。この工場、この先どうせ潰れるだけだからって」
「……」
「今は工場の半分が、バイトとか、派遣社員とか。正社員を雇う余裕もないんです。私もそろそろ切られるかも。パート雇うようになると思うんですよね」
「え?そ、そうなんですか?」
「はあ。そうしたら、私、どこで働こう。上条さんが羨ましいです」
「待ってください。大丈夫です。そうならないよう、一臣さんがプロジェクトを組んで今、いろんな対策練っていますから」
「でも、そんなこと言っても、何も変わんないんじゃないですか?」
「そんなことないです。今だって、そのために視察に来てて」
「…駄目ですよ。工場長や社員のみんなで、前に企画書を提出しようとしたんです。ずっと下請けの仕事ばかりで、この工場で何かを企画しようだなんてしなかったのに、ある社員が言いだして、みんなでやってみようって一丸になって。でも、門前払いでした。緒方商事も、緒方機械もまったく見向きもしてくれなくて」
「どんな企画書ですか?私にはわからないですけど、それ、一臣さんと綱島さんに聞いてみます。見せてもらえないですか?」
「企画書はありますけど、その時先頭を立って指揮していた社員は辞めちゃってていないから、説明とかできませんよ。今いる社員では、誰も説明できません。工場長もその社員に頼っていたから、わからないみたいで」
「え?じゃあ、その社員は今、どこにいるんですか?」
「転職しました。今は、上条グループの下請けの、上条建築の工場で働いています」
「その工場ってどこですか?」
「えっと、東京ですよ。確か、多摩工場だって言っていました」
「多摩?!」
卯月お兄様がいるところかも!
「その方のお名前教えてもらえますか?」
「泉岳寺さんです」
「ありがとうございます」
私はとりあえず、一臣さんに今の話をそのまま伝えに行った。一臣さんの隣には、工場長がいて、
「その企画は、泉岳寺がいないと説明が難しい」
と、やはり、事務員さんが言ったとおりだった。
「企画書自体はまだ、この工場に残っていますか?」
綱島さんがそう聞くと、工場長は事務所まで戻り、企画書を持ってきた。
「あ~~。確かに。大変興味深いものだけど、説明がないとわかりづらいですね。ただ…」
綱島さんはそう言って、工場長のほうを見た。
「なんでしょうか?」
「相当な技術も必要だし、機械も…いろいろと揃えないとならないんじゃないですか?これって。もし、この企画が通ったとしても、この工場で仕上げるのは難しいでしょう」
と綱島さんは難しい顔をして言った。
「そ、それはもちろん、これから機械を揃えていく予定で作った企画です。もう何年も前だったので、人もいましたし、もうちょっとうちの売り上げも良かったですからね」
「う~~~ん。揃えていくとなると、いろいろと費用がかさみますよねえ」
「何を困っているんだ。綱島。必要な機械がまず、緒方財閥の企業で揃うかどうかを手配してみろ。それから、費用や技術者、どの程度必要か、人数もどれだけいたらいいのか、計算してみてからものを言え。この工場以外にも優れた人材なら緒方財閥の中にはいるぞ」
「ですが、企画を説明できるものがもう辞めてしまったとなると」
綱島さんがそう言うので、私は思わず、
「連絡を取ってみます。もしかしたら、説明に来て下さるかもしれないし、この工場に戻って来てもらうなり、無理なら出向してもらうなり、それか、もうこうなったら、その工場と提携まで結んじゃうっていうのもありです」
と、無謀なことを言いだした。
「い、いや。上条さん、そんなわけのわからないことを言っても、転職先になんて言ったらいいか」
「言ってみないとわかりません。とりあえず、私のコネ、使わせてもらいます」
そう言って私は、携帯を取り出し、早速卯月お兄様に電話した。そして、簡単に説明すると、
「ああ、多摩工場にいるよ。俺の部下だ。泉岳寺だろ?俺から話してみるよ」
と、あっさりと引き受けてくれた。
「卯月お兄様の知り合いでした。それも、卯月お兄様のほうが上司だから、もしかするといろいろと手回ししてくれるかも!」
「…持つべきものは、兄貴だな。いや、お前の行動力かな。まあ、とりあえずこの企画書は預かる。それから、この工場の赤字だが…。なんとか巻き返せるように早急に手を打つから、工場長、閉鎖にならないようもうちょっと辛抱してくれな?」
一臣さんは工場長にそう言うと、工場長は目に涙を浮かべた。
「次期社長が、あなたのような人で良かった。ああ。本当にありがたいことだ」
工場長は、いくつくらいの人かな。もう白髪頭で、かなりの年齢をいっているみたいだけど。定年間近かな。
「……そんなに期待はするな。だが、なんとか力添えできるようにするつもりではいるが」
バシン!
私はそう言った一臣さんの背中を、思い切り叩いた。
「いってえな。弥生。なんだよ」
「弱気は駄目です!だって、工場で働く人や家族の生活や未来がかかっているんですよ!一臣さんが弱気になったら、みんなも弱気になります!ど~~んと一臣さんは任せておけって、ふんぞり返っていないと!」
「……お、おう」
「任せてください!大丈夫です。皆さんも、笑顔で明るく頑張りましょう!多少の貧乏暮らし、楽しめばどうってことないですし、意外と世の中捨てたもんじゃありません」
「は?」
一臣さんが私の励まし方を聞いて、呆れかえった顔をした。
「本当ですよ?要は工夫する力です。工場内でも案外、無駄にお金を使っている部分もあるんです。節約したらエコにつながります。使ってない電気器具はコンセントを抜きましょう。それから…。と、とにかく、こんなこと?っていう小さいことからでもしていくと、案外節約できたりするものです」
「はあ」
みんなは、いきなり節約の話をし始めて驚いている。
「あとはですね。工場内の修繕などは自分でできる範囲は自分でしましょう。壊れているところ、破損しているもの、そういったものを修繕したり、たとえば、ペンキで壁を明るい色に替えるだけでも、気分が変わります。あ、でも自分たちでしないと意味がないですよ。業者呼んじゃったら、それだけで経費がかかりますからね。なんなら、私、ただで手伝いますが」
「弥生。お前がそういう手伝いを、行く工場、行く工場でしていたら、お前の身が持たないんだぞ」
「え?でも、何か私でもお役にたちたいです」
「もう十分だ。お前の兄貴に連絡してくれたし、十分だよ」
「…ですが」
「そうですね!気持ちが暗くなっていました。私もできることからしていきます。節約を楽しんだり、あと、工場内の清掃をしたり」
事務員の人が明るい声でそう言った。
「そうだな。ちょっとふざぎこんでいたけど、緒方商事の一臣様が直々に来てくれたんだ。うちの工場の未来も、変わるかもしれないな」
工場長も声を明るくした。
なんか、もしや、暗く毎日暮らしていたのかもしれないなあ。
そして私たちは車に乗り、その工場をあとにした。みんな総出で私たちを見送っていてくれた。
「あの、一臣さん。すみませんでした。出過ぎた真似をして」
「何がだ?」
助手席から、バックミラー越しにそう謝ると、一臣さんが聞き返してきた。
「任せてくださいなんて、無責任でしたよね?」
「いや。そんなことはないだろ?ちょっとでも、気分が変われば、運気も変わるかもしれないしな。今までは、企画書を持っていっても門前払い。発注は減る一方。このまま工場閉鎖を待つしかないのか、緒方財閥からこの工場は見はなされるのかって、そんな不安の中毎日を送っていたんだから、気持ちが切り替わって彼らもお前の言うように、明るく頑張っていけるようになるかもしれないだろ?」
「…。実を言うと、ちょびっと不安です。私があそこにいたら、かなり踏ん張って、もがいて、明るくして、できることは全部やるんですけど、そうもいかないし」
「はははは。工場中のありとあらゆる壊れた個所、直しだすかもな。ペンキも全部塗り替えるんじゃないのか?お前がいたら」
「はい。しています。っていうか、緒方鉄工所ではいろいろとしていましたし」
「そういえば、あの工場は綺麗だったな。花まで事務所に飾ってあったし、工場の前には小さいけど花壇もあった。工場内も綺麗に整頓されてて、やけに綺麗な工場だったから、次の工場の汚さや、くたびれた感じが目立っていたな」
「はい。花壇は私が作りました。あそこに飾ってあった花も花壇の花です。壊れたところは修繕をみんなでしました。ペンキも塗り替えて明るくしました。朝はラジオ体操を元気にやったり、お弁当もよく作っていって、みんなで一緒に食べました。だから、いっつもみんな明るくて笑顔がいっぱいで」
「なるほどなあ。お前が100人くらいいて、各工場に送り込めたら、緒方財閥の工場は一気に盛り返しそうだけどな」
「そうですか?だけど、工場は明るくなっても、発注は少なかったから、苦しい経営だったことには変わらないんですけど」
「…そうか。だが、毎日の生活の張合いとか、気持ちが変わるだけで違うだろ?」
「そうですよね?」
「ははは。そういえば、うちの屋敷もやたらと明るくなったし、働いている従業員もよく笑うようになったし、お前がいると花が咲いたみたいになるな」
え?
「なあ?等々力もそう思うだろ?」
「一臣様も明るくなりましたよ。よく笑うようになられたし」
「俺か?」
一臣さんは、しばらく黙り込んだ。それから、なぜか隣にいる綱島さんを見て、
「あ。弥生は俺の女だから、惚れるなよ」
と、わけのわからないことを言っていた。