プロローグ
ひらり、ひらり。
薄紅色の花びらが舞い落ちる。
花びらを捕まえることができたら、願い事が叶うのだそうですよ。そう言ったのは誰だったろうか。
ひらり。
まるで意思を持っているかのように、私の指の間をすり抜けていく。
「そんなに一生懸命になって……一体何を願っていらっしゃるのですか」
あなたの手がそっと私の髪に触れる。
「追わずとも、ほら……もうこうして貴方に捕われているというのに」
そう言って微笑む掌には一片の桜。
「願い事をどうぞ、麗しい私の姫君……」
私の髪に口付けながらそんなことを言って。
『じゃあ、篝が……』
ずっと側にいてくれますように、そう続けるはずだった。
『篝が……』
目の奥が熱い。
喉がからからする。
熱い……体中が焼けるように……
『側に……っ!?』
発せられた声に驚いたのは、それが私のものとは思えないほどひどい声だったから。
ガマガエルが鳴いたように醜い声。
「あなたは邪魔なのですよ」
気が付けば、薄紅色の花びらは真っ赤な火の粉に変わっていた。
『か、がり』
私の腕が、足が、髪が……全てが燃えている。
『ゆる、さ、ない』
地面に這いつくばるように崩れ落ちながら、呪いの言葉でも吐くように。
『必ず生まれ変わっ、て、ふく、しゅうしてやる……ッ!!必、ずっ…………ああぁぁぁぁっ!!!』
「…………篝!!って、あ……?」
霞がかった意識が徐々に覚醒していく。
夢、だった……のかな。
なんだか妙にリアルだったなぁ……
まだ心臓がドキドキしている。
「南月?」
コンコン、と控え目なノックと聞きなれた幼馴染みの声。
「あ、隼人!やだ、もうそんな時間なの!?」
「8時10分」
「じゅっ!?どうしよ!遅刻しちゃうっ!!」
慌てふためく私とは反対に、扉の向こうからは笑い声がした。
「大丈夫だって。ちゃんと泰子さんが学校に電話いれてくれたからよ」
「お母さんが?」
「"うちの子お腹壊したみたいで……さっきからずっとト」
「いい!みなまで言わなくていいから!!」
というか聞きたくない。
よりによってお腹壊して……って。
恨むよお母さん……
「なぁ、入っていい?」
「へ!?う、うん」
「じゃあ……お邪魔します」
ドアが開いて、制服を着た隼人が部屋に入ってきた。
「はよ」
「お、おはよう」
隼人は迷う様子もなくベッドに腰かけると、長い指で私の目尻を拭った。
「怖い夢でも見たのか?」
「え?」
「涙の跡がある」
自分でも目尻に触れてみる。
「ほんとだ」
「ほら、こっちにも」
そう言って今度は唇で涙の跡に触れた。
「は、はははは隼人!!?朝から何して……」
言葉は最後まで続かず、隼人に飲み込まれてしまった。
「……んっ」
「……南月」
「ちょ、と……」
「今日はサボっか」
そのまま笑顔で幼馴染み兼恋人は私をベッドに押し戻した。
「……受験生なのに」
最後の抵抗とばかりに呟く。
「余裕余裕、休みに入ったら夏季講習参加すんだろ?」
「そうだけど……」
私の脳裏に、美人な担任が盤若のような顔で説教する姿がよぎった。綾子先生怒るだろうなぁ……
なんて言い訳しよう、そんなことを考えながら目を閉じる。
「……なつき……」
隼人の声に重なって、誰かの声を聞いた気がした。