表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/6

4.誘い

【お詫び】加筆版と銘打っておりましたが、どう間違ったか完全にアナザーストーリーになりそうなので題名も変更いたしました。そのつもりでお読みいただいていた方、本当に申し訳ありません!!

 ああ、頭が痛くなってきたわ。

 まさかあんなところで王にまた会ってしまうだなんて。運が悪いなぁ、と木造校舎の教室でぼんやり考えていた。

 ふと首筋に触れる。契約成立だと言ったあと、王はなぜここに触れたのかしら。あの冷たい感触は何だったんだろう。嫌な予感が何だか喉をゆるゆると締めつけているみたい。

 ああだめ、もう忘れよう。

 そう思って教壇を見た。

「いいですか、皆さんこうですよ“香水は甘美な愛なり。愛もまたほのかな香水なり。”さ、繰り返して。さんはい!」

「香水は甘美な愛なり――」と皆で声を揃える。 


 後宮には学校があった。本当に普通の学校みたい。人間界のような。

 黒板があって古びた長机があって、生徒が教壇に立つ先生のお話に耳を傾けてノートを取る。定期テストやレポート提出もあって、年に一度秋ごろに成績優秀者の表彰式もあるらしい。

 そこには王も出席するからって、はりきる子は多かった。けれど先生によってはかなり厳しいらしいから、いい成績を残すのも一苦労なんですって。もともと勉強のできない私には、あんまり関係ないわ。目立つのも好きじゃないしね。

 こうやって学校があるのは、人間界から右も左も分からずに連れてこられた子たちばっかりだからだとか。ヴァンパイア界の“一般常識”とやらを後宮の女性たちに学ばせる必要があるみたい。あとは王宮での礼儀に関する知識とか、簡単な魔法を教えてもらったりとか。結構楽しそうな科目がたくさんある。目移りするぐらい。

 ちなみにこの学校は強制じゃない。でもヒマですることはないし、王は教養のある女性を求めるようだからってみんな真面目に通っている。

 私も最初は乗り気ではなかったけれど、やっぱり部屋にばかり閉じこもっているのはダメだというミセスグリーンの助言もあって、徐々に出る回数を増やしていた。やっぱり年長者の言うことはよく聞くべきだわ。外の空気を吸っているとだんだんと気分も落ち着いてくる。目立たないように過ごしていれば、この血に穢れたヴァンパイア王国での生活も悪くないように思えてきたから。

 

 それより、どうして王はわざわざ”契約”だなんて言ったの?

 ボロボロの使い古された教科書を見つめながら考えをめぐらせた。支給品の教科書は最初のページが必ず破れている。どうやら王の肖像画が印刷された部分を、女の子たちがちぎって自分のものにしてしまうためらしい。はたから見ればそれをよほど落胆しているように見えるだろうけれど、むしろあの人の顔を見ずにすんでありがたいくらい。

 王も私なんかに構わず、”ファーストクラス”の女性を相手にしていればいいのに。

 

 この後宮は三段階の等級に分かれていた。

 ファーストクラス、セカンドクラス、サードクラス。

 一番いいのは当然ファースト。建物は白くて豪華で、外装はまるで高級なホテルのよう。劇場やプールもあると聞いた。学校だって全然違って、教室もきれいで広いし教材も充実しているらしい。みんなきらびやかに着飾って異国のプリンセスのよう。セカンドクラスだって、パーティー用にはいいドレスを持っている。

 でも残念ながら私がいるのは、一番下のサードクラス。

 劇場どころか廊下の声が筒抜けだし、プールところか雨漏りがする。ドレスだってパーティー用どころか普段着だってあまりない。お手洗いやシャワーは共同だし、モーニングソングもゴースト侍女さんが棒でバケツを叩いてまわるありさま。

 部屋のお掃除だってめったにしてくれないし、してくれたところで床をビショビショにされちゃうだけ。

 でも、こんなに格差があっても別にヒドイとは思わなかった。

 ファーストやセカンドに行きたければ、不定期に開催される交流会なんかで支援してくれる貴族を探せばいい。

 私はそれが嫌だった。

 貴族がどうして人間界から来た女の子を支援するのか。私たちを哀れんで? まさか。

 その子たちをゲームの駒にするため。

 王妃の座争奪戦のね。

 そう、ここはある種の賭けの場になっていた。貴族の暇つぶしなんだろう。そんな中に自ら飛び込んでいくなんて考えられない。唯一公費のみでまかなわれているという、このオンボロサードクラスで十分だわ。

 まあ、ベッドのシーツはいい加減かえてもらいたいけれど。

 

「はあい、皆さんよく言えました。すばらしいわ、ビュティフォ、ビュティフォ、ビュティフォ……」

 そう言って魔香学のブルーノ先生は、指先だけで小さく拍手をする。真っ青な肌に炎のようなオレンジの髪。厚い胸板と広い肩幅をしているけれど、ピンク色のチークと白い口紅をほどこしてあった。

 後宮は基本的に男子禁制。けれど、人間との間に子が成せない種族の出入りはOKらしかった。ブルーノ先生は一見男性だけどどうやら性別的に中性らしく、中身もとてもあやふやだった。お化粧はをしているし身振り手振りも女性的だけれど、さっき廊下で助手のゴブリンをどなりつけたときの迫力ったらなかった。そばで雷が落ちたのかと思ったくらい。

 そんな彼女だけれど、一番強烈なのは香水のかおり。オシャレ関係の授業は立ち見がでるくらい人気と聞いていたけれど、この授業がそうでもないのはこれが原因なんだろう。鼻にコルク片をつめている子もいたくらいだから。この調子だとしばらくドレスについた匂いも取れなさそうだわ。

「さあみなさん、今日も頑張っていい香水を作りましょうね!」

 彼女は何やら大きな木箱を持って、ガラスのビンとコーヒーミルのようなものを配り始めた。

「配られた子たちからガラスのビンをセットして。あ、違うわ、そうその下に。OK」

 他にも花の入った麻袋を渡していく。

「いい? 好きなお花のエキスをブレンドして愛する男性をわしづかみにするの! ああ、間違ってもアノ部分じゃないわよ」

 笑いを誘ったつもりなんだろう。彼女はそれを待つかのように、おしゃべりをやめて少し教室を見渡した。けれど誰もクスリともしない。

「OK、先に進みましょう」

 彼女が近づいてきて、コトリと私の前に器具とビンと麻袋を置いていく。花のエキスを抽出するという機械は取っ手がとれかかっていた。これもきっとファーストからのお下がりね。サードクラスの学校のものは大概そう。何年も熟成されたワインのように年季が入っている。ワインと違って価値は落ちるけれど。

 麻袋のヒモを解いて開けてみると、中には短く切ったお花とそれを説明する紙が入っていた。

 くんくんと袋の中かいでみたけれど、彼女の香水のせいで全くかおりが分からない。

 とりあえず資料の例を見て組み合わせを考えてみる。少しでも分量や混ぜるお花が違えば、全く異なったものができあがるらしいから。

 どれどれ。

【スティージア】霧のような甘い香り。女の子力アップ。

【マログラス】さわやかな夜の香り。風に乗って遠くまで漂う。

【ハノヴァ】木漏れ日の香り。甘い香りと相性抜群。

【クライノ】舞い落ちる木の葉の香り。癒し効果アリ。

【アジスティー】空の香り。雄大な気分になれることうけあい。

 ……

 ちょっと意味がよく分からない。

 どこかからか「空の香りって何よ」とブツブツ聞こえてくるのも頷ける。嗅覚を利用しようにも、すべてが先生の香水の香りだしね。花の見た目だけで判断して適当に混ぜあわせるしかないみたい。それでちゃんとしたものができるのかしら。

 

「いい?」と器具を全て配り終えた彼女が振り返る。

 左手の指をバラバラに動かして、

「落としたい男性をしっかりはっきりくっきりイメージして作るのよ。その人がどんなものを好みそうか想像するの」 

 “落としたい男性”と言われても、ここに男性は実質王しかいない。やっぱり後宮にいる以上、彼をイメージして作らなきゃだめかしら。他に好きな人がいるわけでもないし。

 彼女はポケットから写真をピラリと取り出した。両手に持ったそれをうっとりと見つめる。恋人かしらと思ったけれど、チラリと見えたそれはどうやら王らしい。

「こんな感じよ」と写真を見ながら顔を赤くして鼻孔をふくらませる。

「あん、マイスウィートキーング」とバス歌手のような低くて重厚な声。

 何をするのかと思った次の瞬間、写真に吸いつくように何度も何度も口づけた。それどころか分厚い舌を出してベロベロと舐めだしたのにはさすがに閉口する。見本をみせるというより完全に本気モードだわ。

 みんなは慣れてるのか、真顔でそれを見ていた。嫌悪感すら出すのも面倒って顔で。私は……ちょっぴり鳥肌が立った。

 彼女はどうやら王を愛しているらしい。それはもう……とっても。

 もしかして、王も結構色々大変なのかしらなんて同情しかけた。

「さ、肖像画のページを開いてやってごらんなさい。ちぎられていなければね」

 え、それをなめるの? とドキリとしたのは私だけみたい。ああ、そのくらい気合をこめてということね。みんなせっせと作業に移り始めた。

 香水を作るなんて初めて。面白そうだから、私もやってみよう。


 見たこともないハート型の花をちぎって、コーヒー豆をつぶすように取っ手をキイキイとまわす。そうやってエキスを抽出すると、下にセットした小瓶に入るしくみらしい。本当ならここでいい香りがし始めるんでしょうけれど、生憎さっぱり分からない。

 首を傾げつつ、説明も見ずに次々に入れていった。王をイメージと言われても。

――『君を抱いてやるということだ』

――『部屋はどこだ』

――『契約成立だな』

 ろくな記憶が出てこない。むしゃくしゃしながらポイポイ花を入れてふと手を止めた。

 

 あ、途中の確認を忘れていたわ、とビンを取り出してみる。薄いピンクだったものが、いつのまにやらカーキ色のどぶ臭い色になっていた。

 どうしよう。どうやらこれが王をイメージして作った私の作品らしい。

 色から察するに相当悪臭を放っていそう。

 ……あながち間違いでもないかも。

「できあがった香水は成績をつけるから一部提出してちょうだいね。残りは自由に持って帰っていいわよ」と彼女が教室を見回る。

「あの、ミス……ミスター……先生!」

 どちらで呼びかけるべきか分からず、無難に先生プロフェッサーを使った。

「イエース」と振り返って「何かしらえっと……」

「ソフィア・クローズです」

「クローズちゃんね。まあ可愛い唇とお目めだこと!」

 そう言って太い眉を上下させる。

「あ、ありがとうございます。先生、これなんですが」と小瓶を手渡す。

 その色を見て、彼女は目を大きく開けて唇を内側へ巻き込んだ。鼻の穴が目と同じくらいに大きく開く。

「あぁ……そうね」と完全に困ったように眉をひそめて鼻をこする。

「よくできてるわ、……多分」とまるで汚いものでも返すかのようにつまんで返した。香りを確認することなく。

「さあクローズちゃん、つけてごらんなさい!」

 本当に? 大丈夫なのこれ! と思いつつもイヤですとは言えなかった。

「あ……はい」

 ほんの少しだけ手首につけて嗅いでみた。ネズミのような匂いがしてなければいいけど。

 

 †

 

 授業が終わって部屋に戻る。その途中クンクンと手首を嗅いでみたけれど、まだ鼻腔に先生の香水がたまっているみたい。よく分からなかった。

 もしかして自分がとんでもない悪臭を放ちながら歩いているんじゃないかって気が気じゃない。念のために遠回りして人通りの少ないところを歩く。

 

 そのとき背中にドッと衝撃を感じた。後ろから思い切り押されるような。転びはしない。どうやら誰かが抱きついてきたらしい。思わず声をあげそうになったのを何とか耐える。

「はぁ……いい香りじゃないか。私のためにオシャレをしているのか?」

 その香りの元を探すかのように髪や首筋に鼻先を滑らせる。この心臓をゾクリとさせる声。わずかに見える黒い髪の持ち主は――

「へ、陛下……っ」

 嘘。どうしてまた。香水が変なにおいじゃなくてよかった、なんて安心している場合じゃない。

「何を驚いている。契約したではないか」

 王は私の前に優雅に回り、親指の腹で頬をそろりと撫でた。

「今日は君をディナーへ誘いに来た」と何を考えているのか分からない笑みを浮かべる。

「ディナー……」

 どうして? どうしてここが、私の居場所がわかったの? 名前も言わずに逃げてきたのに。

「君のその安物臭いドレスがファーストやセカンドなわけがないからな」

 私って顔に全ての疑問文が呪文のように浮き出てるのかしら。王は何を尋ねられるでもなく的確に答えを返す。

 漆黒の瞳に戸惑ったような私が映りこんだ。

「け、契約……。何のことでしょうか」

 とぼけるしかない。ここにいることが知られた以上、これから延々とまとわりつかれるかもしれないんだから。それだけは絶対にイヤ。

「ほう、シラを切るのか」

 王は腕を組んでジッと私を見下ろす。それだけのことなのに、英雄の肖像画みたいに絵になる。

 だめだめと頭を振って正気を保った。

「どなたかとお間違えになったんでしょう。この通りこの世界はいつも暗いですしね」と足を踏み出した。

「だったらこれは何だ?」腕をぐっと強くつかまれる。

 王が指をはじくと、あのとき感じたヒンヤリ感が首に巻きついていった。

 おそるおそるそばのガラス窓に映る自分を見た。首に青白い光が巻きついている。まるで首輪のような。まさかヴァンパイアとの契約の印?

 そんな……!

 無意識にそれに触れようとした。でも少しの冷気を指先に感じる以外の感触はない。

「この契約はそれが果たされるか、双方の合意によってのみ解消される。破ればそれ相応の報いを受けるというわけだ。それに――」

 王は私の顔を覗き込んだ。何もかもが整った、非の打ち所のない顔。

 形のいい唇の端がくいと上がった。そのわずかな動きさえセクシーに見えて、ドキッとする。

「君は夜盲症のヴァンパイアがいるとでも思っているのか?」

「……」 

 そうだった。

 大事なことを忘れてた。分かっていたはずなのに、どこかで人間の外見に騙されていた。そうよ、彼らは人間とは違う。暗かったから私の顔が分かりづらかったなんて、ありえないんだ。まるで昼間、太陽の下で出会うかのように彼にはしっかり私が見えていたんだから。

 あんな首輪まで見せられては、もう誤魔化せない。

 忘れていた頭痛がぶりかえしてきた。

「で? 返事は?」

「ああ今夜は……ちょっと」

「私の誘いを断るのか」と彼は右手で私の肩をゆっくりと押していく。

「た、確かに“その他の誘いは断らない”とのことに同意しましたけれど、私も色々とやることがありますから」と後ずさりする格好になりながら拒否の弁を述べた。

 トンと冷えた壁が背中に当たる。王は深呼吸するかのように息を深く吸って吐いた。

「なるほど……」とゆっくりと視線を下へ移し、またゆっくりと視線を戻す。その艶冶(えんや)な仕草にひっかかりを覚えた。

 足元がやけにスースするような。

 王の視線をなぞるようにゆっくりと下を見て絶句した。

「な、何これ!」 

 て、手が! 自分の手が勝手にドレスのすそをまくし上げている。ちょっと、どうして? 手を放さなきゃ! 早く!

 自分の手なのに誰か他の人の手になったかのよう。全身の力を掌へこめているつもりなのに、これっぽっちも言うことをきかない。指が全て石になったかのよう。

 なのに私の意思に反してスカートは徐々に徐々に上がっていく。ふちが膝の上を滑って太ももをなでる。こんなの知らない人が見れば、きっと私が王を下品な方法で誘っていると思ってしまうわ!

 全身から汗がふき出し、助けを求めるように王を見上げた。

「言っただろう。その他の誘いを断ることは許さん。破れば……“君から私を誘惑してもらう”と」ゆっくり耳元へ唇をよせてくる。

 わ、私から……何ですって? 

「そんなこと聞いて――」

「それを言う前に君が了承したのではないか。人間界では隅々まで契約書に目を通せと教わらないのか?」

 端整な顔がすぐそばにある。まだあの香りを探しているのか、酔いしれたようにあちこちに顔を近づけて動く。そのたびに冷たい鼻先が肌に触れてゾクリとした。

 その間も私の手は止まらない、きっともうギリギリのライン。

 ああ、冗談じゃないわ! 嘘でしょう? 夢なら覚めて!

 恥ずかしさで顔が痛い。心臓が動きすぎて口から飛び出てきそうだった。

 王はゆっくり顔をあげると、片手で頬を潰すように掴んで無理矢理自分の方を向かせた。乱暴すぎて痛い。

「どうするんだ」

 王の涼しげな目元を至近距離で見つめる。なんて冷たい目。冷たい声。冷たい手。

 どうするんだと言われても、契約上この“誘い”を断ることなんてできるはずがない。断れば私から王を……。その有様を想像するとゾクリとして身震いした。

「わかりました」とほとんど口を動かさずに言う。他に選択肢なんてない。

 その途端、首に巻きついていた冷たさはなくなって手は自由になった。ドレスがフワリと落ちて再び足を覆う。でも手放しで喜べるわけじゃない。

「ついてくるといい」

 エスコートもなしに王はスタスタと先を歩き出した。その背中を見て思う。


 最悪の事態到来だわ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ