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3.悪魔の契約

 手元の絵をじっと見つめる。昨日描いたあの月の絵。

 もしかしてマズかったのかな。王に話しかけられておいて、あんな風に逃げ出すなんて。無礼だと言われれば、否定のしようがない。

 でもあのままあそこにとどまっていたらどうなっていたかと思うと、やっぱり正しかった気もする。

「はあ……」

 ダンダンダンダンと乱暴に扉をノックされた。

 驚きに大声を出しそうになったのを、寸前で空気と一緒に飲み込む。絵を引き出しにしまって「はい」と返事をしながら開けにくい木の扉を思い切り引いた。

 ガコッと嫌な音を立ててそれは開く。もう一度「はい」と言って来訪者を見た。フワフワ浮かぶ半透明のゴーストさんだった。

「こんばんワニの爪」と真顔で言い放つ。

「はい?」

 わけの分からないことを言う彼女は突然私に向かって突進してきた。

「あぁっ!」

 体をすり抜けられ、その冷たさに思わず前かがみになった。まるで氷水を浴びせかけられたかのよう。冷たいというより痛みが勝った。氷をほお張ったかのように頭がキンとする。

 何? 何なの?

「異常なしのつぶて」

「あの!」

 部屋の中をグルンと一回りして彼女はそれだけ言って帰ろうとした。呼び止められた彼女は上半身だけを壁から見せて「何ですかんぴょう?」とそばかすだらけの青白い顔をこちらに向けた。相変わらず表情がない。

「あの、ご用件は何ですか?」

 これって、部屋に入る前に向こうが言うべきことのような気がするんだけれど。

「昨日お庭で不審者が出たとのことですので、その調査に」

「不審者?」

「ええ、なんでも陛下の頭から白い袋をかぶせた輩がいると。あれ、ドレスだったかしラッパ。それともコート?」と思い出すかのように眉をハの字にする。


 かなり記憶があやふやのようだけれど、“陛下の頭から袋かドレスかコートをかぶせた”ですって? そんな変な人がいるの? この後宮に? そんなことをして、よく無事だったな思う。まあ、だから今探しているんでしょうけれど。

「あなたじゃないですよネんごろ?」熟練刑事のような鋭い眼光を向ける。

「私やってません」と首を横へ振った。嘘じゃないことを言うのは簡単。

「よろしい」と上半身を壁の中へ入れた途端、廊下から悲鳴があがった。多分彼女に体の中を通り抜けられたんだろう。気の毒に。あれはとても耐えられるものじゃないわ。たとえ一瞬でも。

 その時彼女の腕がヌッと壁から現れ、机の上にヒラリと紙を一枚置いていった。

「何かしら」

 置かれたどうやらチラシらしいそれを手に取った。

「絵画コンテスト……?」

 

「ソフィー!」

 その声に振り返った。ミセスグリーン専用出入り口、窓のそばの壁の穴から彼女が姿を見せた。心なしか少し興奮しているみたい。

「聞いたかい?」と尋ねる。

 あのことかしら。早耳ね。

「ええ、誰かが陛下の頭から袋かドレスかコートをかぶせたんですってね」と言うと彼女はきょとんとして小さな目を瞬かせた。

 あれ、そのことじゃないの?

「そうなのかい? そりゃ……大変だね」と肩をすくめる。

「どうかしたの?」

 それに気を取り直したらしく、

「陛下が……ああ、チラシをもらったんだね」

 ミセスグリーンが私の手元を見てそう言う。

「当然参加するんでしょう?」

 心なしか目をきらめかせて彼女は言った。

「あーそうね……」

 正直なところ迷う。絵を描いているときに王と出会ってしまって、今度はその彼が主催するコンテスト。もしまたやっかいなことになったら……。

「まさか不参加?」

 あからさまに肩を落とす。かと思いきや、

「優秀賞の賞品を見たかい?」と得意げに足先をくるりと回した。

「賞品?」

 やけに楽しそうな彼女を不思議に思いつつ、チラシを確認した。

「えっと――」


 ○国王主催 絵画コンテスト開催のお知らせ○

 【参加資格】

 後宮に住む全ての女性(得手不得手不問)

 【テーマ】

 月

 【参加規程】

 応募可能枚数 一枚

 サイズ    自由

 画材     自由

【応募方法】

 締め切り当日までに各棟の管理人へ名前を書いて提出

 【締め切り】

 ジュノーの月二十三日

 【賞】


「優秀賞一名、メダルの授与と副賞。国王との豪華ディナー……」

 そこで読み上げるのをやめ、チラッとミセスグリーンを見た。

「これ?」

「次、次!」

 そこで再び視線を落とす。

「全ての画材を用意した個人ア……アトリエ?」

 自分の言ったことが信じられず、もう一度そこを確認した。けれど間違いなくしっかりはっきり書かれてある。

「アトリエって本当にアトリエ?」

「そうよ。そこで絵も描き放題じゃない!」

 “ほほほほ”と笑い出しそうに言う。

 わあ、さすが強国の王ね。絵のコンテストの優秀賞でこんな豪華な賞品が出るだなんて。きっと資産がありあまってるんだわ。

 どうしようかしらと思いつつ、少し放心状態でベッドに腰かけた。だって個人アトリエでしょう? しかも画材まで用意された……。


 アトリエ……アトリエ。何だろうこの焦燥感にも似た気持ち。まるでアトリエという言葉に恋をしてしまったみたい。そりゃあ取らぬタヌキのなんとやらだと分かってはいるけれど。

 王とのディナーはちょっとありがたくない。でもアトリエに関しては、正直言ってとても魅力的な賞品だわ。ミセスグリーンはそんな私の心情を読み取ったかのように、

「あー、王がどうとか考えずにやってみればいいわ。ディナーだって美味しい食事ができるくらいに思っておけばいいんだもの。せっかくのイベントですからね、楽しまなきゃ損、損!」

 ミセスグリーンはいつも明るくて、言葉に温かみがある。人間で言えばきっと、真っ赤なホッペの肝っ玉母さんなんだろうなと思った。

 けれど問題が一つ。

 あの時、唯一持っていたエンピツを忘れてきてしまったこと。


    †


「やっぱりないな……」

 昨日の湖のほとり、座っていた岩の傍へロウソクを近づけた。ぼんやりと映し出される草の間からピョンとバッタ(のようなもの)が飛び出てきた以外には何もない。

 まさか王が持って帰ってしまったのかしら。あんな何の変哲もないエンピツだから捨てて行ってくれたんじゃないかと期待したけれど、もしかしたら湖の方へ投げられてしまったかもしれない。そうなると困ったわ。管理人さんに言ったらくれるのかしら。どうしよう。

 ふうとため息をつくと、風もないのにフッとロウソクの明かりが消えた。

 え、まさかさっきのため息で?

「そこで何をしている」

 ヒヤッとした。暗がりに誰かいる。

 それにちょっと待って、このどこか心地よい低音ヴォイスは……。

「何をしているんだと聞いているんだが?」

 月を覆っていた雲が、ゆっくりと流れて光に道を譲り始めた。

 振り返った先にいたのは、月光に照らされたあの人だった。漆黒の髪と瞳。やっぱり見とれるほどに美しかった。実体のある幻想のよう。

 でもすぐ正気に戻った。

「へ、陛下……」

 何てこと。王がお庭を鑑賞するときはいつも誰からともなく情報が入って後宮全体が浮き足立つ。それが今日はなかったから、安心して探しに来たというのに。突然どうして……。

「何か探しているのか」

 今日、シーツをかぶって出なかったのは正解だった。適当にごまかして乗り切るしかない。

「じ、実は……か、髪飾りをなくしてしまって」

 声を出すのが怖かったけど、多分シーツでこもっていたからバレないはず。そうは思いつついつもより少し高めのトーンで話してしまう。

「“髪飾り”……か」どこかがっかりしたように王はそう言った。

 けれどそれは一瞬のこと。私の隣へそっとかがみこむと、まるで品定めをするかのように上から下まで私を流し見た。

 すごく居心地が悪い。早くどこかに行ってくれないかしら。彼は薄く笑うと、くいっと私のアゴを持ち上げた。

 それに二度ドキッとした。


 一度目はステキな男性に見つめられる緊張感で。二度目はヴァンパイアという存在に初めて触れられ、心臓がゾッと冷えるような感覚がして。

 反射的に体をこわばらせる。手を振り払うなんて怖くてできない。


「今夜」と言った彼の黒い目は潤ったように熱を帯びていた。

 何?

 何か続きがあるのかと待っていたけれど、彼はそれきり何も言わなかった。

「今夜……?」と先を促す。

「君を抱いてやるということだ。部屋はどこだ」

 抱いて――

 

 何ですって!

 はっきりと意味を解して頭がパニックを起こした。

 私を……抱く?

 カッと体の中が熱を発した。顔が火を吹きそうになるって、このことだったのね。心臓が急激に速度をあげた。

 私だっていつか誰かと“そうなる”こともあるって思ってたけれど、それが突然現実のものとなろうとしているなんて。それも相手は外見だけが取り柄の悪魔じゃない。

 じ、冗談じゃないわ!


「ど、どなたかをお探しになっているんでしょう? そんなことをしておられる場合ですか。それに何か勘違いなさっているようですが、私はとんでもなく“愛嬌のある顔”ですし、それにお互い色々と用事がありますから。せめて今夜はやめておきましょう。ほら、月を見ませんか。あんなに美しいんですから。ああ、そういえば絵のコンテストがあるらしいですね。その題材も月だとか。陛下もお好きなんですね、月……」 

 必死に話をそらそうとした。もう自分でも何を言っているのかわからない。とりあえず思いついたことを口走った。なのに――

「部屋はどこだ」と王は冷ややかに尋ねる。

 有無を言わせない口調だった。笑顔もない。

 軽く怒ってるのかもしれない。

 でも、答えられるはずがなかった。言えば連れて行かれて……。

 押し黙っていると、背中のドレスのヒモを引っ張られそうになった。その手を押さえつける。同時に草の上に押し倒された。

「――っ!」

 背中に鈍い衝撃が走った。同時に草の香りがムッとわきあがる。

「私は気が長いほうではない。ここですませる」

 私の上にまたがりながら、王は自分のスカーフに手をかけてスルリと取って放り投げた。

 “すませる”だなんてヒトのことをまるでカフェの軽食みたいに!

 お腹に彼の重みがずっしりと加わる。押しのけようにも背の高い男性を動かす腕力なんてなかった。

 私の奮闘を知ってか、わざとらしくますます体重をかけてくる。く、苦しい……。

「黙っているからだ。すぐに終わる」

 本当に……本気で言ってるの?

 なんて人かしら!

 確かにここの女性は彼のものになるんでしょうけど、いくらなんでも配慮が足りなさすぎる。

 いつもこんなぞんざいに扱っているの? いくら整った顔をしていようと、いくら地位が高かろうと、そんなのって最低!

「始める前に名前を呼んでやってもいい。言え」

 王はすでに白いシャツのボタンを数個外していた。

 何でもかんでも上から目線の命令口調だなんて。王とはいえ、自分ことをどれだけ買いかぶっているのかしら。内面以外は確かに完璧だけれど……。

 少しでもドキドキした自分を殴ってやりたい!

 王が首筋に顔をうずめてくる。けれどいつの間にか恐怖を忘れ、怒りが込みあがっていた。

「……さい」

「何だ」と王は顔を上げて聞き返した。

「順番を守ってください!」

「は?」と不機嫌そうに左頬をあげる。

「物事には順序があります。まず自己紹介、それからお友達になって、信頼関係を築いて、愛し合って、恋人同士になって結婚をする。それら全て飛ばして何をなさるおつもりですか!」

 それに王は一瞬あっけにとられたようだった。二、三度まばたきをする。

「つまり君を抱くにはそんな面倒な順序を踏む必要があると?」

「は……はい!」

 できるだけ“当然よ”という顔をして答えた。虚勢だってバレていないかしら。本当は頬が震えてしかたないんだから。“くだらない”なんて言われてそのままコトに及ばれるか、怒って噛みつかれるかもしれない。

 怪物になんてなりたくない。純潔だってヴァンパイアになんて捧げたくない。

 お願いです、神様……。ここにおられるならどうか。

「随分お高く留まっているんだな。どこの姫を連れてきてしまったというんだ」

 ああ可笑しい、とでも言いたげに笑う。どこか嘲笑とも取れるそれも今は気にならず、その先の言葉をじっと待った。まるですぐそばを通り過ぎる蛇を岩陰でやりすごそうと身を潜めているカエルのように。じっと。

 彼は上半身を起こして私を見下ろした。口角を上げ、口を開く。

「いいだろう。その手順を踏んでやる」

 手順を踏む……ということは私、助かったの? 

 よかった。ホッと胸をなで下ろした。

「そのかわり」

 まるで戦いを挑むかのような目。

「その他の誘いを断ることは許さん。これを破れば――」

「わ、分かりました!」

 続きを聞くのが怖くて被せるようにそう言った。それにこの場さえ切り抜けられるならなんだっていい。


「では契約成立だ」


 不敵に笑うと、私の首を軽く指で撫でた。なんだかヒンヤリとした空気が首に巻きつく。でもそれは一瞬で消えた。湖から風が吹き付けたのかしら。

 王はそれで納得したように私の上から下りると、立ち上がって手を伸ばした。けれどそれをあえて無視して自力で立ちあがって体をはたく。万一手をつかまれたまま離してくれなかったら困るもの。

 最悪のケースを想定して動かなきゃ。いつか本で読んだ刑事のイロハを頭の中で甦らせた。今も今後も、私の日常の中ではそれほど役立つと思えないけれど。

「で、君の名前は」

 やれやれと息を吐いてシャツのボタンをとめると、王は草の上に放り投げたスカーフを拾って軽く振った。砂を払い終わるとそれを巻き始めた。

 今だわ! 相手が油断してる。


「へ、変な人に話しかけられても答えるなと言われておりますので。では!」

 今までに言ったこともないほどのスピードでまくし立て、最後の言葉が言い終わるか言い終わらないうちに逃げだした。まっすぐ来た道をほとんど考えずに走り抜ける。

 途中木の陰に隠れて息を潜めた。幸い追いかけて来ているようすはない。

 ああ、よかった。名前も言わずにすんだわ。暗かったから顔も見えづらかっただろうし。

 とりあえず、もうあそこには近寄らないようにしなきゃ。

 手順なんて関係ない。これ以上、ヴァンパイアとかかわり合いになんてなりたくないもの。絶対に。

 

 けれど気がかりなのは、悪魔のような契約を交わしてしまったこと。


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