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2.出会い

 部屋を出て古い木の扉を閉めた。ちょうつがいの調子が悪くて、少し戸が歪んでるのを無理矢理こじ開けて使っている。各部屋に鍵はついていたけれど、まるでお手洗いのように内側からしかかからなかった。まあ盗まれるようなものなんて何もないからいいんだけど。

 少し急な石の階段を、ヒンヤリと冷たい壁に手を添えながら下りて行く。けれど周りにも気をつけて歩かないと、万一ここで働いているゴースト侍女さんたちの中を通り抜けたら大変。その真冬の湖のような冷たさに、頭がキンと冷えて失神してしまうこともあるらしい。

 大食堂の前を通り抜け、天井のある渡り廊下を進んでいく。もちろんお掃除や食材を運び入れているゴーストさんらを巧みに避けて。彼女たちもとても気をつけてくれているけれど、おしゃべりに夢中だったりお仕事に集中していたり、出会いがしらに“うっかり”ということもあるから。

 そこでハッと足を止めた。ゴーストさんにぶつかりそうになったわけじゃない。しまったわ、と小さく肩を落とした。広い庭の、よりによって王が鑑賞に来ていた方に来ちゃったんだ。


「陛下……、ああ何とお美しい」

「あ、今、目が合ったわ」

「いいえ、私をご覧になったのよ」

 広い回廊は人でぎっしり詰まっていた。まるでお祭りのように興奮しながらも、みんな梢のざわめきのようにブツブツと何か言っているだけ。傍目から見ると何だかとても不気味な光景だった。一歩間違えれば自分もあの中の一人になるんでしょうけど、絶対にそれは避けたい。だってどう見たって異様な光景なんですもの。ある種オカルトのような。王という“教祖”を崇めている点ではあながち間違いでもないか。

 どうやら彼女たちの視線の先に庭を鑑賞している王がいるらしい。そんな王をオペラグラス越しにさらに鑑賞する(失礼かしら)女の子たちは、誰もかれも頬を染めて熱い吐息を漏らしていた。

うーん、たとえ財布を抜き取られたったって誰も気づかないだろうな。それくらいまるで魂が抜けたかのように惚けていた。

 でもどうしてみんな揃いも揃ってそんな遠巻きに見ているのかしら。やっぱりヴァンパイアといえど王だから、近寄りがたい存在なの? あれじゃまるで王が見世物みたいだわと思った。


 そんな彼女たちを尻目に、その脇をすり抜け広い庭に出た。

 本当のところ、“どんな美術品よりも美しい”と評判の国王が、一体どんな姿形をしているのかずっと気になっていた。好奇心ね。けれど、この群がる女性たちをかき分けてまで見る気もない。向こうは人を襲うんだから。

 飢えた獣に自ら近づくなんて本能的にはきっと間違ってるということ。

 でもそのおかげでベッドのシーツを頭から被って顔を隠す、いかにも“怪しい”と名札をつけたような私を気にする人がいないのはよかった。

 なるべく誰とも関わり合いにならず、ひっそりと暮らしていきたかったから。ごめんね、ミセスグリーン。一人ぼっちの私をとても心配してくれているのに。彼女のことを思うと少し心苦しかった。友人と言うより、まるで本当のお母さんのように優しく気にかけてくれるから。


「わぁ、キレイ……」

 思わずそうつぶやいた。目の前に広がるのは、庭の奥にある大きな湖のほとりだった。まるで二つの空の狭間にいるように、雄大な景色が広がっている。ぶらぶら歩いていて見つけたこの場所。今度ミセスグリーンと一緒に来よう。私たちだけの秘密の場所にするの。気に入ってくれるといいな。

連れてこられた私たちは指定された区域内なら昼夜を問わず(もっとも、お昼なんてない)自由に出歩くことを許されていた。部屋に引きこもってばかりの私にはあまり関係の無いことだったけれど、これを機にミセスグリーンの言うとおり外を出歩いてみようかな。こんなに素晴らしいものが見られるんだから。


 湖の傍にちょうどよさそうな小岩を発見すると、触って濡れていないことを確認してからゆっくりと腰かけた。足元の光る愛らしいスズランに笑みを零す。人間界と違う、この闇に愛された世界ではあらゆる光がとてもよく映えた。虫や植物、あとは精霊さんたちの通ったあとなんかも。まるで流れ星のようにスッと消えるの。

 月と、水と、風と、自然と。

 ヴァンパイアのお城だなんて、こんなに血なまぐさいところにいるのに、それらは変わらず私の心をくすぐる。

 これだけは人間界と何も変わらない。これだけは。


 とても心が安らいだ。ほんのり冷たい風が心地いい。それにとっても静か。

 時々“何か”が水をかいて進む音以外は。

 息を吐くと膝に紙を乗せ、エンピツを滑らせた。絵を描くことで、この光景を切り取って自分のものにできるような気がした。これを部屋に持ち帰ってミセスグリーンに見せてあげよう。彼女はいつも私の絵を喜んでくれる。それがすごく嬉しかった。

「ほう、上手いものだな」

 集中していたところに、急に低い声が降り注いで肩が飛び跳ねた。その拍子に、思わずエンピツを取り落とす。それを彼は、草の間に驚くほどに白い指を下ろしてつまみ上げた。まるで花でも摘むかのように。

「どうぞ」とどこか芝居がかった調子で言う。

「あ、ありがとうございます」

 立ち上がってシーツの隙間からふと彼を見上げた。

その姿に、息が止まってしまうかと思った――

 切れ長の涼しげな目、筋の通った鼻、真っ白に透き通った肌。闇のように黒く指どおりの良さそうな前髪はサラサラと流れ、彫刻のように均整の取れた顔はベールのような月明かりに照らされていた。その少し冷めたような半顔は、夢と現の区別を忘れるほどに誘惑的だった。緊張が走る。鼓動が早まる。火がついたように胸が熱い。  

 黒真珠のような瞳が、吸い込まれそうなほどに美しくて。

 今まで見たたことも無いほど美麗な男性がそこにいた。息をするのも忘れそう。


「……っ」

 受け取ろうとしたエンピツをまた落としてしまったというのに、私の体は石になったかのように、少しもそこから動くことができなかった。彼から目が離せない。動く彫刻の彼から。

 その人は少々呆れたように息を吐くと、また屈んで拾ってくれる。

「まさか君は私をバカにしてるのか」

 そこで初めて気がついた。彼の白磁器のような歯が僅かに尖っている。

 ヴァンパイアだ!

 そう思うと今度は怖さで体が縮み上がった。足がすくんで震える。

 人間の血をむさぼり飲み、人を醜悪な怪物へと変える。銃で撃っても死なず、ナイフで突き刺しても倒れない。ただ心臓に杭を打ち込み、大量の血を吐かせてのみ殺せると。

 これが、あのヴァンパイア。もしかして私の血を狙って来たの? なら私、ここで……。


「ああ、新しくきた人間か」

 けれど彼は意外にも軽い調子で、手のエンピツをクルクルと回していた。物珍しそうに私を眺める。牛を品定めするブッチャー(肉屋)のような卑しい目だわ。シーツで顔を隠していてよかった。姿を見られないですむ。

「その調子では私のことも知らないんだろう」

 全て見透かしたような漆黒の冷えた瞳から、重苦しい威圧感を感じた。居心地の悪さが沸きあがって、シーツを握りしめながら一歩下がった。かかとに岩が当たって転びそうになるのに耐える。

彼は「怖がるな」と笑いを含んだように言う。「私の名はザルク・ヴィン・モルターゼフ(Zaarc Vin Morterzefz)。この城の主で国王だ」

 え?

 国王? この人が?

 確かに彼からは気高い風格や気品が感じられた。まるで見えない空気の壁に遮られているかのように、庶民の私とは一線を画している。スラリと背の高い彼にピッタリフィットした光沢のある黒の貴族服も、襟や袖口を鮮やかに縁取る金の刺繍も、なめらかそうなスカーフやキラキラ輝くスカーフ留めも、何もかもが一級品だろう。なのにこの人がそれらを身につけた途端、それらは彼を引き立てるための脇役へとなり下がる。

 空に浮かぶ月すら、まるで彼の付属品のよう。


 これが王なんだ。これが貴族なんだ。

 そのまばたきにさえ品を覚える。

 王はそんな私の驚きを読み取ったように、口元に小さく笑みを浮かべた。バカにしているのかもしれない。なのに彼のあまりの魅惑的な香りに胸の奥がキュッと締めつけられてざわめく。

 騙されてはだめ。この人はまぎれもなく人間を襲う怪物なんだから。

「で? 王である私に先に名乗らせた、無礼者の君の名は?」美しい唇が私の名を求めて動く。

 王の細い指が私の被っていたシーツに伸びた。まるで蛇に飛び掛られる寸前のような恐怖を感じた。

 やめて! そんな血に穢れた手で触らないで。


 私は胸に抱いた絵を握りしめ、わき目もふらずに部屋へと逃げ帰った。


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