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1.ヴァンパイアのお城

 霧のような雨が降る夜道。一人の男がランタンを手に帰路を急いでいた。靴裏がピチャピチャと雨を跳ね上げる音と、ランタンの取っ手のキイキイ音が壁に当たって反響する。

「ちくちょう、マットの野郎が手間取りやがるから」

 男が悪態をつく間にも、雨足は徐々に強くなっていた。黒い雲が中から膨らむように厚みを増していく。時おりカミナリの閃光が走り、不気味なほどに真っ黒な空を白く照らした。

 闇は極度に人を恐れさせる。人々は太陽とともに活動をやめ、霧のように広がる闇の時間を凍えるように身を潜めて過ごす。風の唸りか聞いてはいけないものの声なのか誰も知りたがらなかった。

 暗がりは悪しきものを引き寄せ、闇は獲物を見つけた蛇のように忍び寄ってくる。

 男は足を止めた。何か気配を感じたのか。ゆっくりと走ってきた道を振り返り、ブルッと身震いをする。さっきよりも早く歩き出した。


 やがて見えてきた家の明かりに、男はヒゲを広げるようにホッと笑みを漏らした。軒先へ駆け込んで頬を膨らませながら息を吐く。軽く雨を払い、やれやれとノブに手を掛けようとした瞬間――

 バサバサバサ

 何かが顔を掠ってすり抜けた。男はすぐにそれを目で追った。だがすでに闇と同化して見ることは叶わない。彼はおずおずと真っ黒に黒ずんだ手で頬を撫でた。目ついたそれにカッと(まなこ)を開く。

「き……気味悪ぃ」

 その指についた自分のものではない血にゾッとして、男は素早く胸で十字を切った。


     †


 小高い丘に建つ暗く巨大な城。壁にはツタが生い茂り、雨の跡はどすぐろい縞模様を描いていた。歴史の重厚さを感じる趣は、その反面どこか薄気味わるさをにじませる。

 壁面はノートルダム大聖堂のようにレンガが芸術的に組み上げられ、ゴシック建築を思わせるような尖頭アーチがアンデスの山脈のように連なる。その樹齢数千年の巨木ような威圧感と存在感にため息を漏らさないものはいなかった。

 そんな闇の者たちが、造形の美しき壮大な城。

 一人の男が高級そうな上着の裾を翻して歩いていた。

 カツカツと軽妙で規則正しい靴音が、吹き抜けのアーチ形の天井を跳ねる。

 

 静かだったあたりは、誰かの必死な足音でにわかにさわがしくなった。

「陛下!」

 大きな声に呼び止められ、しなやかですらりと伸びた足が止まった。

「陛下!」ともう一度。

「何だ」洞窟に響いたような低音で聞き心地の良い声だった。

 その背後でハアハアと息を切らすのはまだ年若い少年。膝に手を当て、呼吸を整えながら上半身を上げる。

「また婚約を破棄されたそうですね! 一体――」

 少年の話を聞き終わらないうちに、黒髪の男は歩みを再開させる。

「お待ちください! これで一体何人目だとお思いですか! いい加減お世継ぎだって」

「くだらん」

「は?」

 少年は毛玉のような茶色い髪を傾ける。

「人間などに一生の愛を誓うなど、くだらんと言っているんだ」

「そうはおっしゃいましてもヴァンパイアに女性が生まれない以上、人間と結ばれるしか! もうこの際どなたとでも……陛下! 陛下っ!」

 聞いているのか聞いていないのか。陛下と呼ばれた男は長い長い廊下を無言で歩いていった。

「婚約指輪、これで何個目だよ」

 少年の掌の中のそれは、女の涙のように月明かりに揺らめいていた。

     

     †

    

――「ねえ、魔術総論のレポート提出した?」

――「あれって来週までじゃなかったっけ?」 

――「何言ってるのよ。明日までよ」

――「うっそ、サイアク!」


 部屋の外から、楽しげな笑い声が聞こえてきた。

「はぁ……」

 私の名前はソフィア・クローズ。

 頭すら入らないような小さな窓から、今日も外を眺める。遠くに見えるのは紫色に浮かぶ山々と時おり横切る何か大きな生き物だけ。それでもギシギシ軋む硬い木のベッドや、書くたびにガタガタ揺れる古びた机を見ているよりはいい。まるで牢獄の中のような石造りの冷たい部屋の中で、窓枠に切り取られた世界だけが唯一の安らぎだった。そこから日が差し込むことはないけれど。


「アンタも強情ねぇ」

 そう呆れたように言ったのは、クモのグリーン婦人。クモというのは本当にクモのこと。喋るから“普通の”とは言えないんだけど。

 私は虫嫌いだったから最初話しかけられたときはキャーキャー言ってた。でもこんな何も無いところに長い間いるんだもん。今では良い話し相手になってくれていた。

 旦那さんともう自立した子供さんが(忘れちゃったけど確かたくさん)いて、人間の私よりかなり人生経験が豊富。


「ソフィー、アンタそんな可愛い顔してるんだから、ちょっと色目使えばさすがの“あのお方”もコロッよ、コロッ!」

 彼女は口癖のように私にいつもそう言った。外から鍵を掛けられているわけでもないのに、毎日こんなところに閉じこもっている私を心配してくれてる。

 彼女の言いたいことはもちろん分かるわ。私だってこうして窓の外を眺める以外では、シーツを裂いて部屋の壁を掃除するくらいが日課なんだから。人間界にいた頃はもっと普通にすごせていたのに。

 他の子たちはそれなりに“ここでの”生活を楽しんでいるんだろう。女の子たちの戯れる甲高い声がよく聞こえていたから。

「でもミセスグリーン、私には無理よ。相手が人間を見下すような無慈悲なヴァンパイアだなんて」と頭を振った。


 ここはヴァンパイアの王の城、ヘルグスティン・キャッスルというところだった。

 ヘルグスティンというのは、お城の建っている小高い丘の名前らしい。


 そんなお城の主が、ザルク・ヴィン・モルターゼフというヴァンパイア。

 強大な力を持つヴァンパイア王国の頂点、つまり国王らしい。大変に見目麗しい人物だと小耳に挟んだ。まるで彫刻のようだと。

 けれど彼は人間をひどく見下している。

 二百年以上という在位期間にもかかわらず、正妃の座はずっと空席。そこに近いと言われていた女性に「私が本気で人間など愛すると思ったのか?」なんて言ってあざ笑ったらしい。

 人を一生愛する気なんて一切ない。それなのにここの子たちったら”自分こそは”なんて喜ぶんだから付き合ってられなかった。


 そう私は後宮にいた。

 断っておけば私はごく普通の人間で、決して穢れた吸血鬼なんかじゃない。ある夜、眠っているところを誰かに(もしくは何かに)無理やり連れて来られ、気づいたらここにいた。きっと他の子たちも同じだと思う。あまり話したことがないから知らないけれど。

 私の住んでいた町がどの方向にあるのか、ここが一体どんな場所なのか、どんな者たちが住んでいるのかもまだよく分からない。ただ真っ白な顔の背の高い女性に部屋に放り込まれ、ドレスを投げつけられ、一言こう言われた。

――『逃げようだなんて考えないほうがいいわ』


 逃げるも何も、まず状況説明をするのが筋じゃないかしら。ここが人間界とは異なること。後宮であること。その中から王妃が選ばれること。せめてヴァンパイアがその相手だということくらい教えてくれたっていいのに。すごく不親切なんだもの。

 ミセスグリーンが私のかたくなな様子にため息をついた。

「ソフィア、ここには人間界から連れてこられた数百人の女性たちがいる。そこから選ばれる正妻以外は惨めな人生を送るのが目に見えてるんだから、この際もっとやる気を出すの。あんたみたいに純粋な人間になら、王もきっと心を許して一生の愛を誓ってくれる。女は度胸よ、度胸!」

 

 情報源はもっぱらミセスグリーンだった。いつもこうして教えてくれる。ここがヴァンパイアのお城だということも、私が知らぬ間に後宮入りさせられたということも、そして二度と人間界へは帰れないことも知った。その事実にどれだけ絶望したか。

 それに“後宮”ということは、王にその身をゆだねることを暗に了解しているということ。ただでさえそれが屈辱的なのに、加えて相手はヴァンパイアだなんてありえない。

 けれどそれを私のように悲観している子なんていなかった。みんなプリンセスになれるチャンスが巡ってきたとばかりに、未来の明るく優雅な生活を思い描いていた。ここでは誰もがシンデレラ気分。心から王のことも慕っているようだし。

 冗談でしょう、と思う。ヴァンパイアよ? “愛してる”なんて言いながら首筋に牙をたてるんだわ。それなのに……。

 知らないうちに白雪姫のように怪しげなリンゴでも食べさせられたのかしら。惚れ薬か何かが入った。そう思いたくなる。

「今日も陛下がお庭の鑑賞にいらっしゃるらしいから、こんな小さな部屋にこもってないで、早く行っておいで。顔を覚えてもらえるチャンスなんだから」と婦人は長い両手を広げてみせた。

 何も答えないで外を眺めてばかりの私を、ミセスグリーンは慰めるように背中を撫でてくれる。

「ありがとう。でも――」

「そう。ならあまり深く考えずに外の空気でも吸っておいで。エンピツと紙を持ってね」

 クモの表情は私にはよく分からないけど、きっとミセスグリーンは今、とっても優しい顔をしている。 そう思うと、私も少し気が変わった。


 そうよ、王とさえ出会わなければいいんだわ。


あとがき

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