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Short Short Circuit

冷や水を

作者: 境康隆

「バカ野郎!」

 今日も炸裂する部長の罵倒。

 いやはや、部長の罵声を浴びている間は本当に生きた心地がしない。

 会社の営業部門。その上司と部下。部下の成績の悪さを叱責する上役。よくある光景かもしれないが、俺の上司は少々人間がガサツだった。

 その他の社員もいる衆人環視の中で、上司は何の遠慮も考慮も配慮もなく声を荒げる。

「売れませんでしたじゃねえよ! それじゃおめぇを雇っている意味ねえんだよ!」

 部長の叱責は尚も続く。叱責になっているだけまだいい。これが更に頭に血が昇ると、ただの暴言になる。

 根性がない。自覚がない。覚悟がないとかならまだいいのだ。

 バカだ。無能だ。給料泥棒だなんだと言葉を浴びせられるのは、本当にいつ終わるのだろうかとそのことばかりを考えてしまう。

 今日も暴言コースだろうか。長い上に意味のないその罵詈の数々。ただひたすらに汚い言葉で、俺の営業成績のふるわなさを責めるのだ。よく俺もこの仕事が続いていると思ってしまう。

「俺の若い頃はだな!」

 こっちか。こっちのパターンできたか。俺の若い頃はだなのパターンだ。

 暴言コースより更に無意味な上に無駄に長いその昔話。今とまったく違う経済状況の中でとった契約や、販売した商品の自慢話を延々と聞かされるのだ。

 時代だったんでしょ。その頃は何処の商品も売れたんでしょ。景気もうなぎ昇りだったんでしょ。

 俺はそう思っても勿論声には出さない。

 それにしてもこの部長の営業武勇伝は、聞く度に内容が大きくなっていく。

 販売実績額の桁がいつの間にか一つ増えていたり。契約を取った相手の役職が人知れず上がっていたり。社内トップをとった回数が自然と増えていたり。昔の話は美化されるとはよく聞くが、そんな話を基準に叱責を受けるこちらとしては堪らない。

 一通り昔話を聞かされた後、部長は俺の販売が上手くいかない理由を聞いてきた。

 やれやれ。やっと営業報告らしくなった。

「商品に魅力がありませんだ?」

 便利だとは思うんですけどね。わざわざ必要かと、売っている俺ですら思うんですよ。

「玄関すら開けてくれませんだ? 俺が現役の頃は、ドアが開いたら足を差し入れたぞ!」

 昔とは違うんですよ。建物のセキュリティも高ければ、犯罪まがいなことをしたらあっという間に不祥事として世間を駆け巡る時代です。

「商品の説明をしても、要らないの一言で片づけられますだ?」

 食い下がってはいるんですけどね。その点は俺にも営業の意地がありますから。

「何度も説明しろ! 一度話を始めたら、相手が根負けするまで商品を売り込め! 俺が現役の頃はな――」

 あの話がくる。俺は直感した。この話はいつも聞かされるのだ。

「バケツ一杯の冷や水をぶっかけられても、ニコニコと笑って商品の説明を始めたぞ!」

 部長。最初聞いた話では、コップの水でしたよね。それ。

 いつの間にか花瓶の水になり、金魚鉢の水になり、パケツになりましたよ。冷や水なのも、後から設定が加わりましたよね。

「水をぶっかけられてからが、俺達の本当の商売だ。そっからが俺達の営業だ。違うか?」

 いえ、違いません。

「てめえも、俺みたいに! バケツ一杯の氷水をぶっかけられてから、商品の説明をしやがれ!」

 部長。水がランクアップしてますよ。


「要らねえって! 言ってるだろ!」

 俺は部長のいつもの叱責をやり過ごすと、もう一度営業に出た。

 結果は同じ。商品の説明まではこぎ着けても、結局その商品の魅力不足で要らないと言われてしまう。

 たった今もそう。俺はやはり飛び込んだ玄関先で拒絶に遭っていた。

 勿論一度や二度断られたぐらいで引き下がるようなことはしない。

 部長の雷も怖いが、やはり俺にも意地があるからだ。

 それこそ冷や水を浴びせらるなど望むところ。待ってましたとずぶ濡れで商品を説明してやる。

 だが最近はお客様もやはり大人しい。一線をなかなか越えない。それは売る側が足を差し入れてまで、お客様に食いつかないのと同じだ。

 だが今日は違った。

「しつこいな! これでも食らいやがれ!」

 きた――

 俺は全身を覆った冷たい感触に、ついにその時がきたことを悟る。

 俺は冷や水を浴びせられたのだ。今の時代にも、売り込みを追い払うのに水をぶっかける人がいたのだ。

 だがそれは望むところだ。

 俺はずぶ濡れになりながら、ニコニコと笑ってあらためて商品の説明を始めた。

 私ども商品はこんな時にも便利なんですよ。突然の雨でも大丈夫。携帯乾燥機。お一つ、いかがですか――

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