記録のコト
①導入 深夜の事務所
3ヶ月休みなし。理由が秀逸。「申請を出していなかったから」
普通に休みかと思って家にいたら「無断欠勤しないでください」といわれた。
週に1日は法定休日だと思うが、ここは治外法権区域らしい。さすが不動産管理会社。
言い訳をするのも面倒だったんで、奥歯のクラウンが軋む程度に言葉を飲み込んだ。
瞼が重いような気がする。
切り貼りの契約書を作成しながらこのまま椅子から転げ落ちて
どこか遠いところに行けたらいいのに、と思う。
でもそんな余裕はない。
異世界転生とか、異世界転移とかって、それまでのプライバシーが赤裸々になるなぁ…などとぼんやり考えながら、管理物件の町名変更に伴う集積所リストの更新作業中にふと気づいた。
「鷹野」という入居者の契約開始日が空欄になってることに。
②展開 台帳を辿る
システムエラーかと思って前の管理会社から引き継いだ紙の台帳を引っ張り出してみた。
鷹野の名前はある。
でも日付がおかしい。
修正液で塗られてる箇所がある。
修正テープでも修正印でもない、あのマニキュアみたいなゴトゴトの手触りがのこるあれだ。
裏から透かして見たら数字が読めそうで読めない。
眠すぎて目が霞んでるのか
それとも本当に読めないのか
判断できない。
更新日に更新されているだけで、家賃が少しずつ上っているくらい。滞納なし。
まぁ、管理人かだれかと知り合いっていう話かもしれないけれど、なんとなく気になった。
しらず噛み締めてる奥歯がズキっとする。
台帳を閉じて、顎の力をそっと抜いた。
歯医者の予約もなかなか取れないままでいるなぁと思った。
③転 朝の集積所
「気になるなら確認しに行けばいいじゃない」とあっさり言われて、月曜の朝、始発で現場確認へ一人でいくはめになった。社用車は使わせてもらえないらしい。縁故ではいった新人が3度ほど軽微な事故を起こして貸し出しは勤務何年目からとかいうへんな掟ができたためだ。
・・・ガッデ…、いや、やめとこう…
前情報を集めたとき、事務所勤務の古い人にいわせると、そのひとは「タカさん」とよばれているらしい。
鷹野だからタカさんか…と思っていた。
町名変更後の新しい集積所にもうタカさんがいた。
私が行くことは知らせていない。
なんというか、「タカさん」としか呼べない風格?みたいなものがあった。
場所が変わることも、知らせていない——いや、関係住人のポストにお知らせを入れた程度だ。それも、担当区域の人が配っただけ。タカさんに直接伝えた人間は、誰もいないはずだった。
「……おはようございます、管理会社のものです」と曖昧な挨拶に対して
タカさんは無言で頷いて集積所のゴミを静かに整え始めた。
たぶん、いつものように。
私はその横でぼんやり立ってる。
なんというか、スッキリする空気なのに、ひたすら眠いし、だるい。
このまま風に吹かれてどこかに飛んでいきそうな気がする。
そのとき、タカさんがゴミを払うついでみたいな仕草で
私の肩の方に向かってさりげなく手を動かした。
何をしたのか、わからなかった。
でも体が、少し軽くなった気がした。
④結 帰り際
集積所を後にしようとしたとき
タカさんが前を向いたまま呟いた。
「……ちゃんと寝えよ」
私は振り返らずに答えた。
「はい」
なんで素直に返事したんだろう、と思いながら
足が、さっきより前に出た。
⑤エピローグ 事務所で
上司にゴミ出し以外のことを報告しようとしてやめた。
「鷹野さんの契約開始日が空欄でした」
そう言ったら
「前の管理会社のミスじゃないの」
で終わる未来が見えたから。
そうかもしれない。
そうじゃないかもしれない。
システムの空欄を、そっとそのままにした。
奥歯は、いつもより軋まなかった。




