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3/6

舞と菖蒲

帝都の西、石畳の奥にその屋敷はあった。


門構えは質素だが、庭石の据え方と灯りの数で、格が知れる。


有名な商家――双葉屋。


今宵は内々の宴。政財界の客が集うという。


刹那は駕籠を降り、ゆっくりと高下駄を鳴らした。


三枚歯が石を打つ音は、一定だ。揺らぎはない。打掛は深い紅。金糸が灯りを吸い、静かに光る。髪には幾本もの簪。その中に、刃を仕込んだものが三本。袖の裏には鋼糸。帯の内には細針。


そして――刃を仕込んでいない簪が一本。


死んだ姐さんの形見を持ち刹那は顔を上げる。


笑みを貼り付ける。


案内された座敷は和洋折衷だった。


畳の上に並ぶ洋酒の瓶。壁に掛けられたガスランプ。軍服の男、洋装の実業家、和装の年配者。


視線が一斉に向き刹那は一礼する。


「本日はお招きいただき、ありがとうございます」


遊女言葉は柔らかく、甘い。だが目は冷えている。 


舞が始まる。扇を開く。白い指先が弧を描くが足運びは静か。だが高下駄の重さは、常に地面を捉えている。


不測の事態にも即応できる重心。刹那は舞いながら、座敷を測る。


出口まで七歩。庭へは障子二枚。柱は三本。

客の酔いは深い。標的は今夜はいないので単なる接待だと思っていた。


ふと、視線を感じ舞ながらそちらを見た。


欲でもなく、品定めでもないただ、まっすぐな視線。


刹那は視線の主を見る。端の席に、ひとりの男。年は二十代半ば。和装だが、華美ではなく周囲と違い、酒をあまり飲んでいない。


目が、澄んでいる。


値踏みではない。観察でもない。ただ――見ている。


刹那は、ほんの一瞬だけ、足を止めかけたがすぐに舞を続ける。


揺らぎは許さない。舞が終わり拍手と笑いが溢れた。


刹那は盃を持ち、客を回ってゆく。


軍人の隣を過ぎ、実業家に酌をする。そして、あの男の前へ。


「お酒は、いかがなさいますか」


声は甘い。男は小さく笑う。


「少しだけ。強くないので」


控えめな声。刹那は酒を注ぐ。男の指先が盃に触れる。


震えはない。支配の意図もない。ただ、静かだ。


「舞、お上手でした。流石ここ一番の舞の名手だ」


ありきたりな言葉だが響きが違う。刹那は微笑む。


「お世辞でも嬉しゅうございます」


男は首を振る。


「世辞ではありません」


間。


そして。


「あなたは、笑うのが上手だ」


刹那の手が、わずかに止まる。


ほんの、一瞬だけ。すぐに動き出す。


「商いの一つでございますから」


声は完璧。だが心臓が、ひとつ強く打っていた。


宴の後庭に出る。


夜風が冷たい。刹那は息を整える。背後から足音がした。


「お客様。お一人で歩かれますと危のうございます」


男が並ぶ。


「双葉屋の次男です。菖蒲あやめと申します」


刹那はゆっくり振り返る。


「刹那でございます」


菖蒲は庭の灯りを見る。


「この家は、兄が継ぎます。私は、余りものです」


冗談めかして言う。だが目は真面目だ。


「余りものにしては、よく見ていらっしゃる」


刹那は微笑む。菖蒲は首を傾げる。


「何をですか」


「……人をでございます」


少しの沈黙。菖蒲は言う。


「あなたは、疲れている」


その言葉に、刹那の背筋がわずかに強張る。

袖の内の鋼糸に、無意識に触れる。


危険ではない。だが核心に近い。


「そのように見えますか」


「ええ」


即答。


「でも、嫌いではありません」


刹那は、初めて理解する。


この男は利用できるかどうかを考える対象ではない。


むしろ――距離を取るべき相手だ。


座敷から呼び声がした。刹那は一礼する。


「また、お会いできましたら」


決まり文句。菖蒲は答える。


「ええ。必ず」


確信のように。駕籠に乗る。屋敷が遠ざかる。刹那は髪の簪に触れたり


刃のあるものと刃のないもの。


心が、ほんの少しだけ、揺れている。情は命取り。愛は幻想。


そう決めたはずだ。


あの男の目は、嘘を映していなかった。

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