第7話「甲斐の奪還と不死身の鬼」
国府の城が、炎に包まれていた。
赤黒い光を纏った影の軍団が、城壁を駆け上がり、門を破壊していく。
河尻秀隆の五千の兵は——もはや軍としての体を成していなかった。
「く……くそッ! どうなっている!?」
河尻は、城の天守から戦場を見下ろしていた。
その顔は、恐怖で青ざめている。
わずか八百の敵に、五千が蹴散らされている。
ありえない。
ありえるはずがない。
「閣下! 城の後方から火の手が!」
「な……!?」
河尻が振り向くと、城の裏手から黒煙が立ち上っていた。
千代女の仕掛けた火計だ。
「挟まれた……!」
河尻の声が、震えた。
その時——
ズガァン!!
天守の扉が、吹き飛んだ。
そこには——
赤いオーラを纏った、影の山県昌景。
そして、紫紺の瞳を輝かせた武田勝頼。
「ひ……ひぃぃ!!」
河尻は、腰を抜かした。
「俺は……俺は織田の重臣だぞ! 貴様らとは格が違う!!」
「格?」
勝頼は、冷たく笑った。
「貴様はただの餌だ」
刀が、一閃した。
ザン。
河尻秀隆の首が、地面に転がった。
【死者を確認】
【魂魄抽出を実行するか?】
【承諾 / 拒絶】
勝頼は、河尻の死体を見下ろした。
その魂が、微かに漂っているのが見える。
だが——
「……影にする価値もない」
勝頼は、手を伸ばした。
そして——握りつぶした。
グシャリ。
河尻の魂が、砕け散る。
それは黒い粒子となって、勝頼の体に吸い込まれていった。
【魂を吸収】
【魔力が増加しました】
「養分にもならんか」
勝頼は、吐き捨てた。
戦いは、終わった。
河尻軍五千は、ほぼ全滅。
その大半が、影の兵士として勝頼の配下に加わった。
【影の兵士:三千】
数は、爆発的に増えた。
勝頼は、国府の城の天守から甲斐の地を見渡していた。
焼け跡だらけの領地。
荒れ果てた田畑。
泣き崩れる民。
「……甲斐を取り戻した」
勝頼は呟いた。
「だが——これからが本番だ」
「殿」
桂が、そっと近づいてきた。
「河尻を討ち取られました。甲斐は、貴方様のものです」
「いや」
勝頼は首を横に振った。
「まだだ。徳川も、北条も、織田も——まだこの地を狙っている」
そして——
「この荒れ果てた領地を、どう立て直すか」
勝頼は、拳を握りしめた。
戦うことはできる。
だが、統治することは——
「影の将軍たちは、戦闘には長けている。だが、政には向かぬ」
勝頼は、影の山県を見た。
彼は、黙って頷いた。
「……知恵者がいる」
勝頼は、呟いた。
「あいつを呼ぶか」
その前に——
勝頼は、ある場所へ向かった。
甲斐国内、山中にある小さな寺。
かつて、馬場信春が帰依していた寺だ。
「ここに、馬場の遺品があるはずだ」
千代女が、案内してくれた。
寺の奥、小さな祠。
そこに——
古びた槍と、鎧の欠片が供えられていた。
「これが……」
桂が、静かに呟いた。
「馬場様の……」
勝頼は、その槍に手を伸ばした。
冷たい金属の感触。
そして——微かに感じる、魂の残滓。
「馬場……」
勝頼は、静かに呟いた。
「お前が守った命、無駄にはしない」
手をかざす。
【遺品を触媒として魂魄抽出を実行】
【遠隔地の死者を召喚します】
【承諾 / 拒絶】
「承諾」
ズズズズズ……
槍が、激しく振動し始めた。
黒い靄が、槍から噴き出してくる。
そして——
ドン!!
巨大な影が、現れた。
岩のような巨躯。
古傷だらけの鎧。
そして——厳格な雰囲気を纏った、老将の姿。
【抽出完了】
【影武者・馬場信春 召喚成功】
【階級:上級将軍 / 特性『不死身の城壁』を保持】
影・馬場信春が、地面に降り立った。
その瞬間——
周囲の影の兵士たちが、一斉に姿勢を正した。
まるで、敬意を払っているかのように。
影の馬場は、ゆっくりと顔を上げた。
眼窩から、静かな炎が揺らめいている。
そして——
勝頼を、鋭く睨みつけた。
「……勝頼様」
その声は、重く響いた。
「わしは、貴方様を生かすために死んだ」
「……」
「なぜ、このような禍々しい姿で、死人の道を選ばれた」
影の馬場の声には——悲しみと、怒りが混じっていた。
「貴方様は、生きるべきだった。民を救い、武田を再興すべきだった」
「だが、それはできなかった」
勝頼は、静かに答えた。
「武田は滅んだ。俺は、すべてを失った」
「それでも——!」
影の馬場が、声を荒げた。
「死者を操り、復讐に身を投じるなど……! これは外道の所業だ!!」
「外道?」
勝頼は、冷たく笑った。
「綺麗事では、武田は守れなかった」
勝頼は、一歩前に出た。
「誠実に戦い、家臣を信じ、民を想った。だが——裏切られ、見捨てられ、滅んだ」
紫紺の瞳が、激しく輝いた。
「もう、二度と負けない。泥を啜り、死者を喰らってでも、俺は勝つ」
影の馬場は、深く息を吐いた。
「……勝頼様」
その声は、静かだった。
「わしが恐れているのは、外道の所業そのものではない」
「何?」
「そのような力に頼れば、やがて貴方様の心まで影に食われますぞ」
影の馬場は、勝頼を見据えた。
「死を纏い、死を喰らい、死と共に在る。それが続けば——貴方様は、貴方様でなくなる」
「……」
「わしは、それを恐れている」
影の馬場の声には、深い悲しみがあった。
勝頼は、しばらく沈黙していた。
そして——
「馬場」
勝頼は、静かに言った。
「俺は、もう人ではない」
「勝頼様……」
「だが——」
勝頼は、影の馬場を見据えた。
「俺の心が影に食われそうになったら、お前が止めろ」
「……!」
「お前の役目は、俺の盾になることだけじゃない」
勝頼は、言い切った。
「俺が人でなくなりそうになったら、その時は——斬れ」
影の馬場は、目を見開いた。
そして——
「……やれやれ」
深いため息をついた。
「厄介な役目を、押し付けられましたな」
影の馬場は、ゆっくりと膝をついた。
「承知いたしました」
その声は、もう怒っていなかった。
ただ——覚悟を決めた、老兵の声だった。
「この老骨、再び貴方様の盾となりましょう。そして——貴方様の心を守る盾ともなりましょう」
【忠誠を確認】
【上級将軍・馬場信春が麾下に加わる】
【権能『不死身の城壁』が解放される】
【影の軍団の防御力が大幅に上昇】
その瞬間——
影の馬場の体から、灰色のオーラが広がった。
それは、周囲の影の兵士たちに伝播していく。
影の兵士たちの鎧が、より厚く、より頑強になっていくのが見えた。
「これが……」
千代女が、感嘆の声を上げた。
「不死身の城壁……!」
「ええ」
桂も、頷いた。
「馬場様は、武田最強の防御を誇る方」
勝頼は、影の馬場を見下ろした。
「立て、馬場」
「はっ」
影の馬場が立ち上がる。
その巨躯が、月明かりに浮かび上がった。
「勝頼様」
影の山県が、進み出た。
「次の戦は?」
「……まだだ」
勝頼は首を横に振った。
「徳川、北条——周囲はまだ敵だらけだ」
勝頼は、甲斐の地を見渡した。
「まずは、この甲斐を守り固める」
「守る……ですか」
影の馬場が、静かに言った。
「ええ」
勝頼は頷いた。
「この甲斐を、誰にも手出しさせぬ『死の国』に変える」
勝頼は、拳を握りしめた。
「影の軍団で国境を固め、侵入者は容赦なく影に変える」
「なるほど」
影の山県が、ニヤリと笑った。
「恐怖による統治、ですか」
「だが、民は守る」
勝頼は、言い切った。
「俺の民を傷つける者は、誰であろうと許さない」
影の馬場が、静かに頷いた。
「……承知いたしました」
勝頼は、国府の城を見上げた。
「だが、荒れ果てた領地を立て直すには——知恵者が要る」
「知恵者……?」
桂が、尋ねた。
「ああ」
勝頼は、ニヤリと笑った。
「真田昌幸。あの狡猾な男を、呼び寄せる」




