第52話「幕間・継承される赤と黒」
慶長十五年、甲斐。
館の縁側。
老いた桂が——
針に糸を通そうとしていた。
だが——
何度も失敗した。
「……情けない」
桂の声が、震えていた。
「目が霞んで……」
武田勝頼が——
優しく針を取った。
一瞬で——
糸を通して返した。
その手は——
三十七歳の全盛期のまま。
桂は——
勝頼の若々しい手を、自分の皺だらけの手で包み込んだ。
「貴方様の時間は止まっている」
桂の声が、静かに響いた。
「……それが時々、どうしようもなく寂しく、そして愛おしいのです」
勝頼は——
何も言えなかった。
ただ——
彼女の肩を抱いた。
沈黙の時間。
庭先では——
影・馬場信春や影・高坂昌信が、十五年間錆びつかせなかった武器の手入れをしていた。
彼らは——
健在だった。
慶長十五年、桑名城。
本多忠勝の病床。
彼は——
死の恐怖ではなかった。
「何もできなくなった自分」への苛立ちと——
戦っていた。
徳川家康が——
泣き崩れていた。
忠勝は——
呆れたように、しかし慈愛に満ちた目で見つめた。
「泣くな、狸親父」
忠勝の声が、静かに響いた。
「……ワシが死んでも『蜻蛉切』の銘は残る」
忠勝は、続けた。
「……勝頼殿、この泣き虫と、徳川の未来……頼みましたぞ」
最強の男が——
最期に子供のような笑顔を見せて逝った。
慶長十六年、甲斐・躑躅ヶ崎館。
真田昌幸の死に際。
彼は——
布団の上ではなかった。
縁側で——
甲斐の山々を見ながら死のうとしていた。
「影になれば、まだ戦えるぞ」
勝頼が、静かに言った。
「いいえ」
昌幸の声が、静かに響いた。
「……人は土から生まれ、土に還るのが粋というもの」
昌幸は——
息子たちを見た。
「幸村」
昌幸の声が、静かに響いた。
「……家康の首を狙う振りをして、魔王の喉元に食らいつけ」
遺言。
ここで——
「敵対=策」であることが示唆された。
昌幸は——
自然で美しい大往生を遂げた。
設楽原。
真田幸村の修行。
影・山県昌景が——
幸村に「赤備えの奥義」を叩き込んだ。
山県が——
幸村の心臓を霊的に鷲掴みにした。
「燃やせ! 命を薪にしろ!」
山県が、叫んだ。
「それが『赤備え』じゃ!」
幸村の全身から——
赤い気が噴き出した。
修行を終えた幸村に対し——
山県、馬場、内藤昌豊、高坂の武田四天王が揃い踏みした。
「若造。ワシらの『生前の赤』はもう古い」
山県の声が、静かに響いた。
「……これからはお前の『生きた赤』が最強じゃ」
彼らは——
消滅しなかった。
勝頼と共に「外からの包囲」を担当し——
幸村に「内からの刺突」を託した。
影・上杉謙信も——
現れた。
「楽しみだ」
謙信が、微笑んだ。
「人の子が魔王に届くか、見せてもらおう」
慶長十九年。
出立の儀。
真田信之と幸村。
信之は——
徳川方、江戸防衛。
幸村は——
豊臣方、大坂潜入。
勝頼が——
真意を告げた。
「幸村。お前は日本一の兵となって魔王に気に入られろ」
勝頼の瞳が、紫紺に輝いた。
「そして、奴が油断した瞬間に『心臓』を突け」
家康も——
承知の上だった。
「わしらは外から攻める」
家康の声が、静かに響いた。
「お主は中で暴れろ」
家康は、続けた。
「……戦場では本気で殺し合わねば、魔王の目は欺けぬぞ」
「承知」
幸村の目が、鋭く光った。
「……家康殿、演技とはいえ手加減はしませんよ?」
これは——
仲違いではなかった。
「全軍で魔王を挟み撃ちにするための、命懸けの芝居」。
幸村が——
九度山を脱出した。
大坂城へ——
向かった。
勝頼は——
並び立つ四天王や謙信、そして家康と共に、その背中を見送った。
「行け、幸村」
勝頼の瞳が、紫紺に輝いた。
「……仕上げだ。戦国の世を終わらせるぞ」




