第50話「霧の関ヶ原と、迷える裏切り者」
慶長五年九月十五日、早朝。
関ヶ原。
濃密な霧が——
立ち込めていた。
それは——
湿気ではなかった。
石田三成から溢れ出る——
ドス黒い魔力。
視界は——
数寸先も見えなかった。
兵士たちは——
霧の中で「亡者」を見せられていた。
幻覚。
恐怖で——
錯乱していた。
徳川家康が——
床几に座り、霧を見つめていた。
「……濃いな」
家康の声が、静かに響いた。
「魔王の『涎』で溺れそうだ」
武田勝頼が——
隣に立った。
「だが、霧はいつか晴れる」
勝頼の瞳が、紫紺に輝いた。
「……その時が勝負だ」
勝頼が——
前に出た。
「謙信、道を拓け!」
勝頼が、叫んだ。
影・上杉謙信が——
刀を一閃させた。
ズバァッ!!
冷気で——
霧が凍りついた。
視界が——
開けた。
その隙を突いて——
井伊直政と影・山県昌景の「双つの赤備え」が突撃を開始した。
ドドドドド!!
二つの赤が——
戦場を駆け抜けた。
井伊直政の射撃により——
静寂が破られた。
開戦の火蓋が——
切られた。
西軍本陣。
三成は——
秀頼からの「血文字の密書」を顔に貼り付けたまま、指揮を執っていた。
彼の目は——
完全にイッていた。
「撃て。殺せ」
三成の声が、響いた。
「……血を捧げよ。あの方が飢えておられる」
三成の軍配が振られるたび——
西軍兵士は死を恐れぬ「屍兵」と化して突撃した。
かつての理知的な三成の姿はなく——
ただの「呪いの増幅装置」と化していた。
悲劇。
三成に操られた「屍兵」の群れに対し——
武田の影たちが立ちはだかった。
「狂った魂か」
山県の声が、静かに響いた。
「……哀れだが、戦場に情けは無用」
山県の槍が、閃いた。
「成仏せよ!」
影・馬場信春が——
盾となった。
本多忠勝が——
矛となった。
二人の連なりで——
戦線を保った。
死者と死者の——
激突。
西軍の中で——
唯一、呪いに染まっていない部隊があった。
島津義弘率いる薩摩軍。
彼らは——
座禅を組み、動かなかった。
「……まだじゃ」
島津の声が、静かに響いた。
「まだ死に場所ではない」
襲いかかる東軍兵士を——
座ったまま斬り捨てた。
異常な戦闘力。
「三成の呪いも、家康の狸寝入りも興味はない」
島津の目が、鋭く光った。
「……わしらが欲しいのは『極上の死』のみ」
第三勢力としての——
不気味な存在感。
勝頼の背後で——
影・信玄が興味を示した。
「ほう、良い面構えだ」
信玄の声が、静かに響いた。
「……島津義弘か。九州の鬼は、死ぬ時を知っておる」
直接の戦はまだだが——
強者同士が互いを意識した。
戦場を見下ろす松尾山。
小早川秀秋が——
震えていた。
十九歳の若者。
彼は——
優柔不断なのではなかった。
「二つの恐怖」に——
引き裂かれていた。
右耳からは——
「裏切れ……家康につけ……」という家康の脅し。
幻聴。
左耳からは——
「殺せ……血をよこせ……」という秀頼の呪詛。
秀秋は——
頭を抱えて叫んだ。
「あぁぁ! 五月蝿い!」
秀秋の声が、震えていた。
「どっちも僕を殺そうとしている!」
彼の精神は——
崩壊寸前だった。
彼が動かなければ——
数で勝る西軍が有利なまま。
正午。
戦況が——
膠着していた。
家康が——
動いた。
「……小早川の小僧、まだ夢を見ておるか」
家康の声が、静かに響いた。
「……目を覚ましてやろう」
家康は——
味方であるはずの小早川陣に向けて、「大筒」を撃ち込ませた。
轟音と共に——
松尾山が揺れた。
ドガァァァン!!
「ひぃぃッ!?」
秀秋が、悲鳴を上げた。
その瞬間——
真田昌幸が遠隔術式を発動した。
【六文銭・断】
秀秋の耳元で囁いていた「秀頼の声」が——
強制的に遮断された。
正気を取り戻した秀秋が——
生存の本能で叫んだ。
「……撃て!」
秀秋の声が、震えていた。
「裏切りではない、生きるための戦いだ!」
家康の「剛」と——
昌幸の「柔」が噛み合った。
松尾山が——
動いた。
歴史が——
大きく動く瞬間。




