第3話「静寂なる蹂躙」
「松明を高く掲げよ。周囲を照らせ」
滝川一益の冷静な声が、夜の森に響いた。
三千の兵が、松明を掲げて天目山の麓に布陣している。
炎の光が闇を照らし、まるで昼のように周囲を明るくしていた。
「鉄砲隊、前へ。槍隊は左右に展開せよ」
「はっ!」
一益の指示は的確で、迅速だった。
織田家の重臣として数多の戦場を駆け抜けてきた男の、歴戦の采配。
「妙だな……」
一益は眉をひそめた。
「武田の残党が、わずか十数騎でこの三千に挑むとは」
「追い詰められて、正気を失ったのでは?」
副将が言う。
だが、一益は首を横に振った。
「いや。勝頼は愚将ではない。何か——罠があるやもしれぬ」
彼の歴戦の勘が、何かを告げていた。
この状況は、異常だ。
「油断するな。全軍、警戒を怠るな!」
その時——
「来るぞ……!」
見張りの兵が、声を上げた。
一益が視線を向けると、闇の中から何かが近づいてきていた。
黒い影。
いや——黒い鎧を纏った、人の形をした何か。
一つ、二つ、三つ……
数は十数体。
その先頭を歩く男は、紫紺の瞳を輝かせていた。
武田勝頼。
そして、その隣には一人の女性。
北条夫人・桂が、静かに寄り添っていた。
「あれが……勝頼か」
一益の目が、鋭く光った。
あの黒い鎧を纏った兵たち。
松明の光を浴びても、顔が見えない。
ただ、眼窩から青紫の炎が揺らめいているだけだ。
「……人ではない、な」
一益は呟いた。
何十年も戦場に立ってきた男の直感が、告げている。
あれは——人間ではない。
「鉄砲隊、照準! 撃てば分かる!」
一益の命令に、五百の銃口が勝頼たちに向けられた。
火縄が、シュシュシュと音を立てている。
「撃てッ!!」
ドドドドドドドドン!!
轟音が、夜空を引き裂いた。
硝煙が立ち上り、視界を白く染める。
弾丸が、勝頼たちめがけて飛んでいく。
五百発の鉄砲玉。
これだけ撃てば、どんな鎧も紙のように貫通する。
一益は、冷静に硝煙が晴れるのを待った。
そして——
「……やはり、か」
硝煙が晴れた瞬間、一益の予感は的中した。
立っていた。
勝頼も、桂も、そして黒い鎧の兵たちも。
全員が、無傷で立っていた。
カラン、カラン、と音がする。
地面に、弾丸が転がっていた。
影の兵士たちの身体を——すり抜けて。
「隊長……! あれは……!」
「狼狽えるな!」
一益は部下を叱咤した。
そして、即座に次の命令を飛ばす。
「槍隊、前へ! 術者——勝頼を狙え! 本陣を突け!」
さすがは歴戦の武将。
動揺せず、的確に弱点を突く。
勝頼は、ゆっくりと手を掲げた。
「賢いな、滝川」
その声は、低く、冷たく響いた。
「だが——」
「殺せ」
一言。
それだけで、影の軍団が動き出した。
音もなく。
叫びもなく。
ただ、静かに——地を蹴った。
「槍衾を崩すな! 隊列を維持せよ!!」
一益が叫ぶ。
だが——
無意味だった。
先頭を駆けるのは、一際巨大な黒い騎士。
影・小山田信茂。
彼は巨大な太刀を振りかざし——
ズバァッ!!
一瞬で、五人の兵士を両断した。
槍も、盾も、鎧も——すべてを断ち切った。
「ぎゃああああ!!」
悲鳴が響く。
兵たちが槍を構え、影の兵士に突きかかる。
ザクッ!
槍が、影の胸を貫いた。
「やった……!?」
だが——
影の兵士は、何事もなかったかのように動いた。
胸に槍が刺さったまま、敵兵の首を掴み——
ゴキャリ、と首の骨を折った。
「退け! 一旦退いて陣を立て直せ!!」
一益が的確な指示を飛ばす。
だが、影の軍団は容赦しない。
逃げる者を背後から斬り、転ぶ者を踏み潰し、抵抗する者を無言で切り捨てる。
勝頼は、戦場をゆっくりと歩いていた。
桂が、その隣に寄り添っている。
「殿……」
「見ていろ、桂。これが、俺の力だ」
勝頼は、倒れた敵兵の屍に手をかざした。
【死者を確認】
【魂魄抽出を実行】
ズズズ……
屍から黒い煙が立ち上り、新たな影の兵士が生まれる。
そして、生まれた影はすぐに、かつての仲間たちに襲いかかった。
【影の兵士:五十】
【影の兵士:百】
【影の兵士:二百】
【影の兵士:三百】
視界に浮かぶ数字が、どんどん増えていく。
倒した敵が、そのまま味方になる。
数が増えれば増えるほど、戦いは一方的になっていく。
もはや、戦争ではなかった。
これは——収穫だ。
やがて——
戦場に、一益だけが残された。
三千の兵は、もうほとんどが屍となり、あるいは影となっていた。
一益は、血まみれになりながらも槍を構えていた。
その目には、恐怖ではなく——覚悟があった。
「見事な戦いぶりだ」
勝頼が、ゆっくりと歩み寄った。
背後には、数百の影の軍団。
すべてが、紫紺の炎を瞳に宿し、静かに佇んでいる。
「妖術か……」
一益は、槍を構えたまま言った。
「貴様は、人ではないな」
「ああ」
勝頼は頷いた。
「俺は冥府の王だ」
「……なるほど」
一益は、苦笑した。
「道理で、人の理が通じぬわけだ」
そして、槍を構え直した。
「だが——織田家の武が、妖術に屈するわけにはいかぬ」
「来るか」
勝頼は微笑んだ。
「いいだろう。受けて立つ」
一益は、咆哮と共に突進した。
槍が、勝頼めがけて突き出される。
だが——
影の小山田が、それを太刀で弾いた。
ガキィン!!
火花が散る。
一益は体勢を立て直し、再び槍を振るった。
だが、次々と影の兵士たちが割って入り、彼を囲む。
「くっ……!」
一益は四方八方から攻撃を受け、ついに膝をついた。
槍が手から離れ、地面に転がる。
勝頼は、彼の前に立った。
「滝川一益」
「……何だ」
「お前は、小山田とは違う」
勝頼は静かに告げた。
「あれは欲に溺れた裏切り者だった。だがお前は——本物の武人だ」
一益は、血を吐きながら笑った。
「……褒めても、何も出ぬぞ」
「褒めているのではない」
勝頼は刀を抜いた。
「その武勇、惜しい。だが——」
刀が、一益の首筋に触れた。
「死して、余の槍となれ」
「……望むところだ」
一益は目を閉じた。
「武田勝頼。貴様が天下を獲るか、滅ぶか——見届けさせてもらおう」
ザン。
刀が、一益の首を落とした。
そして——
勝頼は手をかざした。
【魂魄抽出を実行】
ズズズズズ……
一益の死体から、ドス黒い煙が立ち昇った。
煙は渦を巻きながら空中で凝縮し、やがて巨大な騎士の形を成していく。
それは、小山田よりも更に大きく、重厚な鎧を纏っていた。
銀の縁取りがされた漆黒の甲冑。
背には、大きな戦旗。
腰には、長大な槍。
【影の騎士団長・滝川一益 召喚成功】
【特性:軍略指揮 / 影の軍団を統率する力を持つ】
影の一益が、片膝をついた。
「……御意のままに、御館様」
その声は、生前と同じく冷静で、そして忠誠に満ちていた。
勝頼は、満足そうに頷いた。
「立て、一益。お前は俺の軍を率いる将だ」
「はっ」
影の一益が立ち上がる。
その姿は、まさに騎士団長の風格だった。
勝頼は、増え続ける影の軍団を見渡した。
【影の兵士:八百】
【影の騎士団長:壱】
まだ足りない。
だが——
「これで、次の戦いが楽になる」
勝頼は桂に微笑みかけた。
彼女は、小さく頷いた。
「殿の力は……無限なのですね」
「ああ」
勝頼は答えた。
「死者は裏切らない。ならば、俺の軍は永遠に増え続ける」
月明かりの下、影の軍団が整列していた。
その数は、もはや一つの軍勢と呼べるほど。
そして——
これは、まだ始まりに過ぎなかった。




