第29話「北陸の鬼と、簒奪の獣」
美濃国、岐阜城。
勝頼は、影・織田信忠と真田昌幸を前に座っていた。
「殿」
影・織田信忠が、口を開いた。
「私が敗れたことで、織田家中の均衡は崩れました」
信忠の声には、静かな理性があった。
「動くのは……北陸の柴田勝家」
「柴田勝家?」
勝頼が、尋ねた。
「ええ」
信忠は、頷いた。
「あいつは不器用な男だ」
信忠の声には、少しだけ寂しさが滲んでいた。
「上杉がいなくなった今、全軍を率いて安土へ向かい、父上を止めようとするでしょう」
「……」
勝頼は、黙っていた。
「だが」
信忠は、続けた。
「奴の真っ直ぐな刃では、あの『獣』には届かぬ」
「獣?」
勝頼が、尋ねた。
「羽柴秀吉です」
信忠の目が、鋭く光った。
「奴は、勝家を利用するつもりでしょう」
北陸、北ノ庄城。
柴田勝家は、城の奥深くにいた。
その手には——
信長が魔王化したという報が握られていた。
そして——
信忠が討たれたという誤った情報も。
「御屋形様……」
勝家の目から、涙が溢れた。
「なぜ人の道を外れなされた」
勝家は、男泣きしていた。
「……くそ」
勝家は、拳を握りしめた。
そして——
懐に、お市の方の絵姿を忍ばせた。
守るべき主家の姫。
想い人。
「信長様が狂った今、お市様を守れるのは儂しかおらぬ」
勝家は、決意を固めた。
そして——
死に装束で出陣する覚悟。
「魔王を討ち、わしも腹を切る」
勝家の声が、震えていた。
「それが、織田家筆頭のけじめよ!」
勝家は、甲冑を纏った。
そして——
全軍に号令を発した。
「全軍、安土へ!」
勝家の軍勢は——
魔に染まっていない、純粋な人間たち。
「鬼柴田」の精鋭。
近江北部、賤ヶ岳。
安土へ向かう勝家軍を——
羽柴秀吉の軍勢が遮っていた。
秀吉は——
輿の上で握り飯を食っていた。
「勝家殿、遅い遅い」
秀吉は、ニヤリと笑った。
「御屋形様はもう、わしが『管理』しておるよ」
「猿ゥ!!」
勝家が、激昂した。
「貴様、御屋形様をどうする気だ!」
「どうもせんよ」
秀吉は、握り飯を飲み込んだ。
「ただ、便利に使わせてもらうだけじゃ」
「……!」
勝家は、歯噛みした。
「全軍、突撃せよ!!」
勝家が、号令を発した。
勝家軍が、一斉に突撃した。
だが——
その時。
秀吉軍から——
魔獣兵団が放たれた。
信長の瘴気で強化された——
異形の獣たち。
「ぐおおおお!!」
魔獣たちが、咆哮を上げた。
勝家軍と秀吉軍が、激突した。
人間と魔獣。
「我らは織田の誇り!」
勝家が、叫んだ。
勝家は、二挺斧を振るった。
ズバァッ!!
魔獣が、紙切れのように粉砕された。
「化け物ごときに屈するな!!」
勝家の気迫は——
魔獣の方が恐れをなして後退するほどだった。
「……ちっ」
秀吉が、舌打ちした。
「まともにやり合うと損害が出るわ。やはり『鬼』よな」
「官兵衛」
秀吉が、後方の黒田官兵衛を呼んだ。
「はい」
官兵衛が、進み出た。
その手には——
呪符が握られていた。
「……『感染』させなさい」
秀吉が、静かに言った。
「承知しました」
官兵衛は、呪符を掲げた。
その瞬間——
魔獣たちの動きが、変わった。
魔獣たちが——
勝家の兵たちに噛みつき始めた。
「ぐあああ!!」
噛まれた兵たちが、悲鳴を上げた。
そして——
その体が、変異し始めた。
屍毒。
変生。
「な……!?」
勝家が、目を見開いた。
そして——
勝家の最も信頼する副将が、噛まれた。
「親父殿……」
副将の声が、震えていた。
「俺を、斬ってくだされ……」
副将の目から、涙が溢れた。
「化け物になりたくない……!」
「……!」
勝家は、歯噛みした。
だが——
勝家は、斧を振るった。
ズバァッ!!
副将の首が、落ちた。
介錯。
「……すまぬ」
勝家の目から、涙が溢れた。
返り血を浴びて——
勝家は、呆然と立ち尽くしていた。
「ははは!!」
秀吉が、下卑た笑い声を上げた。
「いい眺めじゃのう!!」
美濃国、岐阜城。
勝頼は——
遠くから、その様子を感知していた。
冥府の力で——
死の気配を感じ取った。
「……許さん」
勝頼の拳が、震えた。
「戦士の誇りを踏みにじり、魂を汚す外道め」
勝頼の瞳が、紫紺に輝いた。
「必ず俺が、地獄へ送ってやる」
勝頼の声には——
明確な殺意があった。
秀吉への、ライバル認定。
賤ヶ岳。
勝家軍は——
壊滅していた。
部下を全員失い——
魔獣に囲まれていた。
だが——
勝家は、倒れなかった。
単騎で——
仁王立ちしていた。
「来るなら来い!」
勝家が、叫んだ。
「この柴田権六、骨の髄まで織田の鬼ぞ!」
勝家の二挺斧が——
魔獣を威嚇していた。
その姿は——
悲壮で、美しかった。
秀吉は——
その様子を、冷たく見下ろしていた。
「……ふむ」
秀吉は、呟いた。
「まだ生きておるか。流石は鬼じゃのう」
秀吉の目には——
何の感情もなかった。
ただ——
冷たい野心だけがあった。




