第27話「堕ちた麒麟と、美濃の傀儡」
美濃国、岐阜城。
地下深部。
織田信忠は、禁断の蔵の前に立っていた。
重厚な扉には——
無数の封印の札が貼られていた。
かつて信長が——
封印させた蔵。
「殿!」
家臣が、叫んだ。
「それは人の魂を喰らう呪いです!」
家臣の声には、恐怖が滲んでいた。
「開けてはなりませぬ!」
「……構わぬ」
信忠は、冷徹に告げた。
「父上は魔王となり、秀吉は獣を従え、勝頼は死者を操る」
信忠の目には——
狂気が宿っていた。
「……ならば、俺も『人』を辞めねば勝てぬ」
信忠は、扉を開けた。
バリバリ……
封印の札が、破れていく。
蔵の中には——
南蛮渡来の邪教の呪具が眠っていた。
黒い棘。
それは——
人の魂を喰らう呪いの道具。
信忠は、それを手に取った。
そして——
自分の心臓に、突き立てた。
「……ぁ」
信忠の口から——
声にならない空気が漏れた。
絶叫ではない。
ただ——
息が抜けていく音。
棘が——
血管のように全身へ根を張っていく。
ビキビキビキ……
白い肌が、陶器のようにひび割れていく。
「殿……!!」
家臣が、悲鳴を上げた。
だが——
信忠は倒れなかった。
ただ——
静かに立っていた。
その目からは——
光が消えていた。
狂ったのではない。
あまりに正気なまま——
感情だけを切り離された。
悲劇的な状態。
「……これで、いい」
信忠の声には——
何の感情もなかった。
美濃国、国境付近。
勝頼軍が、美濃へと進軍していた。
だが——
「……静かだな」
真田昌幸が、呟いた。
「静かすぎます」
影・高坂昌信も、頷いた。
「鳥の声も、虫の声もしない」
高坂の目が、鋭く光った。
「……そして、敵兵の『気配』がおかしい」
殺気も、恐怖も、敵意すら感じられない。
無機質な気配。
「……何かが、来るぞ」
勝頼が、呟いた。
その時——
前方から、織田軍が姿を現した。
彼らは——
整然と行進してきた。
だが——
その目は虚ろだった。
首には——
黒い棘が埋め込まれていた。
そして——
その目からは——
涙が流れ続けていた。
無表情なまま。
ただ——
生理現象として、涙が止まらない。
「な……!?」
勝頼が、目を見開いた。
「あれは……生きているのですか!? 死んでいるのですか!?」
桂が、悲鳴を上げた。
織田軍の兵たちは——
感情を奪われた生体兵器となっていた。
「突撃せよ」
信忠の声が、響いた。
その瞬間——
織田軍の兵たちが、一斉に突撃してきた。
死をも恐れず——
無言で、涙を流しながら襲いかかってくる。
「迎撃せよ!!」
勝頼が、号令を発した。
影の軍団が、織田軍とぶつかった。
ガキィン! ガキィン!
刀と槍がぶつかり合う音が、響き渡る。
だが——
織田軍の兵たちは、異様だった。
斬られても——
悲鳴を上げない。
ただ——
涙だけが流れ続ける。
内臓が出ても——
止まらずに刃を振るう。
「……なんてことだ」
影・仁科盛信が、絶句した。
「こいつら、中で泣いてやがる」
盛信の声が、震えていた。
乱戦の中——
岐阜城の高台に、信忠が姿を現した。
その目には——
光がなかった。
「信忠!!」
勝頼が、叫んだ。
「貴様、家臣になにをした!!」
「『理詰め』だ」
信忠は、無表情で答えた。
「恐怖も痛みも迷いも、戦には不要な雑念」
信忠の声には——
感情がなかった。
「それを取り除いてやったのだ」
「……!」
勝頼は、歯噛みした。
「勝頼」
信忠が、続けた。
「貴様は死者を無理やり起こして戦わせる」
信忠の目が、勝頼を見た。
「俺は生者を兵器として使いこなす」
信忠は、静かに言った。
「……何が違う?」
その問いは——
勝頼の痛いところを突いた。
死霊術の是非。
だが——
勝頼は、即座に答えた。
「効率だと?」
勝頼の声が、響き渡った。
「貴様が削ぎ落とした『迷い』や『恐怖』こそが、人が人である証だ!」
勝頼の瞳が、紫紺に輝いた。
「俺の影たちは死んでいる。だが、生前よりも熱く、強く、誇り高い!」
勝頼は、叫んだ。
「それを『心』と呼ばずして何と呼ぶ!」
「……そうか」
信忠は、何も感じていないように見えた。
そして——
指を鳴らした。
パチン。
その瞬間——
織田軍の傀儡兵たちの体が、膨張し始めた。
「な……!?」
勝頼が、目を見開いた。
傀儡兵たちが——
自爆特攻を開始した。
ドガァン! ドガァン!
爆発する肉片。
それは——
物理的な衝撃だけでなく、精神を蝕む呪いを撒き散らした。
「ウゥ……アァ……」
影の兵士たちが、苦しみ始めた。
自我崩壊。
影たちの眼窩の炎が、揺らぎ始めた。
「くっ……!」
勝頼が、前に出た。
「全軍、下がれ!!」
勝頼は——
信玄の炎と、謙信の氷を展開した。
ゴォォォォォ!!
金赤の炎が、勝頼を包む。
シュゥゥゥゥ……
氷の冷気が、広がる。
炎と氷が——
呪いを防いでいく。
そして——
影たちを、正気に戻していく。
浄化と鎮静。
「しっかりしろ!」
勝頼の声が、響き渡った。
「お前たちはただの死体じゃない、俺の家臣だ!」
「……!」
影の兵士たちが——
正気を取り戻していく。
眼窩の炎が、再び安定した。
「ありがたき幸せ……!」
影の四天王たちが、頭を下げた。
爆煙が、晴れた。
だが——
信忠の姿は、もうなかった。
表情一つ変えず——
姿を消していた。
「……信忠」
勝頼は、拳を握りしめた。
「お前を殺して、その魂を解放してやる」
勝頼の瞳が、激しく輝いた。
「それが、俺の慈悲だ」
救済。
それは——
殺害による解放。
勝頼は、決意を固めた。




