第23話「侵略する火と、魔蝕の小田原」
甲斐から関東へ。
上野、武蔵方面。
武田軍が、進軍していた。
その数——一万を超える。
そして——
その先頭には、武田勝頼が立っていた。
だが——
勝頼の気配が、変わっていた。
背後に揺らぐ、灼熱の幻影。
武田信玄の魂。
それが、勝頼を包み込んでいた。
「……恐ろしい」
真田昌幸が、呟いた。
「今の殿からは、あの信玄公以上の『王気』を感じます」
昌幸の目が、勝頼を見つめていた。
「暑苦しい軍になったものだ」
影・上杉謙信が、軽口を叩いた。
「だが、悪くない」
謙信の目には、頼もしさが宿っていた。
「行くぞ」
勝頼が、号令を発した。
「小田原へ」
北条家の前線基地、鉢形城。
武田軍が、城に近づいていた。
だが——
城の様子が、おかしかった。
「……何だ?」
勝頼が、眉をひそめた。
城壁の上に、北条の兵たちが立っていた。
だが——
その目は、赤く充血していた。
まるで——
人ではないもののように。
「殺せ……殺せ……」
北条の兵たちが、譫言を呟いていた。
理性を失い——
ただ殺戮だけを求める、鬼。
「これは……」
影・高坂昌信が、分析した。
「安土の瘴気です」
高坂の目が、鋭く光った。
「北条氏政は、魔王への恐怖から『民を鬼に変えてでも生き延びさせる』という禁呪に手を出したのでしょう」
「……!」
勝頼は、歯噛みした。
氏政の動機は——
保身ではなかった。
歪んだ父性。
国を守るための、狂気。
「哀れな……」
勝頼が、呟いた。
その時——
北条の兵たちが、城から飛び出してきた。
「殺せ! 殺せ!」
鬼兵たち。
狂った北条兵が、武田軍に襲いかかってくる。
痛みを感じず——
死ぬまで止まらない。
「おやめなさい!」
その時——
桂が、前に出た。
「私です、桂です!」
桂の声が、響いた。
だが——
鬼兵たちは、桂を認識できなかった。
ただ——
牙を剥いて、桂に襲いかかった。
「桂!」
勝頼が、桂の前に割って入った。
そして——
刀を抜いた。
その瞬間——
勝頼の全身から、金赤の炎が立ち上った。
【権能:『侵略する火・信玄』】
勝頼が、炎を放った。
ゴォォォォォ!!
炎が、鬼兵たちを包み込んだ。
だが——
それは、破壊の炎ではなかった。
陽だまりのように温かい、金赤の炎。
浄化の炎。
「……あ……」
鬼兵たちが、正気を取り戻した。
その目から、赤い光が消えていく。
「……姫様、ご無事で」
北条の兵たちが、安らかな表情で呟いた。
そして——
光となって、消えていった。
成仏。
「……!」
桂が、涙を流した。
「殿……」
桂は、勝頼に懇願した。
「お願いします」
桂の声が、震えていた。
「父上を……北条の民を、貴方様の炎で『人として』逝かせてあげてください」
「……ああ」
勝頼は、頷いた。
「必ず」
武田軍は、進軍を続けた。
そして——
ついに、小田原城が見えてきた。
天下の堅城。
城下町ごと巨大な壁と堀で囲まれた、惣構え。
だが——
城全体が、ドス黒い結界に覆われていた。
城壁には、魔物のような姿の兵たちが蠢いていた。
まるで——
巨大な魔窟のように。
「……これは」
影・馬場信春が、呻いた。
「落ちませぬ」
馬場は、築城の名手だった。
だからこそ——
この城の難攻不落ぶりが、よくわかった。
「力攻めなら、数年かかる」
馬場は、続けた。
「ましてや相手は痛みを知らぬ鬼兵。正面突破は下策中の下策」
「……」
勝頼は、黙り込んだ。
その時——
真田昌幸が、扇子を叩いた。
「城が硬いなら、人の心を折ればいい」
昌幸の目が、鋭く光った。
「殿。外と内から、この城を崩しましょう」
「外と内?」
勝頼が、尋ねた。
「ええ」
昌幸は、扇子を開いた。
「外の策——殿が派手に『浄化の炎』を見せつけるのです」
昌幸は、続けた。
「『降伏すれば人間に戻れる』という希望を、城兵に見せる」
「なるほど……」
勝頼は、頷いた。
「内の策——城内に流言を流します」
昌幸は、ニヤリと笑った。
「『氏政は民を魔物の餌にするつもりだ』と」
昌幸の目が、光った。
「恐怖で結束した城は、小さな『希望』と『疑念』で内側から弾けます」
「……!」
勝頼は、目を見開いた。
「だが——」
昌幸の顔が、険しくなった。
「内部工作は、危険です」
昌幸は、扇子を閉じた。
「魔窟への潜入は、死と隣り合わせ」
昌幸は、望月千代女を見た。
「千代女。頼めるか?」
「……」
千代女は、しばらく黙っていた。
そして——
勝頼を見た。
「殿。お任せを」
千代女は、妖艶に微笑んだ。
「魔王様の影として、城の『芯』を毒してまいります」
「……頼む」
勝頼は、頷いた。
「必ず、生きて帰れ」
「はい」
千代女は、深く頭を下げた。
そして——
闇に溶けるように、消えていった。
小田原城。
千代女の潜入が、始まろうとしていた。
そして——
勝頼は、城に向かって叫んだ。
「北条の民よ! 俺は武田勝頼!」
勝頼の声が、響き渡った。
「俺は、お前たちを救いに来た!」
勝頼の全身から、金赤の炎が立ち上った。
「降伏すれば、人間に戻れる!」
勝頼の炎が、城を照らした。
「希望を捨てるな!」
その光景を——
城内の北条兵たちが、見ていた。
赤く充血した目に——
微かな光が、宿り始めていた。




