第16話「雪の国と、沈黙の将」
越後国、国境。
季節は冬ではない。
だが——
越後の国境は、深い雪に閉ざされていた。
一面の銀世界。
その中を——
漆黒の影の軍団が、進軍していた。
白と黒。
二つの色が、鮮烈な対比を成していた。
「寒い……」
桂が、震えながら呟いた。
生身の人間である彼女には、この寒さは堪える。
「姉上」
影・仁科盛信が、桂に近づいた。
そして——
全身から紅蓮の炎を放った。
じんわりと、温かい熱が広がる。
「ありがとう、盛信」
桂が、微笑んだ。
「いえ」
盛信は、照れたように頭を掻いた。
「越後……」
真田昌幸が、呟いた。
「ここは『御館の乱』で二つに割れ、疲弊しています」
昌幸の目が、鋭く光った。
「景勝殿は跡目争いで景虎様を倒し、当主になったばかり。家中は、まだ一枚岩ではない」
「……なるほど」
勝頼は頷いた。
「だから、外部の介入に過敏なのか」
「ええ」
昌幸は頷いた。
「そして——何か、隠したいものがあるように見えます」
昌幸の声が、静かに響いた。
勝頼は、前方を見据えた。
そこには——
春日山城の麓。
そして——
精強な上杉軍が、待ち構えていた。
春日山城、麓。
上杉軍が、整然と陣を敷いていた。
その数、五千。
だが——
その士気は、織田軍のそれとは比べ物にならないほど高かった。
陣の中央に——
二人の若武者が立っていた。
一人は——
「愛」の前立て兜を被った、眉目秀麗な若者。
直江兼続。
上杉家の家老にして、智将。
もう一人は——
一言も発さず、岩のように重い気配を放つ男。
上杉景勝。
上杉家当主にして、謙信の養子。
「……」
景勝は、無言で勝頼の軍勢を見据えていた。
その目には——
殺意と、悲哀が宿っていた。
そして——何か重い罪を背負っているような、暗い影。
「武田勝頼!!」
兼続が、叫んだ。
「謙信公は安らかに眠られたのだ! 決して呼び起こしてはならぬ!!」
兼続の声は、怒りに震えていた。
だが——
その表情には、焦燥が混じっていた。
「死者を冒涜するな!!」
上杉軍の兵たちが、一斉に槍を構えた。
その士気は——高かった。
だが——
その目には、恐怖も混じっていた。
「……妙だな」
勝頼が、呟いた。
「これは単なる防衛戦ではない。何かを『隠そう』としている気配だ」
勝頼の瞳が、鋭く光った。
「殿、我らが前に出ます」
影の山県昌景と馬場信春が、前に出た。
だが——
上杉軍の連携は、完璧だった。
槍衾。
盾の壁。
そして——車懸かりの陣の片鱗。
影の山県と馬場の攻撃が、阻まれる。
「くっ……!」
影の山県が、歯噛みした。
膠着状態。
その時——
勝頼が、前に出た。
「……!」
景勝の目が、勝頼を捉えた。
二人の視線が、交錯する。
景勝は、依然として無言だった。
だが——
その目には、殺意と悲哀——そして罪の重圧が宿っていた。
「景勝」
勝頼が、静かに言った。
「俺は、謙信を辱めるつもりはない」
勝頼の瞳が、紫紺に輝いた。
「……ただ、あの男の力が必要なだけだ」
「何……!?」
兼続が、目を見開いた。
「魔王を殺すために」
勝頼の声が、静かに響いた。
「魔王……?」
兼続の顔が、青ざめた。
だが——
景勝は、何も答えなかった。
ただ——
刀を抜いた。
それが、景勝の答えだった。
「……そうか」
勝頼は、深く息を吐いた。
「ならば、力ずくで通る」
勝頼は、影の軍団に号令を発した。
「全軍、突撃せよ! だが——殺すな! 無力化するだけだ!」
「御意!!」
影の軍団が、一斉に動き出した。
「全軍、迎撃せよ!!」
兼続が、叫んだ。
上杉軍が、動き出す。
両軍が、激突した。
ガキィン! ガキィン!
刀と槍がぶつかり合う音が、響き渡る。
雪が、舞い散る。
その中で——
影の黒さと、血の赤さが、鮮烈に映えていた。
「内藤!」
勝頼が、叫んだ。
「御意」
影・内藤昌豊が、軍配を掲げた。
その瞬間——
影の軍団の動きが、変わった。
完璧な連携。
そして——
「五郎!」
勝頼が、盛信を呼んだ。
「はい!」
影・仁科盛信が、前に出た。
全身から、紅蓮の炎を放つ。
「紅蓮の城壁!!」
盛信が、叫んだ。
その瞬間——
周囲一帯に、炎の壁が立ち上った。
「な……!?」
兼続が、目を見開いた。
上杉軍の陣形が、炎によって寸断される。
「今だ! 全軍、突破せよ!!」
勝頼が、号令を発した。
影の軍団が、上杉軍の陣形をこじ開けていく。
「くっ……!」
兼続が、歯噛みした。
景勝は、無言で勝頼を睨みつけていた。
その目には——
罪の重圧が、より深く刻まれていた。
だが——
勝頼の勢いは、止められなかった。
「道を開けろ」
勝頼の声が、響いた。
「龍が、俺を呼んでいる」
勝頼は、影の軍団を率いて——
春日山城の奥へと雪崩れ込んだ。
目指すは——
林泉寺。
上杉謙信が眠る場所。
林泉寺。
雪に包まれた静かな寺。
その境内に——
勝頼は、立っていた。
「……ここか」
勝頼は、墓所を見つめた。
そこには——
上杉謙信の墓があった。
勝頼は、墓に近づいた。
その瞬間——
これまでの武将たちとは、異なる気配を感じた。
荒々しい武威ではない。
凛とした冷気。
そして——どこか香気のような、女性的で神聖なプレッシャー。
「……なんだ、この澄み切った魂は」
勝頼が、呟いた。
「まるで氷の精霊か?」
勝頼は、墓に手を触れた。
その瞬間——
大地が、揺れた。
ゴゴゴゴゴゴ……
雪が、激しく舞い上がる。
そして——
墓から、白い光が立ち上った。
禍々しい黒ではない。
月光のような、純白の光。
「これは……!」
勝頼が、目を見開いた。
白い光が、渦を巻き始めた。
そして——
その中から——
人の形が、現れ始めた。
林泉寺の外。
兼続が、その光を見た。
「ああ……あの方が、帰ってきてしまう……!」
兼続の顔が、絶望に歪んだ。
景勝は、無言で天を仰いだ。
その瞳から——
一筋の涙が、流れた。




