第13話「裏切り者の矜持と、影の道」
深夜。
甲斐と駿河の国境。
険しい山岳地帯。
富士の裾野を縫うように続く、名もなき獣道。
武田軍は、この道を進軍していた。
正規の街道——河内路は、徳川軍に封鎖されている。
だから——
人目につかぬ、密輸ルートを通らねばならなかった。
野営地。
見張りに立つ、二人の影。
影・小山田信茂。
影・滝川一益。
小山田は、滝川に近づいた。
「おい、新入り」
小山田が、偉そうに言った。
「薪をくべろ」
「……」
滝川は、無言で小山田を見た。
「なんだ、その目は」
小山田が、続けた。
「織田四天王だか知らんが、影の世界じゃ俺が上官だ」
小山田は、胸を張った。
「俺の方が先に影になったからな」
「……」
滝川は、無言で無視した。
そして——
完璧な警戒態勢を維持し続けた。
「……ちっ」
小山田は、舌打ちした。
翌朝。
武田軍は、さらに奥深くへと進んでいた。
だが——
道が、途切れていた。
断崖絶壁。
進退窮まる。
「……これは」
真田昌幸が、地図を見た。
「この辺りは、私の管轄外です」
昌幸の顔が、険しくなった。
「地図にもない」
「くっ……」
勝頼は、歯噛みした。
その時——
小山田が、挙手した。
「へへ……御館様」
小山田が、ニヤリと笑った。
「あっしは、この先の『抜け道』を知っております」
「……何?」
勝頼が、目を見開いた。
「なぜだ? 領主のお前が、こんな獣道を」
「へへっ」
小山田は、悪びれもせず笑った。
「実は生前、北条や徳川と『内通』する際、密使を通していた道でして……」
小山田は、続けた。
「米や塩を密かに運ぶ、密輸ルートでさぁ」
小山田は、胸を張った。
「人目につかず国境を越えられる、とっておきの裏切りルートでさぁ」
「……!」
勝頼と昌幸は、呆れた。
裏切りの証拠を——
自慢げに語る小山田。
「……まあいい」
勝頼は、ため息をついた。
「案内しろ」
「へい! お任せくだせぇ!」
小山田は、嬉しそうに先頭に立った。
小山田の案内で、一行は崖を越えていった。
だが——
その時。
ゴロゴロゴロ……
落石が、発生した。
「危ない!」
小山田が、叫んだ。
岩が——
桂に向かって落ちてくる。
「きゃあ!」
桂が、悲鳴を上げた。
その瞬間——
小山田が、桂の前に飛び出した。
「うおおおお!!」
小山田が、岩を受け止めた。
ドガァン!!
小山田の体が、半壊した。
腕が砕け、胴体に大きな亀裂が入る。
「小山田!」
勝頼が、驚いた。
「へへ……」
小山田は、笑った。
影の体が、再生していく。
砕けた腕が、元に戻る。
亀裂が、塞がっていく。
「勘違いしねぇでくだせぇ」
小山田は、立ち上がった。
「御台所様が死んだら、御館様が発狂して俺たちの『影の維持』ができなくなるかもしれねぇ」
小山田は、ニヤリと笑った。
「俺は俺の不死身を守っただけでさぁ」
小山田の言葉は——
忠義ではなく、保身。
だが——
結果として、最も献身的な行動だった。
「……」
勝頼は、何も言わなかった。
ただ——
小山田を見つめていた。
かつて俺を売るために使った道を——
今は俺を救うために案内している。
皮肉なものだ。
「行くぞ、小山田」
勝頼が、号令を発した。
「案内を続けろ」
「へい! お任せくだせぇ!」
小山田は、再び先頭に立った。
そして——
一行は、さらに奥へと進んでいった。
夜。
野営地。
小山田と滝川が、再び見張りに立っていた。
「なあ、滝川」
小山田が、声をかけた。
「……」
滝川は、無言で小山田を見た。
「お前、俺のこと少しは認めたろ?」
小山田が、ニヤリと笑った。
「……ふん」
滝川は、鼻で笑った。
「貴様のその体、盾としては一級品だな」
滝川の声が、静かに響いた。
「使い潰すには惜しい頑丈さだ」
「……!」
小山田は、目を見開いた。
そして——
悪態をついた。
「ケッ、織田の出世頭が」
だが——
小山田の顔には、満更でもない表情が浮かんでいた。
「……」
滝川は、何も言わなかった。
ただ——
小山田を便利な道具として、認めていた。
それが——
滝川なりの、最大の賛辞だった。
「……ふん」
小山田は、鼻で笑った。
二人は、静かに見張りを続けた。
影の兵士として——
主君・勝頼のために。
月明かりの下、二人の影が佇んでいた。
かつては敵だった者たち。
かつては裏切り者だった者たち。
だが——
今は、同じ主君に仕える仲間だった。
奇妙な——
だが確かな、絆が生まれていた。




