水飴
とある寺にケチな和尚がいた。美味しいものが手に入ったら独り占めして、誰にも分け与えない。その寺の小坊主たちは「うちの和尚は冥土の餓鬼みたいに貪欲だ」と憤慨していた。中でも小坊主らを怒らせていたのは、和尚が甘い水飴を自分独りで食べていることだった。「少しは分けて下さい」と小坊主たちが頼んでも、和尚は「子供には毒だ」と言って一口も与えない。小坊主らは和尚を「地獄の鬼より意地汚い」と陰で罵った。
ある日、和尚が外出した。その隙に小坊主たちは水飴を舐めることにした。和尚が隠していた水飴の入った壺を見つけ出す。その中に入っていた水飴を、少しだけ舐める……いや、少しでは収まらなかった。ちょっとだけ、ちょっとだけと言っているうちに、かなりの量の水飴が小坊主たちの口の中に消えた。
異変が起きたのは、和尚が寺に戻ってくる少し前だった。水飴を舐めた小坊主たちが、一斉に苦しみ始めたのである。帰ってきた和尚は、小坊主らが藻掻き苦しんでいるのを見て、哄笑した。
「わはは、こんなこともあろうかと、水飴を毒にすり替えておいたのだ!」
大半の小坊主は毒のせいで息絶えたが、体格の良かった小坊主が一人だけ生き残った。その小坊主は和尚に襲いかかり、空になった壺で殴り殺してから、何処ともなく姿を消した。
この事件を題材にした物語が仏教説話集『沙石集』に収録され、それが発展して狂言の曲目『附子』になったとの説が明治中期に唱えられたが、元となった事件が『沙石集』成立後の江戸時代に起きたことが判明したため、その説は今日では否定されている。