第1話 追放
「身に覚えがない! 何かの間違いだ!」
武井教授は監査官に向かって叫んだ。
「しかしですね。これを見てください。この3件の出張旅費、これはあなたが請求したものですよね?」
銀縁眼鏡の監察官は落ち着き払ってパソコンの画面を教授に見せた。
「あ、ああ。これは講演会の時のものだな。こっちは島根県でのシンポジウム出席。最後のは……学会出席だ」
老眼が進んだ武井教授は顔をしかめながらパソコンをのぞき込んでいった。
「それがどうかしたかね?」
「確認させてもらいましたが、すべて実際の日程より旅程が1日から2日、長く申告されていますね」
監査官の眼がレンズの奥で鋭さを増した。
「そんなはずはない。日程の申告はきちんとやっている。助手の鎌田君に聞いてくれたかね?」
武井教授は事実関係を指摘されても、主張を変えなかった。
「この期に及んで見苦しい」それがわたしの感想だった。
考古学者であるわたしは、上司が犯した公金横領の罪を告発した。武井教授はわたしの指導教授に当たる。教授の研究を手伝うことも多いわたしは、武井教授の活動内容についてよく知る立場にあった。
「予算の使い過ぎに注意してください」
「1件あたりの金額が多いので、経費の内容をよく考えて使ってくださいね」
経理課からそういう注意が聞こえてくるようになっても、教授は気にも留めなかった。
「じっとしていては研究が進まない。予算がなくなったら使うのをやめればいいんだろう?」
そういって活発に動き回り、資料を購入することをやめなかった。
それにしても、経理に注意されるほど経費を使っていると思えなかったわたしは、気になって明細を調べてみた。
「おかしい。この件は出張の日程が合わないし、この月は出張などしていないはずだ。こっちの資料は以前にも購入しているし……」
カラ出張に水増し請求、調べる程に武井教授が経費を着服していることが明白になってきた。
わたしは教授に経費明細を示し、「請求間違いではないか?」と注意を促した。武井教授は自分を育ててくれた恩師なのだ。いきなり告発することはできない。
自分で非を認めて訂正してほしかった。
しかし、わたしの想いは通じなかった。教授はわたしの指摘に耳を貸さず、「そんなことより自分の研究に取り組みたまえ」と逆にわたしを責める程だった。
思い悩んだ挙句、わたしはついに内部告発に踏み切った。いくら恩師といえ、不正をそのままにすることができなかったのだ。
しかし、真犯人はわたしの同僚だった。彼女は言葉巧みに教授の個人情報を入手し、教授のIDを使って不正請求を繰り返していたのだ。
勝手に作った教授名義の銀行口座に経費精算金を振り込ませ、本物の教授の口座には「正しい精算金」を大学名で振り込むことで、発覚を防いでいた。
頑として不正を認めない武井教授に対してIT部門が経費処理操作のログを細かく調べた結果、操作を行ったのは教授ではなく、教授の名をかたった彼女のPCからだったことが判明した。
事実を突きつけられ、すべてを認めた同僚は懲戒解雇となり、刑事訴追を受けた。
わたしにはもちろん何の咎めもない。不正は存在し、わたしはそれを告発しただけだ。
しかし、わたしが武井教授を不正の犯人として名指ししたことは、どこからともなく大学の中に知れ渡った。
直接わたしを責める者はいなかったが、わたしに対する態度はよそよそしいものになった。
わたしが部屋に入ると、会話がぴたりと止まるような場面が増えた。離れた席では私のことを指さしてひそひそ話をする者がいる。
「悪いが、ちょっとこれを手伝ってくれないか?」
「ごめんなさい。いまちょっと呼ばれていて――」
「すまん! こっちも手がふさがっているんだ」
「先週頼んでおいた資料、取り寄せてくれました?」
「あら? そんなことありました? ごめんなさい。記憶にないわ」
「自分でやったらいいんじゃないの? ごちゃごちゃ裏で何かやるの、得意なんでしょ?」
上司を裏切ったわたしは大学でつまはじきに会い、研究活動が不可能になった。