エレナ
「だれかのために、生きなさい」
あなたは、聖女なのだから。
そう言い残しておばあさまはこの世を去りました。体の一部が結晶になる『魔晶病』。その研究に人生をささげた、誇り高きお人でした。
いただいた言葉を胸に、私、エレナ・ペンデルスは16歳の誕生日を迎える今日この時までを懸命に生きてきました。
けれど――
「エレナ。……いや」
歴代の聖女さまのように、『奇跡』を起こせなかった私は、
「『偽り』の聖女、エレナ・ペンデルス!
第一王子、アラン・フォン・ノースの名のもとに、国外追放を命じる!」
――だれの助けにも、なれなかったようです。
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女神さまから贈られた『聖文字』。
体に文字として浮かるその御言葉を唱えることで、さまざまな奇跡を起こす女性のことを、人々は聖女と呼び、讃えてきました。
荒廃した大地を潤した『雨』の聖女や、民を導いて暴君に立ち向かった『統率』の聖女など、どのお方も人々の助けとなり、世界を良き方向へ導いてきたのです。
今代の聖女であり、アランさまの許嫁でもある私も、右の手のひらに浮かび上がる聖文字を唱えて人々のお役に立つことを願ってきました。
――けれど、この聖文字、読めないのです。
世界中の言語を学んでも、どれほど多くの文献を漁っても、ぜんぜん解読できないのです。読めなければ、唱えられなければ、なんの奇跡も起こせません。女神さまには申し訳ないのですが、現状、ただのクールなアザでございます。
お父さまは私のことを「ペンデルス家の恥」と呼びますが、全くもってその通りで、返す言葉もありません。
手のひらに浮かぶやたらピシピシした線と線を眺めながら、
「……本当に聖女なのかしら」
と悩んでいた私以上に、この国の人々は、私の存在を怪しんでいたようです。
それこそ、『偽り』という名を送るほどに。
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「――了解、いたしました」
王侯貴族が集う舞踏会の中央、周囲から送られる視線に身を震わせながら、私はそう答えました。
なんの奇跡も起こせず、だれの役にも立てない聖女。
婚約破棄だけでなく、追放される可能性さえあることを、うすうすは感じていました。
ですがその前に、ペンデルス家の長女としてどうしてもやり遂げたい仕事があります。倒れそうになる心と体に鞭を打ち、私は言葉を絞り出しました。
「もう少し、あと少しだけ、お時間をいただけないでしょうか。一年、いえ、数か月いただければ、おばあさまから受け継いだ研究が形に――」
「わかっているよ」
予想外の暖かい声色に、思わず顔を上げてしまいました。
半年ぶりに拝見したアランさまの、その優し気なお顔と目が合ったとき、恐怖にすくんでいた胸が暖かくなり、涙がじわりと浮かんできました。
(わかってくれる人が、いたのね)
聖女のできそこないである私は、それでもだれかのお役に立つため、魔晶病の研究に没頭してきました。そしていまから半年前、『結晶化の進行を抑える薬』がついに完成したのです。若干の調整が必要な点や、量産化等の課題はありますが、それさえ乗り越えれば、病に苦しむ人々の助けになることでしょう。
この仕事を成し遂げられたなら、私は喜んでこの国を出て「ぼくは、わかっているんだよ」
――静かな怒りが込められたアランさまの声が、私の胸を貫きました。
「きみが、実の妹、ノエルの功績を奪うつもりだと」
……せいかを、うばう?
予期せぬお言葉に、頭の中が真っ白になってしまいました。
そもそも、どうしてこの場に、ノエルの名前が出てくるのでしょうか。
「あの、おっしゃる意味がよく――」
「とぼけるのは、よしてほしいな。僕は半年も前から、ノエルに聞かされていたんだ。『お姉さまが、私の作った薬を、我がものにしようとしている』とね」
まるで、意味が分かりませんでした。
これまで、ノエルと両親は研究所に一切近づいておりません。そもそも、私が薬の開発に取り組んでいたことさえ、半年前にようやく知ったくらいです。
「ノエル、おいで」
「……はい」
困惑を深める私のまえを、黒髪の少女が横切りました。
一直線にアランさまのもとへ向かった彼女――ノエル・ペンデルスは、その小さな両手の中に、見慣れた薬瓶を抱えていました。
「皆のもの、聞いてくれ!」
ノエルの肩を抱いて、アランさまが叫びます。
「彼女がいま手にしている薬は、多くの――実に多くの命を救う、『魔晶病の治療薬』である!」
おぉ、と、どよめきが走りました。
「長年、彼女が独自に研究を進めてきたこの薬があれば、歴代の聖女に匹敵するほど、多くの人々を助けることができるだろう!」
「お待ちください!」
人々が歓声を上げる中、私は叫びました。
「そちらは、治療薬ではありません! あくまで結晶化の進行を抑える――」
「黙りたまえ! きみはなおも、ノエルに泥をかけるつもりか!」
アランさまと、周囲からの圧に、心が折れそうになります。
けれど、
「お恐れながら! 私の妹に、薬学の知識はございません。彼女に薬を作ることは」
「できるんだよ」
にやり、と笑顔を浮かべて、アランさまは言いました。
「なぜなら、彼女こそが、本当の聖女だからね」
その言葉に人々が息を呑む中、ノエルは左の手のひらを高々と掲げました。
そこには、清らかな字体で、『愛』と書かれています。
「知識など不要! この薬は、いや聖水は、人々を救いたいという『愛』の奇跡が創り出したものである!」
――ふざけないで。
私とおばあさまが、すべてをささげて生み出した薬を、馬鹿にしないで。
その言葉は、爆発する喜びの渦にかき消されました。
ふと見ると、いつの間にか最前列に立っていた両親と目があいました。
二人が、本当に久しぶりに、私に笑顔を向けています。
そうか。
私は、家族に、裏切られたのね。
なんで、
どうして?
奇跡を起こせないから?
聖女を求める声に、答えられないから?
ノエルと違って、
だれからも、愛されないから?
――息が、できない。
目を開けているのに、なにもみえない。
なんにも、
かんがえたくない。
絶望に包まれ、立ちながら気を失った瞬間、エレナは前世の記憶を思い出した。
「……おれは、稲出衆の跡取り、稲出彦三郎じゃねぇか」
確かめるようにそうつぶやいてから、眼前に広がるきらびやかな光景に目を向けつつ、彦三郎は首を傾げた。
辺り一面、異人だらけである。
壁も床も、机も皿も。どの品を見ても尋常の出来ではない。
(ここは、極楽か?)
それにしては、ずいぶんと俗な顔がならんでいる。
おれ(……ぃえ、いえ! エレン!! エレンですわ!!!)の九尺ほど前に立つ赤髪の男(アランさまですわ!)は叩きたくなるような澄ました面を晒している。その懐には、黒髪の少女(ノエルですわ!?)が抱きかかえられていた。伏せられた紅色の眼に、大粒の涙が浮かんでいる。
(媚びている)
と彦三郎は思った。
状況は定かではない。しかし彦三郎の美意識からすれば、女郎のようにしなをつくる少女と、それを愛おし気に抱きかかえる男の構図は不快であった。
「『偽り』の聖女を、連れていけ!」
あらんという男が声を上げるのと同時に、左右から南蛮の鎧をまとった男が寄ってきた。迫りくる圧に、前世の記憶がまざまざとよみがえる。
(おれは、また殺されるのか)
たまったものではない。
「待ってくださいまし!!! なんですのこれ、だれですのあなた!??」
たまらず、私は叫びました。
ぎょっ、と男たちがたじろいだのと同時に、彦三郎は振り返って駆けだした。逃げ足には、自信があった。
(いや、無理だな)
五歩六歩進んで、あきらめた。
体が、細い。
一里を駆けるのはおろか、釘を打つことすらままならないだろう。とてもではないが、逃げ切れない。
(なら、どうする)
「何をしている! さっさと捕らえろ!」
あらんが叫ぶのと同時に、鎧の男たちがとびかかってくる。その瞬間、謎の記憶が流れ込んできた彦三郎は、ひらめきとともに生っ白い右拳をそっと開いた。
手のひらには、日の本の字で、こう書かれていた。
「築城!」
彦三郎が叫んだ瞬間、手のひらから、光の波が迸った。
慌ててその手を、正面に向ける。
ぐんと突き出した手のひらから、巨大な稲妻が飛び出した。それは舞踏会の壁にぶつかると瞬く間に広がり、収縮し、四畳半ほどの渦と化した。
「な、なんだ! 一体、何がどうしたんだ!?」
腕に抱いていたノエルを突き倒し、アランが叫んだ。
聞かれて、答えられる者はいない。何せ、当人ですら、
(何が起きやがった!?)
と息を呑んでいるのである。
そんな彦三郎の頭の中に、優し気な、聞いているだけで涙が出てきそうな、暖かい女の声が響いた。
『奇跡、承認』
戸惑う二人をよそに、言葉はこう続けた。
『人足召喚』
――渦巻く光の中から、ずいとなにかが進み出た。
周囲の人々が見守る中、光りの途切れた右手を下ろした彦三郎の前に、四尺二寸ほどの人間が仁王立ちした。つやのある黒髪を小粋に結い上げたその男は、首からさげた青海波模様の手ぬぐいを除けば、ふんどし一丁である。その後ろから、同じ恰好の男たちがぞろぞろと湧いて出た。
数秒後、ずらりと並び立つ顔と体躯をみて、彦三郎は息を呑んだ。どの男も、岩のように重厚な面魂と、柳のように強靭な四肢を備えている。
(こいつは、使えるぜ)
いつの間にか大工道具を持っている人足たちを眺めつつ、彦三郎はほれぼれと嘆息した。
初めて見る殿方の胸板と尻肉を前に、エレナは意識を失った。
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「奇跡……」
「奇跡だ!」
「……奇跡か?」
そんな声が、王侯貴族のあいだからぽつぽつと上がり始める。
「――嘘よ」
アランの足元に座り込むノエルが、口を開いた。
「聖女は私! あれは、偽物なの!」
その声に耳を傾けるものは、一人としていない。
誰もが、屈強な男たちの前に立つエレナの言葉を待っていた。
彼女は頭をさすりながら、
「うんうん」
とか
「――ひでぇ話じゃあねえか」
などとつぶやきつつ、男たちの前を行き来している。
「状況は、よぉくわかった」
そう言って、エレナは止った。
その瞳に、ギラギラと揺らめく炎が浮かんでいる。
「こっちの城の造りも、見ておきてぇしな……」
彼女の右手から、光の波があふれ出た。
それを天井に突き付けて、エレナが叫んだ。
「お前たち! 仕事始めだ!」
「「「「おおぅ!」」」」
「この城打ち壊して、新しいのを建てるぞォ!」
「「「「おおぉう!」」」」
ノース城が、揺れた。
全裸に近い男たちが、巨大な木製のハンマーを一斉に振り落としたのである。
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その日、ノース王国の中心から白亜の城が消え、代わりに、堂々たる天守を備えた純和風の城がそびえたった。
吹きすさぶ風をはねのけ、雲を突き破るほど威容あふれるその城を、後世の人々はこう呼んだ。
『風雲エレナ城』
と。