表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

稲出彦三郎

 生娘の肌のようだ、と彦三郎(ひこざぶろう)は思った。

 (わら)に火が灯るほど苛烈な七月の日差しを、その白壁は、つやつやと照り返していた。波打つ漆喰(しっくい)が、痛いほどにまぶしい。

(吸いつきたい)

 と乾いたのどを鳴らしてから、彦三郎はカラカラと(わら)った。生れ落ちて十六年。ついぞ女人に触れることのなかった情欲の行き着く先が、()()()とは。

 立ち止まり、ひくつき始めたその背中を、後ろからずんと石突(いしづき)が突いた。両腕を背中に(くく)られた彦三郎はなすすべもなく頭から倒れこむ。熱灰(あつはい)のような砂が、()()()と音を立てて頬を焼いた。

 血と砂の混じったつばを吐き出し、彦三郎は肩をよじって顔を上げる。一間(いっけん)三尺(さんじゃく)ほど前に敷かれた()()()の上に、いくつもの胴が置かれていた。その正面に掘られた血溜(ちだま)りの中を、見慣れた顔が並んで浮いている。

暗愚(あんぐ)め」

 と彦三郎は毒づいた。


 ――城を修繕した職人衆を人柱として斬首するなど、言語道断である。血風吹きすさぶ乱世ならともかく、戦の途絶えた太平の世において、このような蛮行がまかり通ってよいものか。

 彦三郎は怒りと憎しみを込めながら、むしろの向こうに構える武士たちをにらんだ。


 どの男も、頬を夕日のように赤く染めていた。両のまなこが、陽にかざした貝殻のように輝いている。彼らの中央、床几(しょうぎ)に腰掛けた領主と目が合った。干物のように痩せこけた頬が、漂う血煙を吸い上げて(つや)めいている。

(ああ、そうか)

 と、彦三郎は得心した。

 なんてことはない。築城を生業にするおれたちが()()()()()()()()()()()()ように、武士である彼らは、()()()()()()()()()()()()()のだ。

 再び嗤い始めた彦三郎を、数人の若武者が引きずって、むしろの上に押し付けた。

 地面から、湿(しめ)ったぬくもりが昇ってくる。その熱に思いをはせつつ、目前を転がる親方(おやじ)の首をじっと眺めてから、彦三郎は顔を上げた。

 その目に映るのは、武士や領主ではない。

 城である。


 ――ああ、天よ、御覧(ごろう)じろ。

 この白く荘厳(そうごん)な天守を建てたのは、おれたち稲出衆(いなでしゅう)なのだ。

 見ろ、あの壁を。見ろ、この石垣を!

 火も矢も通さぬ創意工夫を、天よ、人々よ、どうか見てくれ。語り継いでくれ。

 おれたち稲出衆、最後の傑作を。


 彦三郎の首を、背後から草履が踏みつけた。血溜りに額を押し付けられ、視界の隅に(あぶら)の浮いた刀身が映ったとき、彦三郎は瞳を閉じた。

 恐怖からではない。

 まぶたに残る城の威容(いよう)を、見つめていたかったからである。


 振り落ちる刃の気配を感じながら、彦三郎はこう願った。

(もしも来世があるのなら、今度こそ、望むままに、()()()()()()()()

 と。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ