表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
きみは最果ての光  作者: 天水しあ
第十章『世理』
87/100

第八十七集「形見」

 突然、後ろから両肩を引き上げられた。

 振り返ったら、そこに芳倫が立っている。


 ――と思ったら、いきなり頬をぶたれた。突然のことでまともに食らってしまい、横に倒れかけた。


「まだダメじゃない! 脈だってあるし、呼吸だって――」

 頭がくらくらする。状況が呑み込めず、ただぼんやり芳倫を見上げていると、

「あなただけです、諦めているのは! ただ泣くだけなら邪魔です、出て行って!!」


 勢いよく指された指先を追って戸口を見て、再び目線を戻したとき、芳倫は見たこともない怖い顔で自分を睨みつけていて――、ぽろりと涙をこぼした。

 「芳倫さま」璃律が駆け寄るのと、芳倫がよろめくのは同時だった。

 「私は大丈夫」そう言うが、芳倫は粗い息をして、顔面は蒼白だった。


 その場に芳倫をしゃがませると、璃律が瑛明ににじり寄り、「あれは、一体、何なんですか」

 瑛明は袖口で目元を強く拭うと、

「あれは……多分、鴆毒ちんどく


「鴆毒!? でもそれは幻の鳥、鴆の羽からとれる猛毒のことでは? まさか外界では鴆鳥が発見されたとでも?」

「違う。あくまでも鴆毒に似せた――調合されたもので」

「でも幻の毒なのに、どうやって似てるなんて分かるの?」

「その毒は無味無色無臭で、水に良く溶け、呑んだ者は突如苦しみだし、ほどなく息を引き取る――この症状が、鴆毒の伝説と同じ。鴆鳥の紫緑色に羽を染めることで、より鴆毒に似せられている――とか」

「解毒剤は?」

「『鴆毒に似た毒がある』という噂は聞いたことがあったけど、実在してるかは分からなかった。まして解毒剤があるかどうかなんて」


 璃律はにわかに目を逸らし、「何だってそんなものを持ってるんだ!」誰とはなしに吐き捨てた。


「あれは母さんのもの、だったから……」

 瑛明がうわ言のようにそう言うと、場が静まり返る。


 その重い沈黙に、瑛明は自分の発言の軽々さに気づく。だけど取り繕おうとも思わなかった。取り繕いようもなかった。

 捨てなければ――母さんから受け取ったとき、すぐさまそう思った。

 だけど、正体不明の猛毒をどう捨てるべきなのか分からず、燃やしても、埋めても、毒をまき散らしてしまうのではないかと思って――そのまま忙しい日常に追われ、「そのうち」と片付けてしまっていた。


 こんなところでも、先送りをしたばかりに――。


「でも、寝室の奥深くに置かれていたようだったし、誰もこの羽の存在どころか、効能だって知りようがないじゃない。ただの綺麗な羽だとしか――」

 沈黙を破るように芳倫が言った。

 知りようがない――それは外界のものなんだから――そう思い至ったとき、瑛明は呟いていた。


「中相……」


 そのときだった。部屋に王医とともに王師である元国師が駆け付けたのは。

 璃音が二人に状況と、呑まれた毒について手短に説明しながら、彼女が運び込まれた隣の寝室へと入っていく。


「ここからは男子禁制です。きっと何とかしますから――待っていてください」

 そう言って寝室の扉に両手をかける芳倫の声が、僅かに震えていた。

 「頼む」そう言うと、芳倫は僅かに口元を歪めて小さく頷き、たちまち扉は閉められた。


 瑛明は閉ざされた扉の前でただ呆然と、立ち尽くす。

「とりあえず――こちらへ」

 背後から声。


 振り返ると、そこには璃律がいた。瑛明は自分がこの場で一人ではなかったことを、ようやく思い出した。

 彼は、書机の椅子を引き出し、「どうぞ」そう言って、瑛明に座るよう促した。

 瑛明は寝室への扉へと向き直り、その奥をしばし凝視していたが、小さく息を吐いて、踵を返した。


 のろのろと歩を進め、書机の椅子に座る。

 肩越し振り返った。ほんの僅かだけ目を離した寝室の扉の奥は、何ら変わった様子はない。ぐっと唇を噛むと、

「どうぞ」

 脇から布巾が差し出された。目を向けると、傍らに璃律がいた。


「酷い有様だ。そんな顔を人目にさらしてはなりません」

 そう言って、布巾を手に取るよう促す。受け取ったそれは、湿っていた。少し緩めに絞られたそれを顔にあてると、ひんやりとして気持ちが良かった。

 書机に両肘をついて、布越しに両手で顔を覆っていたら、「どうぞ」再び声がした。


 目元から布を外すと、今度は璃律が茶碗を持って立っていた。

「これしか用意できませんが」

「――ありがとう」

 その行為に驚きながら、瑛明がおずおずと受け取ると、「いえ」短く返事が返ってきた。


 茶碗の中身は水だった。手を入れたら痛みそうな冷たさで、身体の中を通って落ちていくのがはっきりと分かった。

 そこでようやく、瑛明は自分の呼吸が浅くなっていることに気づく。できるだけゆっくり大きく息を吐いて、残りの水を飲み干したところで、璃律が空いた茶碗と濡れた布巾を、そっと手からさらった。

 璃音みたいだな――そう思ったら、僅かに口元が緩んだ。


 深く息を吐いてから、再度振り返って寝室の向こうに目を注いだ。何か変わった様子は伺えない。もう随分な時が経ったと思ったけれど、だけどその実、水を一杯飲んだだけの時しか経っていない。


 ただ待つだけの時間は――余りにも長い。


 『きっと何とかしますから』芳倫の声が、耳奥に響いた。


 瑛明は傍らに立つ璃律を見上げ、

「中相は――今、どうしている?」

「外廷の牢に」

「経緯を、聞かせてくれないか?」


「かしこまりました」

 璃律は一礼し、語り始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ