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きみは最果ての光  作者: 天水しあ
第十章『世理』
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第八十三集「切望」

 瑛明は壁際の書机に座り、ぼんやりと外を見ていた。 

 細い窓から覗く院子には曇天が広がっていて、さっきから風景が変わっていない。  昼は過ぎたんだろうか。さすがに夕方には、なっていないだろうけど。


 璃音が出て行ったのは、ついさっきの気もするし、もう随分経った気もする。

 王上と中相は、一体どんな話をしたのか。中相はどうしているのか。


 前室への扉は閂が渡されたまま――俺の軟禁状態が続いているってことは、無罪放免ではないということなんだろう。


 そういや璃律は、まだ前室にいるんだろうか。いくら璃音の弟でも、王上の傍を離れて昼間の桃花宮にいるのは、問題な気もするけれど。思いながら前室へ続く扉に首を巡らしたが、連枝窓にぴんと固く張られた白い布越しに、人影は見えない。


 再び首を戻し、頭を背もたれに預けた。

 目には、隙間なく敷き詰められた灰色の雲が広がっている。よくよく見ていれば、雲は流れている。俺がここでこうしている間にも、事態は動いているんだろう。


「王上……」

 知らず零れた言葉に、瑛明は自分で驚いた。


 これから起こるだろう大事に、ただ呆然として、気を紛らわせようと取り留めなく色々なことを思っている――そういう自分だと、思おうとしていたのに。


 そのことを考えると、思考が暴れ出す。

 喚いて、部屋を滅茶苦茶にして、扉でも窓でも破って、かよわい宮女たちを蹴倒して大騒ぎでもしたら、もしかしたら会えるかもしれない――そんなことを考えてしまう。


 その前に駆け付けてくる屈強の男達に囲まれ、命を落とすことになるかもしれないのに。それならそれで、もう構わない――そんなことまで考えてしまう。


 それならどうして、昨夜おとなしく引き下がってしまったのか。「言い訳しようがない」なんて、物分かり良く捕らわれるんじゃなくて、「違うそうじゃない」と何故抵抗しなかったのか。

 どうして言わなかったのか。「俺のことが信じられないのか」と――。


 瑛明はおもむろに立ち上がり、窓際に寄った。

 中相は言ったのだろうか。襲撃者は自分なのだと。

 いくら疑いの思いを持っていたからと言って、ずっと敬愛してきたというのも事実なはず。その相手が自分の命を狙っていたと告白され、一体どう思ったんだろう。


 しかも中相は――。


 そして俺のことは、単なる中相の手先だと思っているんだろうか。

「残念」を通り越して、「裏切者」、「人非人」だとでも思っているんだろうか。


 「でも」呟きを漏らした口元が歪んだ。

 ――いくら中相が手酷くあなたを裏切ったからと言って。


 俺といちに行くために、『女装』までしておきながら。

 璃音を振り切って、勝手に俺に会いに来ておきながら。

 あんな目で、俺と芳倫を見ておきながら。


 ――いくら璃音や周りが俺を疑っていたからと言って。


 俺の帰りを勝手に、ずっと待っておきながら。


 ――あなたは俺を、ただの「裏切者」だと、切り捨てることができるのか。


 勢いよく踵を返した瑛明の目が、僅かに見開かれた。

 前室の扉で、人影が小さくうごめている。

 瑛明が扉を見据えて固唾を呑んだ時、閂が抜かれる音が、鈍く響いた。


 空耳かと思うくらいにか細い声は、予想していた複数の捕吏のもとのは明らかに違う。僅かにほっと息を吐いた。とはいえ振鈴もなく、勝手に入ってくるなんて尋常ではない。璃律はどうしたのか。


 「――誰?」かろうじて扉向こうに届く声で、低く問うた。


 扉向こうから、「振鈴もなく、申し訳ございません」さきほどより、確かな声が返ってきた。声の主は少女のようだ。彼女はおずおずと名乗った後、

「ご無礼申し訳ございません。お開けして、よろしいでしょうか?」


 再度、丁重にその失礼を詫びてきた。名に聞き覚えはある。多分ここの女官の一人だ。


 瑛明は僅かに逡巡した後、大きく歩を進め、「どうぞ」言いながら自らの手で扉を開けた。

 扉の向こうに立っていたのは、すらりと手足の長い少女。やはり見覚えのある女官の一人だった。


「突然すみません。詳しくは分からないのですが、今日は姫さまたちのお部屋には近づいてはならぬとのお達しがあり、鈴を鳴らすことができませんでした。申し訳ございません」


 姫さまたち――俺と芳倫ということことか。


 そういうことで、この事態の露見を先延ばしにしていたのだろう。まだ中相に望みを繋いでいたともいえる。


 ――今は、どうなんだろうか。


「こちらを」

 女官が袖口から取り出したのは、封蝋が施された一通の書。

 声が漏れそうになった。まさか――。


「王上からです」


 その名に、鼓動がよりいっそう強くなる。やっぱりという思いと、どうしてという思いがないまぜになって、息が止まる。


 女官は続けた。

「本日は璃音さまに替わり、王上のお支度を手伝っておりましたが、その際に王上から、『内密に』と言付かりました」

 いくら璃音が傍を離れていたとはいえ、自らの書を、こんなに若い女官に託すなんて。しかも、こんな非常時にだ。


 なんて危うく、大胆な……思わないではいられない。


 同時に、そんな危ない橋を渡らねばならぬほどの事態なんだともいえる。

 瑛明は扉前に立ったままの女官に背を向けて、封を解き、手早くそれを開いた。

 封書を開くと、中には一片の紙と、小さな鍵が入っていた。


『下で待っている』


 それは確かに、あの方の手蹟だった。

 そして、やはり見覚えのあるこの鍵――。 


 「あの……」背後から投げられた控えめな声に、はっとする。肩越し振り返れば、気忙しい目をした女官が、こちらを伺っていた。

 早くここを立ち去りたい――彼女は全身で、そう語っている。そうだった。この娘は禁を犯してこの場にいてくれるのだった。


「ありがとう、届けてくれて。王上にはあなたの働きをよく言っておくから」

「それでは」

 彼女は可憐に一礼し、踵を返した。


 瑛明は大股で前室へと出た。そうして女官に抜かれた閂を静かに扉に挿し込み、廊下に続く扉へと向かう。袖口から出した左手を胸元で握り直したら、古びた鉄錆の臭いがした。まるで血臭のような濃密さだった。


 ――罠かもしれない。


 こんな、あまりにもできすぎた展開。見つかったらただでは済まない。言い訳一つできない。俺を試しているのか。


 ――それならそれで、構わない。


 瑛明は深く息をついた。


 ――たとえ罠だとして、いまさら俺に、何を失うものがあるというのか。


 僅かに扉を開け、廊下に人影がないことを確認すると、瑛明は迷いない足取りで部屋を出た。


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