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きみは最果ての光  作者: 天水しあ
第九章『前夜』
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第八十集「晩安」

 背中を璃律にとられたまま、地下通路を上がり、地下と同じくらいに暗い宮中を、璃音の先導で進む。


 連れられた先は、自室だった。

 てっきり地下にあるという懲罰房に放り込まれると思ってたのに――部屋の鍵を開ける璃音を横目で見ると、暗闇で視線が見えるわけでもないはずなのに、「今日のところは」と低い声が返ってきた。


 そのまま押されるようにして前室を通り過ぎ、居室に入る。


 依軒は起きてこないだろうか――ちらりと思ったが、起きてこようとそうでなくとも、今の自分が彼女に対してできることは何一つないのだと思い、瑛明はわずかに口元を歪めた。


 居室に入ると、突き飛ばされるようにいつもの椅子に座らされた。背後にはぴったりと璃律が立つ。

 そして手にした燈籠を卓上に置いて、璃音が対面に座る。彼女がこの部屋の椅子に座るのは、初めてのことだった。


 小さな炎が爆ぜる

 燈籠のささやかな灯が作る陰影が、一見、何の表情もない璃音の、静かなる怒りを、浮かび上がらせているかのようだ。


「彼女はどうしてる?」

 瑛明はまっすぐに璃音を見据えて、訊いた。

 鼻で笑う声が背後からした。「人の心配をしている場合か」 


 「今は、地下の懲罰房に」璃音も視線を外さず、答える。

 瑛明は僅かに口角を上げ、

「そう、悪いことしたな。ただ、あの部屋の鍵を開けてもらっただけなんだけど」


 女官たちが交代で宿直をすることは知っていた。その宿直室には、全ての部屋の鍵が備え付けられていることも。

 男装のまま宮中を歩き回り、女官たちに気安く声をかけながら、宮中に上がって一年足らずの彼女に目を付けた。

 会うたび親しく話しかけ、菓子をさしいれたり、一緒に院子を歩いたりした。


 そうして、ずっと頬を染めたまま俯いてばかりだった彼女が、はにかみながらも目を合せてくるようになった頃合いで、言ったのだ。


『前の部屋に、大切な耳環の片方を落としてしまった。探しに行きたいと璃音に言ったけれど、許してくれない』と。


 そうしたら彼女が、宿直の時にこっそりと鍵を持ち出してくれたのだ。宿直室の鍵は数を確認するだけだから、似たものを入れておけば気づかれない――そう言って。


「無断で鍵を持ち出すなど、許されることではありませんから」

 冷ややかな璃音の声に、彼女のはにかんだ笑みが思い出された。


 地下の懲罰房で、彼女は今どうしているんだろうか。何も知らず、自らの軽挙を悔やんでいるだろうか。

 それとももう、知ってしまったんだろうか。俺に、利用されたということに。


 そう言えば――彼女の名前さえ、俺は知らなかった。


 最低だな、わきあがってきた言葉が、口の端に笑みを浮かばせる。

 彼女に対する罪悪感は、確かにある。でも。

 瑛明は思い知った。それでも、自らの行為を悔いる気が微塵もないことに。


『あなたを愛しています』

 それを聞いても、あの方は眉一つ動かさなかった。


 「王上、参りましょう」璃宇に促され、「ああ」低く答えて、あの方は身を翻した。振り向いた際、僅かに引かれた顎に燈籠の灯があたって、口元が歪んだのが見えてしまった。


 それならいっそ「ふざけるな」と怒鳴りつけて欲しかった。

 怒りのままに蹴ったり殴ったりしてくれればよかった。


 自らを嘲い、収め、これまでの様々がそうだったように、物分かりよく諦めて欲しくなんかなかった。


 せめて最後に伝えたい――その思いで口にしていた。でもあの方には、まったく伝わらなかったのだ。


 「さあ」声に我に返る。

 気づいたら、璃音が傍らに立っていた。

 

 何――問うように見上げた目を、璃音は冷ややかに見返しながら、言った。 


「脱いでください」


 「え?」何て言った? 


 疑問をのんびりとした声に乗せながら、瑛明は必死に頭を巡らせた。

 どういうつもりだ。まさかそこまで疑われているのか。いくらなんでも、ここでバレたら本当に終わる。もう二度と、王上にお会いできない。


 逃げるしかない。 


 でも傍らの璃音と背後の璃律をどうやって。


「どうぞお召し替えを」

 「え?」怪訝な声が漏れた。


「お召し物が汚れております。あちらに着替えを、ご用意してあります」

 璃音が卓上からすくい上げるように手に取った燈籠を向けた先には、壁際、手洗い用に水がためてある盥が置かれた高卓。傍らによけられた椅子には、衣装がたたんで載せられている。


 璃音に促されて立ち上がると、背後の璃律が動く。ほどなく前室への扉が開く音がした。


「お手伝いは?」

「必要ない」

 盥にかけられた布巾を手に取る際、肩越し背後を振り返った。璃音は僅かに目線を外しながらも、燈籠を手にしたまま、こちらを見ている。距離はとっているが――油断はできない。瑛明は壁に向き直りながら、背中に意識を集中した。


 用意されているのは、女物の衣装だった。久々だな――思わず口元が歪む。


 盥の湯は、わずかに温かかった。この期に及んでまでの気づかいに、瑛明は苦く笑う。

 布巾を浸して、身体を拭うだけでも、強張った身体が解けていくのが分かった。


 袖や袂から濡れた布巾を差し込んで身を拭いながら、瑛明は首だけ振り返り、

「いつから、疑いの(そういう)目で見ていたわけ?」

「お会いした、その日から」

「なるほど」

 笑みが零れた。そんなふうに見られているとも知らず、――なんて馬鹿なんだ。


 左肘を拭ったら、痛みが走った。そういえば、膝もじんじんする。目を落としたら、左右の膝に黒いものが滲んでいた。

 本当に無様だ……笑いがこみ上げる。


 「――王上も?」そう訊こうとして、やめた。そうして落ちた沈黙が――ひどく長い。


  じゃあ――瑛明はこみ上げてくる思いを押さえ込むように、羽織った上衣の下で着替えを進めていく。


 あの時も、あの時も、あの時も――あの方はずっと、俺を疑いながら、傍にいたんだ。


「お休みになられますか?」

 着替え終わると、璃音がそう声をかけてきた。思わず目を向ける。いいのか? という思いだった。


 色々な思いはあるはずだが、璃音は相変わらずの無表情だった。

「じゃあ、そうしようかな」

「夜着のご用意はできませんが」

「構わないよ」

「扉は開けたままにいたしますが」

「それも構わない」

 璃音の持つ燈籠の灯を頼りに、瑛明は隣の寝室へと向かう。


 牀台にたどり着き、身を横たえたところで、「お休みなさいませ」背後から声がかかり、ほどなく灯が消された。

 僅かな光さえない、天も地もない完全な闇が目の前にあった。


 今日は満月、平生なら、窓から白々とした明かりが射し込むはずなのに――恐らく窓に板が打ち付けてあるんだろう。何という用意周到さ――またしても笑ってしまった。


 璃音も璃律も寝ずの番か。俺を縛るなり、牢に放り込むなりするほうが、よっぽど楽なのに。何だってこんな、面倒なこと――。


 嗚呼、そうか。

「手荒な真似をするな!」あの声に、従っているのか。


 俺を最初から、疑っていたはずなのに、なんで――。


 いや、そうじゃない。


 きっと、俺を疑いながら、そういう思いを抱えながら俺に対峙することに苦しみながらも、俺を試していたんだろう。


 なんだ。じゃあ、俺と一緒じゃないか。

 騙している――その思いにもがき、苦しみながら、それでも会わないではいられなかった。おんなじだ。


 瑛明は天を仰いだまま、ゆっくりと目を閉じた。


 王上。

 今ほど、あなたを理解したと思ったことはない。

 今すぐ会いたい、会って話したい。何もかも、隠し立てすることなく全てを。

 だけど――今、俺にできることは、できうる限りの最善を考えること。


 とても眠れない。

 だけど、目をつむって横になっているだけでも身体は休まる。

 できる限り冷静に、万全に、朝を迎えたい。何としてでも、あなたに会うために。


 今、どうされているのか。

 部屋に戻られたのだろうか。

 もう横になられているだろうか。


 だとしても、眠るどころではないかもしれない。夜明けとともに訪れるのは、昨日と同じ平穏な日々では、決してない。


 だけど、今はせめて。

「お休みなさい。よい夢を」


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