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きみは最果ての光  作者: 天水しあ
第九章『前夜』
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第七十六集「不覚」

 瑛明は無言で、正面の父親を睨み据えた。


 そうだ。

 そういう人だ。


 そうでなければ、宮中の奥深くに居る実子に襲撃者を向けるような真似、できるわけがない。その穏やかな笑みと巧みな話術で、一体どれだけの人を騙してきたんだ。


 卓上の桃枝を、瑛明は凝視する。


 自分だって、その一人だ。この期に及んで、何を絆されている。


「私からも訊きたい」

 いきなり声をかけられ、瑛明は戸惑いながらも「どうぞ」その意を目に示した。


 中相は、さきほど瑛明に差し出した茶を再び手に取り、一口含むと、

「あの男はどうした? 帰ってこないところをみると、すでにこの世の者ではないのだろうが」


 中相を見る目が、知らず険しくなる。

「誰が殺った? おまえ――ではないな。では――王上か?」


 この人は……。瑛明は歯噛みする。


 何もかもを知っていて、わざと訊いているんじゃないのか。

 誰かに聞いたのか?

 でもあのことを知っているのは、王上と俺と、璃音たち父子。じゃあ――。


「なるほど」

 その声に、瑛明は自分が中相から目線を外していたことに気づいた。それが中相の言葉に肯定を意を示したことを知る。


 戻した目線の先、中相はうっすらと笑みを浮かべていた。

 溢れ出す疑念に動揺する心も、じっとりと湿る掌も、全て見透かされているかのようだ。


 何を揺さぶられている――瑛明は自分を叱責する。


 この人は、宮中に勝手に出入りできる通路を確保したうえで、俺の部屋に襲撃者を向かわせた。王上が居る可能性を、充分理解したうえで。

 この事実の前にして親子の情なんて、余りにも些末なことだ。


「そちらこそ、待ち人が帰らず、どうなさったのです? 平穏なこの地では、人一人の不在はさぞや噂になったことでしょう。どう誤魔化されたのです?」


 「ああ」 中相は軽く声を上げ、

「あれは地方から連れてきた身寄りのない者だ。一家皆殺しという重罪人の唯一の生き残りでなあ、罪人だけが集まる地方においても忌み嫌われ、遠巻きにされていた」

 すっかり冷えた茶を、中相は香味を堪能するかのようにゆっくりと口に含むと、

「環境か血か――、どうやらあれには『特異な嗜好』があったらしい。とある事件を起こしてから、村では『存在しないもの』と扱われるようになった。まあ――おまえには、分かっているだろうが」


 冷えた笑みと声――ぞわっとした。


 あのとき、背中にのしかかられ、足を絡められた感触。湿った温い息が、にわかに蘇る。身体が一気に冷えて、強張る。

 この人は、そういう男に、俺を――延いては王上を。


「殺したら殺される――だからあの男に手を出す者はいなかった。でも存在を消されたあの男は、あの村では、もはや死者でしかなかった。『何でもするから連れて行ってくれ』あの男は、血が滲むほど地に額を打ちつけて、私に懇願してきた。だから連れ帰った。手始めに、焼いた炭を呑むよう言ったら、おとなしく従ったよ」

 ふと、微笑ましい昔話を思い出したかのように、中相は笑みをこぼした。


 気づいたら何度も瞬きをしていた。


 だけど目の前の風景は何も変わらず、耳に残る言葉もそのままだった。


 毎日ここで、こうやって向かい合って、この国のこと書のこと外界のこと――様々なことを話した。ごくわずかな例外を除けば、和やかな時間だった。この人の言うことは何でも、乾いた地に吸い込まれる水みたいに、すんなり身体に流れ込んできて、俺を満たしてくれた。

 あれから半年――目に映るのは、変わらぬ風景のはずなのに。


 ――でも今、この人が何を言っているのか、俺には全然分からない。

 

「本当に声が潰れるのだな。余りの苦しみように、このまま命を落とすかと思ったが……。身体に漆も塗らせようかと思ったが、それはさすがにやめておいた」

 書かれたものを読んでいるのかと思うくらい、内容にそぐわない涼やかな声。


 瑛明は隣室に目を流した。僅かに開いた扉の奥は、漆黒の闇――室内の不穏さを表しているかのようだ。 

「分類前の書籍が雑多に置かれている」そう聞かされていた。本の重みで床が抜けたから危ない、入ってはいけないと。


 でも事実は――分類作業用の机の下の床板を外すと、地下通路に通じる階段。

 積み上げられた書物の大半は、外界から持ち帰った書物――その中に、『史記』がある――それを示唆したのは、無意識か、それとも。 


 視線を戻した瑛明に、中相は分かりやすく右の口角だけを上げて見せた。おまえの思うとおりだ――そう告げている。


 なんで?


 焼いた炭を呑むなんて正気の沙汰じゃない。

 そして焼いた炭を呑めと命ずるこの人も。


 なんで?


 このままでは堕ちるしかない――そんな恐怖におびえながら、抗うように必死に自分を律して生きていた。だけど一向に変わらない、この危うい日々を抜け出すには、もう真っ当な道で生きていくことは無理だ――何度思ったことか。

 でもそのたび、俺の心を見透かしたみたいに、母さんは言ったんだよ。


 「父親あなたに合わせる顔がない」と。なのに。


 いつしか瑛明は、ただ茫然と呟いていた。

「何故」

「何故?」

 鼻先で笑われた。


 ――そうだった。


 瑛明は密かに吐息を漏らした。大事を前にして、こんな下らないこと、何だって俺は。第一、いくら訊いたところでこの人は、本当のことを話したりなんかしない。無意味な問いだ。


 瑛明は面を伏せ、唇を噛み締めた。膝の上で握った掌に、爪が強く食い込む。


「訊いても無駄、やっと分かったようだな」

 気まずく視線を外した瑛明の目の端で、中相は手にした茶を、悠々と飲み干した。


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