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きみは最果ての光  作者: 天水しあ
第九章『前夜』
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第七十四集「冷笑」

「ただいま。瑛明えいめい

 件の人物は、笑顔でそう返してきた。まるでこの場面が、日常の出来事であるかのように。


 さも当然とばかり瑛明の対面に座り、卓上の角に、手にしてきた燈籠と包みを置いた。音といい四角い形と言い、書籍であろうことは容易に推察できる。

 瑛明は包みに投げた視線を、すぐに眼前へと戻した。


「驚かないんですね」

 瑛明の言葉に、中相は僅かに目を伏せ、

「驚いているよ。もう少し先になるかと思っていたから」

 そう言って、口元を僅かに緩めた。


 中相は視察になど行っていない。

 その推察が間違っていなかったことを瑛明はその包みを見て確信する。視察だというなら農村、書籍など手に入るはずがないからだ。


 本当の行先は――外界。


 視察を装っている以上、北門から城内に出入りしてみせなければならない。行きは北門から一度城外に出て、その付近にあるだろう出入口から地下通路に入り、南下して南門外の出入口から地上に上がり、あの洞窟を抜けて外界へと行き、戻ったときはその逆――日中に出入りしては人目につくから、日が落ち、人が絶える閉門間際に地上に上がり、北門から城内に入るはず。


 そして恐らく、地下通路に繋がる出入口が、きっとこの竹庵にあるはず――瑛明はそう思って日没に紛れて地下に下り、そうしてここにいる。


 中相はふと顔を上げ、

「聞いてはいたが、本当に男装そのすがたでいるのだな。さぞや宮中を騒がせているのだろう。凛々しいことだ」

 そんなことも知っていたのか。帰ってきたばかりだというのに……。


 しかし、しげしげと眺めてくる目に心中を悟らせまいと、「ありがとうございます」瑛明は、さらりと笑って見せた。


「ちょうどよかった。おまえに礼物みやげがある」

「礼物?」

 眉を寄せる瑛明の目の前で、中相が包みを解き始めた。

 二列に固められた書の上に、無造作に丸められた粗紙が置かれている。中相はそれを取り上げ、瑛明の前に差し出した。「開けてみろ」と目で促す。


 瑛明は目の前の紙包と、どこか面白そうに自分を眺めている中相を交互に見ながら、恐る恐る、ただ丸められた包みに手をかけた。

 やけに、ごわついた手触り。この感触、なんだろう覚えがある。


 出てきたのは褐色の、細長い棒状の菓子である。

 瑛明はそれをしばし凝視し、指先でそっと触れたあと、視線を中相に移した。「これは、花華堂の『桃枝』、ですね?」

「そのとおり」

 中相は手を叩いて朗らかに笑うと、

「さすが好物なだけある。では、茶を淹れようか」

 言うなり中相は席を立ち、瑛明に背を向け茶の支度を始めた。


『花華堂』

 武陵にある菓子屋である。


 桃枝は小麦に甘味を加えた生地を、桃の枝に見立てて成形し、胡麻油で揚げた菓子だ。武陵には様々な桃枝があったが、花華堂のそれは、柔らかな甘みと、仕上げに振られる塩との加減が絶妙で、からりと揚げられた生地は香ばしく、瑛明は特に好んでいた。


 とはいえ、嗜好品を頻繁に買えるほどゆとりある生活をしていたわけではない。たまたま売上が良かった日に、ごくまれに、購入していただけだ。しかも閉店間際の、割引されたものを。


 『あなたは外界に行っているのではないのか?』そう、尋ねるつもりだった。


 でもこの人は、自分から俺の疑問に答えて見せた。だけでなく、俺に告げているんだ。


 おまえを、ずっと見ていたんだと。


 静かな室内で、湯がふつふつと沸いていく。室温も少し上がったようだ。瑛明はゆっくりと顔を上げた。


 最近は宮中でしか会っていなかったので、単衣ひとえほうを羽織っただけの、平服姿を久しぶりに見た。旅帰りのはずだが随分こざっぱりとしている。食事も湯浴も終えて、あとは寝るばかりと言ったところか。

 緩い服だからだろうか、少し痩せた気がする。


「さあ」

 差し出された茶碗から、細い湯気が立ち上っている。


 この、いかにも渋そうな黒褐色、俺が武陵で買っていた振売の爺さんの茶だ。

 中相が茶を淹れながら室内に点在する燭台に火を入れたので、辺りは随分と明るくなった。壁面に整然と並ぶ多くの書に、平服で対峙する中相、用意された茶と俺の好きな菓子――あのときと、何一つ変わっていない。


 なのに今は。

 瑛明は茶碗から顔を上げ、まっすぐに中相を見据えた。「説明を」


「説明?」

 中相は瑛明の言葉を繰り返した後、鼻先で笑って見せた。


「それはまた、随分と悠長な話だな。私の説明を聞いて、おまえが納得すれば、それで全てが『善し』となるのか? だいたい、私が真実を話すとでも? ――少しは覚悟を決めた面構えになったかと思ったが、まだまだ甘いな。裁かれるのは過程ではなく事実――そう言ったはず」

 あまりに正論で、言い返す言葉もない。


 だが――呑まれたら駄目だ。怯んだら、呑まれる。瑛明が、半ば強引に口角を上げたとき、


「まあ、そんなことより」

 表情から険を消した中相が、にわかに声を改めた。


「茶が冷める。熱い方が美味い茶だろう」

 どこまで見ていたのか――しかし瑛明は千々に乱れる心を押さえ、にっこりと笑ってみせると、

「そのとおりですね。では、いただきます」

 そう言って、茶碗の茶を一息に呷った。


 僅かに冷めた茶には、幾分渋みが出ていたが、それすらも懐かしい――そう思ったときだった。中相が声を上げて笑い出したのは。


「飲んだな」


 向けられた目に宿る妖しい光に射貫かれたように、瑛明の手から、茶碗が零れ落ちた。

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