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きみは最果ての光  作者: 天水しあ
第八章『足音』
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第七十三集「回家」

「どうなさったの? 怖い顔をして」

 声にハッとした。


 振り返ると、そこには芳倫が居た。いつの間にか階段を下りたのか、隣に並んでいる。先ほどとは一転、声と同じく静かな表情で、ただまっすぐに瑛明を見つめている。


「何を考えていらっしゃるの?」

 重ねられた問いは、いつにない低い声。


 「え?」戸惑いが声になったとき、胸元に、軽い衝撃。鼻先を掠めた高髷から、甘い花の香りが、淡く立ち上る。

 目を落とすと、すぐそこに芳倫の後頭部と、垂らした髪から覗く白いうなじが見えた。


「――私が、何も知らないとでも思っているの?」

 冷えた声で発せられた言葉――瑛明は、自分の懐に入るその姿を、信じられない思いで見つめていた。


 額を押し当てられた天突の辺りが、熱い。


「それは……どういう意味ですか?」

 瑛明の問いかけに、芳倫はゆっくりと顔を上げた。


 見上げる目の縁は僅かに赤く、開かれた大きな眼は濡れている。

 その真っすぐな目で、瑛明は悟った。


 ――嗚呼。そう、だったんだ……。


 その目に、瑛明は何故かそう、合点した。

 瑛明はただ顔を上げて、静かに息を吐く。


 澄んだ青に、薄く流れる雲。

 春の空だ。そう思ったら何故か口元が綻んでしまった。


 恐れていたことが起こっているはずなのに、どこかほっとしている自分がいる。何故だろう。おかしなことだ――思いながら、ふと目を流した。

 あれほど振り返らなかった姿が、渡廊の角で立ち止まって、こちらを見ていた。

 瑛明と目が合っても視線を外すことなく、怒りとも、悲しみとも、諦めともつかない静かな目を注ぎ続けてきた。

 瑛明はただその目を見返し――やがて、その目が映す全貌に思い至って、にわかに胸がざわつく。


 そんな瑛明の動揺を見透かしたかのように、その目は流れた。

 口元に笑みを刻んだまま、その姿は渡廊の角を曲がっていった。


「――待って!」

「痛っ!」

 身を乗り出したとき、胸元で上がった小さな悲鳴が、瑛明を我に返した。


 瑛明は自分に縋る小さな姿を、両肩を掴んで引き剥がし、

「芳倫さま。申し訳ございませんが、今から大切な用がございますので、今日はこれで失礼します」

 言った途端、芳倫の目に怒りとも失望ともとれる火が灯る。


 瑛明はゆっくりと頭を下げ、

「ですが、次にお会いしたときには必ず、貴女と、長いお話を」

 言い切って、顔を上げると、険しかった芳倫の表情が緩んだ。小さく息を吐いて、


 「きっとよ」そう、優しく微笑みかけてきた。


 瑛明は確かに頷き、

「ありがとうございます――では、また」

 言い尽くせない感謝をその言葉に込めて、瑛明は一礼し、彼女の脇を抜けた。


 階段を駆け上がり、渡廊を進む。見慣れた風景なのに、目に入る全てが、まるで発光しているかのように美しく輝いて見えた。


 俺は、彼女の暇潰しのお相手を務めているつもりだったのに――その実、彼女にも許され、護られていたのか。


 そして――。


 手放したくはない、絶対に。

 だったら今度は、俺が――。



                     ◆


 ――今度は、間違いない。

 瑛明は暗闇で、静かに、深く息を吐いた。


 枯葉を踏みしめる音が、まっすぐにこちらを目指している。隙間から、ぼんやりとした明かりが、次第に確かなものとなって流れ込んで来た。


 扉の向こう、解錠の音。

 瑛明は立ち上がった。軋んだ椅子の音は、開いた扉の音が掻き消す。


 掲げられた眩い光とともに現れた姿に、瑛明はにっこりと笑いかけた。


「おかえりなさい、父上」


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