第七集「故郷」
やがて舟はするすると、川の源に着く。
かくしてそこに一山があり、ほのかな光が漏れる穴があった。
ためらわず中に入り、先を行く母を瑛明は慌てて追う。鼻先さえ見えない闇の中であるのに、辺りが見えているかのようにさくさくと母は進んでいく。瑛明は幼子のようにその細い手に引かれ、何度も足を縺れさせながら、必死に後をついていった。
道はどんどん狭まり、人一人通るのがやっとの狭い道を行くこと数十歩で道は尽き、前には巨大な岩が立ちふさがっていた。指が入りそうな隙間、そこから細い光が見えた。
瑛明は壁面に体を擦りながら、どうにか母の前に行き、その隙間に手を掛けた。うまい具合に両の指先が入る。これは開く!
ずっと竿を取り続けていた腕は力を入れるほど震えて、ただでさえ硬い岩は微塵も動く気配はないように思え、何度か息をついた。
だが、気のせいか? と思うほどほんの少しずつ隙間が空いていき、そこに腕や足を入れ、より全身の力を岩にかけられるようになると、岩がじわじわと動いた。空いた隙間に半身がほぼ入ったところで無理やり体を捻じ込み、瑛明は外に出た。
洞内は涼しかったはずなのに、今や全身汗だくだ。桃が香る春風が心地よい。
ここが……俺の故郷、なのか。
眼前に広がるのは、のどかな田園地帯――ではなく、霧がかった視界の限りに広がる、巨大な壁。それは切り立つ両脇の山崖を、背丈の数倍の高さで一直線に結んでいた。漂う霧が、一層ものものしい雰囲気を醸し出しているが、壁までの空間を埋め尽くすように咲き乱れる桃花が、それを和らげている。そして桃林の中には、一筋の道が示されていた。
霧が晴れてきた。
瑛明が再び前方に目を向けると、石で舗装された細い道のさき数十歩の位置に、身の丈三倍ほどの穴が穿たれ、丹色鮮やかな門扉がはめ込まれているのが見えた。
その前で、門兵と思しき鎧姿の男二人が、傍らに矛を置き、胡坐をかいてのんきに碁を打っている。碁盤の脇には酒瓶と盃も見えた。
日の高い内から酒飲んで職務放棄かよ、呆れる瑛明の脇を、小柄な姿がすり抜けた。
「ちょっと、母さん」ためらいなく前に進む母を慌てて追う瑛明。だが母は息子を一顧だにせず、確かな足取りで前に進んでいく。
「――ん? おまえたち、どこから来た!」
あと十数歩の距離で、ようやくこちらに気づいた門兵たちが、碁盤と酒瓶を投げ、あたふたと矛を手に立ち上がる。しかし母は怯まず歩を進めていく。
瑛明は慌ててその前に立った。ほどなく二人の男が駆け寄ってきた。
「どうしてこの岩戸が開いてるんだ!」
若い方の門兵が声を荒げるのに対し、
「何と、玲華様では!」
頓狂な声を上げたのは、老兵の方だった。
「玲華様って、確か十数年前に生まれたばかりのご息女と姿を消された先王の妹君?」
「先王? では兄上は……」
「は。一昨年、突如身罷られ、先ごろ喪が明けたばかりで……」
直後いきなりのしかかった重み。瑛明が慌てて振り返ると、崩れた母が地に落ちるところだった。寸前でその身を抱きとめる。
「母さん!?」
「母? ではあなた様は……確かに、目元に中相殿の面影が」
無遠慮に覗き込む二者の視線は瑛明を困惑させる。なのに腕の母は目を覚まさない。
どうしたらいいか分からないまま、瑛明はひたすらに母を呼んでいた。