第六十四集「不実」
「また厚着になっていらっしゃるじゃない。大丈夫? 今日は日も出ておりませんしね」
言いながら芳倫は、眉間に皺を寄せて背後を振り返る。しっかり閉じられた扉の向こうに広がる曇天を思っているに違いない。
「芳倫さま、どうぞお茶を。温かいうちに」
「そうね、いただくわ」
依軒に勧められるまま、芳倫は瑛明の対面に座った。いつもどおりだ。
なのに、それに何故か違和感を覚えてしまい、瑛明はそっと顔を伏せ、苦く笑った。
芳倫はといえば、部屋を見渡しながら、
「新年早々、部屋替えだなんて大変でしたわね。長年使われてない部屋だったから、水漏れが出ちゃったのかしら。確か鍵の壊れた長櫃もありましたよね」
「ええ」瑛明は小さく頷く。
「少し手狭になったかしら。まあ、どうせ近々後宮に移るわけですし、何より私たちの部屋が近くなったから、却ってよかったかも。何かありましたら、いつでもいらしてね」
にっこり微笑まれて、瑛明は曖昧な笑みを浮かべながら頷く。胸の痛みを覚えながら。
こうやって心配してくれる無垢な少女を騙しているのだ、俺は。
そして芳倫には、俺から真実を告げることは、ない。
「ありがとうございます」
そんな思いが、声を大きくしてしまった。しまったと思う目の前で、芳倫がくっきりと眉間に皺を刻み、
「いやだ、声も少しおかしいみたい。この寒さじゃ、無理もないけれど」
そう言って、彼女はさりげなく羽織っている大衣を胸元に引き寄せた。内側に貴重な白狐の毛が縫い付けられた高級品である。
「寒い部屋ですみません」
瑛明はできるだけそっと声を出す。
首元に幾重にも巻いた圍巾越しに、喉をさすると、分厚い手套越しでもはっきりと分かる突起物が指先に触れた。また、出てきた気がする。
口元を覆い隠す蒙面越し、小さく咳払いをして、喉を整える。痛みも増しているようだ。
「喉の調子が悪い時は、乾燥が大敵ですものね。火がたくさんは焚けないのは、仕方ないですわ。大丈夫、私が厚着をして来ればよいだけですし、春はじきに来ますから」
深窓の令嬢らしく、しょっちゅう体調を崩すかよわい身で、こんなことを言う。
俺が、新年早々の部屋替えで疲れが出て、体調がすぐれないのだと本当に信じ、心配している。一緒に後宮に上がって、ゆくゆくは王上とともに一つの家族になるのだと、微塵も疑っていない。
なのに俺がしていることと言えば。
「はあ」
芳倫が席を立ち、依軒が見送りに部屋を後にするのを見計らって、瑛明は溜息をつく。
じっと耳を澄まして、前室から渡廊に続く扉の開閉音を確かめてから、瑛明はおもむろに立ち上がった。
以前と同じく部屋の隅に置いた鏡台を目がけて歩きながら、瑛明は手套、蒙面、圍巾、青い披風を次々と脱いでいく。
「はあ」
鏡台に座って、瑛明は再度溜息をついた。
首や手を回しながら、傍らの、今度はちゃんと鍵のかかる、本当にただの長櫃に、手に絡みつくもの全てを、文字通り放り投げた。
そう、芳倫に言った何もかもが嘘だ。
火鉢が使えないから厚着をしているのではなく、厚着をしなければならないから、火鉢を使わないのだ。蒸し焼きにされかねない。おまけに汗で化粧が流れてしまったら最悪だ。
「また、痩せた気がするな……」
鏡をまじまじと覗き込みながら、瑛明はぽつりと呟く。
日々丸みが失われている気がする。
骨ばった手は、華奢な女性のものとは違っている気がする。肩も張ってきた気がする。喉仏も良く見れば分かる気がする。
この顔も――以前より丁寧に、時間をかけて塗っているけれど、女性らしさが薄れているように思える。厚く装って、あとどれくらいごまかせるのか。つい張ってしまうと声が掠れてしまうのは、もうどうすることもできないのに。
抽斗をそっと開ける。
耳環や簪、櫛等の小物の収められた小箱の上に、折りたたまれた白い紙が載せられている。
瑛明はそれを、ゆっくりと引き出した。
まるで部屋替えを待っていたかのように届けられた信書――それは中相からだった。




