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きみは最果ての光  作者: 天水しあ
第六章『逢瀬』
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第四十五集「有你在」

 やたら気の利く老板から、店が落ち着いた頃合いを見て試作品やら、茶の継ぎ足しやらを受け、歩き回ったこともあり、既に皿は空になったものの、二人は茶碗を手にしたまま、なんとなく見せに居ついてしまった。


 最近の習い事から、さきほど鈴黎堂で見た見事な刺繍の衝立の話になった。

「あれは立派でしたよね。目を奪われました」

「もっと凄い品を見たことがあるんじゃないか。外界にも市はあるんだろう?」


「え?」


 突然の転換に、瑛明は随分と間の抜けた声を上げた。

 『外界』が何のことか咄嗟に分からなかった自分に驚きながら、瑛明は頷き、「ありますよ。大小の違いはありますけれど」

「大小? そうか、外界には城市がたくさんあるんだよな。桃花源と違って。やはり賑やかなのか? こことは違いはあるか?」


 そう言われて、ふと昔に思いを馳せる。


 少なくとも――外界の市でこんな穏やかな時間を過ごしたことはない。

 何一つ買えやしないのに、人恋しさについ足を向け、ただただ雑踏を眺めていたこと、金銭を得るために店を拡げて、愛想を振りまいて時にわざと触れたりもして品を売っていたこと、売れそうな品を作るために悪戦苦闘したこと、そんな中、細工中の竹が跳ねて怪我をしてしまい、母に「こんな醜い傷を」と叱られたこと――思わず手を広げた。左手の親指に、いまなお傷が残っている。深く抉られたので、こればかりは消えずに残ってしまった。


 親指の付け根に蚯蚓のように盛り上がった傷跡に、ふと指先が伸びてきた。「どうしたんだ、この傷は」

「竹で細工品を作っていたら、ついうっかり……」

 苦笑いを浮かべながら親指を折ろうとしたけれど、

 「――痛かっただろう?」その声と同じく、温かい指先がそっと痕を辿る。思わず目を向けると、小妹は眉間に僅かに皴を寄せて、じっと指先を見ていた。


「指は、ちゃんと動くのか?」

「それははい、特に支障はありません」

「それは良かった」

 指先が掌に回って、そのまま仰向けられる。ためらいなく触れてくる指先に戸惑いながら、またそれが本当に白く美しく、自分の豆やら小さな傷やらで固くなった掌を辿るのだ。羞恥で身体が熱くなった。


 日焼けしないようにと手套てぶくろは常にするよう母に言われていたけれど、作業のときは邪魔だったし、人前では余りに不自然だからと外していたから、やはり日に焼けてしまったし、節くれだってもいる。白くて長い指だとよく褒められていたから慢心もしていた。美麗な暮らしをするわけでなし、少しくらい焼けようと傷つこうと、大した話ではないと。


 それを今ほど後悔したことはない。


「璃宇も、この手を褒めていた」

 王上の――と言いかけて睨まれた。「小妹の美しい手を見てしまうと、見苦しくて嫌になりますね」言いながら手を引っ込めようとしたら、両手でつかまれた。

「何でもできそうな手だ。私は何にもしていないから、何にもできない。だから子供みたいな手だ。でも」


 小妹はにわかに顔を上げ、「おまえが傍に居れば、何の問題もないな」


「大兄さんの手相を見てやってるのかい?」

 空いた皿を重ねた盆を持った老板が通りかかる。「仲がいいねえ」

「やっと連れ出せたんですよ。深窓の兄上なんです」

「それは良かった。小爺わかさま、またどうぞお越しください」

 二人から向けられた笑顔に、瑛明は頷くのがやっとだった。


 鐘が鳴った。北の宮城から日没が近いことを知らせる鐘声だ。

 その音の意味を中相に初めて聞いたとき、「まだ随分と日は高いですよ?」と瑛明は言った。それに対し中相は、「ここは山間だからな。日没は早い」


 まさにその言葉通り、それからあっという間に暗くなった。そして日没を告げる鼓声が響けば、城門のみならず各戸も門を閉ざすと聞き、「でもこの地に外敵は来ませんよね?」再度問うた瑛明を中相は流し見て、

「外敵は人とは限らぬ。特に野生の獣は、髪の毛一筋残さず平らげてもらえるぞ」

 いつもの穏やかな笑みのはずなのに、冷たいものが瑛明の身体を突っ切ったことをにわかに思い出した。


「そろそろ行こうか、璃宇が迎えに来る」

 そう言うと、小妹は空になった茶碗を置いて立ち上がった。そうして「じゃあ老板、また」奥で店を片付け始めている老板に、軽く手を上げて声をかける。


 二人は店を出て、ほどなく突き当たった大路を西に向かう。いまだに空は青いが、正面からの日差しは確実に弱まっていた。道中、たわいないことをひたすら話した。小妹はずっと楽しそうだった。よかった。


 だけどその実、一体何を話したのか、瑛明はあまり覚えていない。



 璃宇の車から降りた倉庫街は北西方面にある。そちらに向けてゆるゆると歩いていると、閉店間際の売り切りを謳って、あちこちから大きな声が上がっていた。帰路の門を目指して歩く人々が、その声で時に足を鈍らせ、時に足を止めて、店先に吸い込まれていく。


「まだ随分と人がいるな。冬は日が落ちるのが早いのに」

 「だからこその売り込みが強烈ですからね。小路から行きましょうか。お待たせしても申し訳ないですし」そう言う瑛明の言葉を、「あ、かわいい」の声が遮る。一際大きな呼びかけに目を投げた小妹はそう呟いて、足を止めた。


 ここは市内に二本ある南北大路のうちの西側にあたる大路――に面した倉庫街であり、軒先に布を張って屋根にしただけの簡単な露店が並んでいた。璃宇と落ち合う場所はこの大路を北にもう少し進んだところだ。


 露店街は、色々な店が並んでいた。各倉庫の蓄えのうち半端なものや傷物などを売っており、掘り出し物が望めるという通りなのだろう。店じまいが簡単だからか、まだまだ商品は出揃っていて、そこそこの客足もついていた。


 小妹が足を向けたのは、竹細工の店だった。


 露店の背後には背丈ほどの竹垣があり、その向こうはどうやら竹林のようだ。この市も元々は中相邸と同じく王宮の竹林だったということだから、その名残ということだろう。


 まさに採れたてってか――店の傍らに縦横に置かれた竹を一瞥したあと、地面に敷いた布の上に並べられた様々な商品を、瑛明は腕組みをして見下ろしていた。水筒に籠、扇、笠――竹の素材そのままを活かしたものから手を入れたものまで、品揃えは豊富である。


 瑛明の足元にしゃがみ込む小妹が手に取って眺めていたのは、方形の箱だった。僅かに色合いの違う竹でざっくりと編みこまれたものだ。抽斗ひきだしとしても使えそうな代物である。

 ほどなく、瑛明のすぐ脇、店先で往来に向かって声を張り上げていた若い男が、竹垣の向こうから現れた男に呼ばれて店の奥に入っていく。


 それを契機に、瑛明は小妹の隣にしゃがみ込んだ。

「それくらいなら、俺が作ってあげますよ」

 

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