第三十七集「変装」
バンッ!
部屋の扉が勢いよく開けられる音。
「瑛明さま!」
前室の扉が勢いよく開いたと思ったら、続けて跳ね上がった声が飛び込んできた。
あの小姐!
ついに先触れもなくやってくるとは。しかも、ずかずかと部屋の中まで。
「申し訳ございません芳倫さま。瑛明さまは、ただいまお支度中です。しばしお待ちを。――まあ、それにいたしましても随分素敵な披風でございますね。よくお似合いですよ」
「でしょう? 王上がご用意くださったのよ。あんまり素敵だから、瑛明さまにも見ていただきたくて。瑛明さまへのお仕立ても拝見したかったし! あ、コレ実家から贈ってきたお菓子。これも一緒に並べていただける?」
「これはまた珍しいものを。いつもありがとうございます」
「そんなに慌てなくてもいいのよ。突然やってきてしまって、ごめんなさい」
そう思うなら、せめて予告して来いよ! いやせめて、来訪の鈴を鳴らしてくれ! 今度から前室には鍵をかけておかないと――。
「いえいえ、うちの瑛明さまにいつもお心をかけていただき、ありがたい限りでございます。主の中相も、芳倫さまのお優しさには深く感謝しておりました。くれぐれもよろしくお伝えするようにと申し付かっております」
「まあ中相さまが」
そんな依軒と芳倫の型通りのやりとりの合間に、小さな叩扉の音。
「瑛明さま」璃音の声。
瑛明は素早く扉に寄って、薄く扉を開けた。
「璃音、あれ」
瑛明は背後の牀台、広げた衣装にちらっと目を投げてみせると、押し殺した声で訊いた。「どういう意味?」
「それは明朝、直接お尋ねくださいませ。あちらは後ほどご試着いただくとして、今はその披風を。芳倫さまがお待ちです」
「――分かった」瑛明はそっと扉を閉め、男物の衣装を手早くまとめ、牀台の下に押し込んでから、披風を羽織った。胸前で披風の紐を結びながらも、心は穏やかでない。
大きく息を吐いてから扉を開けたとたん、赤の披風をまとった芳倫が駆け寄ってきて「まあ!」と華やいだ声を上げた。
「瑛明さま! その青、素敵だわ、いつにもまして凛々しくいらっしゃるわ!」
「芳倫さまこそ、よくお似合いですよ。さすがは王上のお見立てですね」
「本当に。お忙しい御身でいらっしゃるのに、こんなにも私たちのことをお考えくださって、もう私たち、どうしたらいいのかしら」
「本当に……」
どうしたらいいんだろうか。
翌朝。
「昨日は、見事な披風を、ありがとうございました」
璃音の言葉通り、王が瑛明の部屋を訪う。
璃音が扉の方へ下がるのを待ちかねたように、瑛明は対面に座す王に礼を述べた。
「気に入ったのならなによりだ。そのうち着て見せてくれ。芳倫が『凛々しい』と評していたそうだから、狙い通りだったようだ」
目の前でにこやかにそんなことを言われたものの、瑛明はひきつった笑いを浮かべるのが精いっぱいである。
昨日は芳倫と何を話し、どう帰したのか覚えていない。
その後も上の空で、依軒に「いくら素晴らしい贈り物をいただいたからといって、浮き立ち過ぎではありませんか」とたしなめられたほどだ。
瑛明は意を決し、
「あの! 『他のもの』も、どうもありがとうございました」
口にしてぐっと唇を噛む瑛明に、王は「ああ」と軽く声を上げ、
「さすがは璃音、抜かりはなかったな。直しが不要なら問題ない。昼から出かけよう」
「え?」つい気の抜けた声が漏れてしまう。
「前に話したと思ったが」
忘れたのか? と責めるような険のある目と声に、瑛明は慌てて「もちろん覚えています!」
王、曰く。
「私もおまえも『深窓』だからな、顔を見知っている者は多くはないが、見つかったら大事になる。念のための『変装』、だ」
「変装……」
まあ、女性が男性の格好をするのは確かに変装だな。ちょっと複雑な気分だけど……。
「それに以前、志按から言われたのだ。瑛明は外界にいたとき、塾に通うため男装で過ごしたこともあったので、女性らしからぬふるまいをするようなことがあるが、大目に見てやって欲しいと。その姿、見てみたいとずっと思っていたのだ。さぞや凛々しかろうと」
――この人は……。
だからそう言うことを、そんな綺麗な顔で、しれっと言うなって!
「王上、ほどでは……」
「光栄だな」
瑛明が口ごもった言葉に、王は少しだけ笑ってそう言った。
「ですが……」依軒をどうごまかすのか。眉間を曇らせる瑛明に、王は小さく笑いかけた。「万事、私に任せておけばいい」
果たして朝食を終えると、依軒に使いがやってきた。宮中で長年働く彼女の幼馴染が、是非遊びにと誘いに来たのだ。「万事任せておけ」とはそういうことかと思いつつ瑛明は、「せっかくだから行ってきなよ。身支度も昼寝も習い事も、璃音がいるから大丈夫。そのあとは小姐からお茶のお誘いがあるだろうから、夕方までゆっくりしてくるといい」と寛大に――と言うより前のめりに送り出した。
そして。
「瑛明さまは男装をされておられたこともあるとうかがってはおりますが、必要でしたらお召し替えをお手伝いいたしますが?」
璃音の控えめな申し出を、「大丈夫」と遠慮なく断り、瑛明は一人寝室に入った。
誰もいないのをいいことに、思い切りよく着ているものを脱ぎ、用意された男物に袖を通す。胸に巻き付けるためと思われる白布まで入っており、「要らないんだけど」と思ったものの、あえて心衣(綿入胸当て)の上からそれを巻き付けた。
嗚呼。この、動きやすさ! 股下の心強さ! やっぱり落ちつく――思いながら瑛明は、手早く脱いだ服を畳むと、念のために牀台の下に滑り込ませる。そうして隣の居間に戻ったが、璃音の姿はなかった。律儀に前室で待っているようだ。
まあ、いいか……思いながら瑛明は、おもむろに鏡台に座った。朝、王が来る前に薄く化粧はしているが、帰ったら即落とす。依軒に見つかったらコトだからだ。依軒が起きて、朝食を終えてから改めて身支度を整えるのが日常である。白粉の減りが心配だったけれど、さりげなく璃音が補ってくれた。さすがだ。
「さて」瑛明はまじまじと鏡に映る自分を見る。
貴族は男子でも多少は塗るのがたしなみみたいだし(あの左相でさえ塗っていたしな)。
「王上くらいでいいんだよな……」
呟き、毛先に含んだ白粉のほとんどを皿に叩き落してから、顔に置いた。
でも。ふと思う。
俺が男装ってことは、まさか、もしかして。
長櫃の底が「カタッ」とかすかに鳴った。底板が外された合図だ。
瑛明は立ち上がって長櫃の蓋を開け、底板を持ち上げ、来訪した王を迎え入れたのだが。
「瑛明、待たせたな」
――やっぱり!




