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きみは最果ての光  作者: 天水しあ
第四章『失くした時』
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第二十四集「変えられないもの」

「本来であれば、おまえはこの場所で、私の嫡子として何不自由ない生活を送るはずだった。玲華の勝手な思い込み――いや、彼女が、あんな暴挙に走るほど追い詰められていたことに気づかずにいた、私のせいだ」


 すまない、と頭を下げられ瑛明は驚く。自他共に認めるこの国一の実力者である中相が、何の力もない、若輩者で異端者の自分に頭を下げている。瑛明は慌てて立ち上がり、

「やめてください! そんなの……」

 だけど言葉は続かない。言うべき言葉が、見つけられなかった。どうしても。


 「どうやって母と二人、生き延びるか」を考え続けた自分を「いたいけな子ども」と見られること、居心地の悪い嬉しさと、断固たる拒絶がないまぜになって、瑛明を混乱させる。ただ痛いくらいに熱い目頭の奥から、何も零れ落ちさせたくなくて、瑛明は固く口元を引き絞った。


 顔を上げた中相は、瑛明を着席させると、

「誰一人知らない土地で、母は世間知らずとくれば、苦労したことだろう。子どもらしい生活を送らせてやれなかったのは親として心苦しい。とはいえ、すでに成人近いおまえにそんなことを言ったところで詮無いことだ。失われた時を取り戻すことはできないが、これから先を変えることはできる。だからおまえも、過去のことに囚われ続けるな。不幸な過去に絡め取られ、これからを犠牲にするのは、余りにも愚かしいことだ」


 それは不思議と受け入れられる言葉だった。訳知り顔で、その場しのぎとばかりにかけられ続けた「頑張ればなんとかなる」という声とは明らかに違っていた。

 瑛明はただ唇を噛み締めて、何度も頷いた。



 またある日のこと。

 「玲華に感謝だな」手にした書を閉じた中相が、薄い笑みを浮かべて、そう言った。


「『論語』くらいは読めるだろうとは思っていたが、それ以上だ。四書五経の素地ができている。女どもはおまえの出来に大層驚いていたしな。――あちらはおまえを、育ちも分からん粗野な田舎娘だと思っていただろうから、驚きは私以上だろうな」

 何か思い出すことがあったのか、中相は含み笑いをしながら随分なことを平然と言う。


「そう出来のいい方ではなかったのですが」

「そのようだ。驚きはしたが目を見張るほどではない。まあ、どこぞの山猿に付け焼刃の知識をつけて宮中に上げてくるのだろうと、嬉々として待ち構えている連中の鼻をあかすには十分だ。とはいえ、足元を掬われないように、日々精進することだ」


 ホント、容赦ないな――瑛明の口元は自ずと綻ぶ。それを見た中相は、

「怒らないのか?」

「事実ですから」

「……よい心がけだ。では少し休もう」


 中相は立ち上がると、南面に置かれた棚の前に立ち、茶の支度を始めた。

 ここには中相と瑛明二人しかいない。だから何もかもを二人でこなす。室内の片づけや外の掃除といった様々な雑事もだ。


 中相が茶の用意をする間に、瑛明は机の上のものを片付ける。日によって役割は入れ替わる。最初は瑛明が「全て自分が」と申し出たが、「割り振ったほうが早い」と中相に返され、事実そのとおりなので、以来その言葉に従っている。


 机が片付いた絶妙な間で、湯気の漏れる蓋碗が二つ置かれる。中には茶葉と湯が一緒に入っており、蓋をずらしながら茶葉を吸わぬように飲む。飲みきったらまた湯を足す、という仕組みだ。


 分厚く、飾り気のないざらついた蓋碗は、離れで使っているものとは違い、明らかに実用向きだ。粗めの茶葉も素朴な味わい。要するに、どれも決して高価なものではなかった。


 中相は「ここは、かつての私が送っていた崔家の日常そのままだ」と言う。

 歳の離れた末子だったうえ、母が下女という卑しい出自だったため、崔家では冷遇されていたらしい。裏付けるように掃除も茶の支度も実に手際が良く、仲がよろしくないという左相が見れば「これだから下賤な出自の者は」と鼻で笑うんじゃないだろうか。 


 でも、たとえ言われたとしても「それが何か」と涼しい顔をしていそうだ、この人は。


 今では何もかもを思うままにできる人なんだろうけれど――でもたまに思う。それは本当に、中相の望むことだったんだろうか。

『失われた時を取り戻すことはできないが、これから先を変えることはできる。だからおまえも、過去のことに囚われ続けるな』


 あの時、俺にかけてくれた言葉は、自分にも言い聞かせているようにも思えた。


 おかげで出世できたなどと嘯いていたけれど、許婚を奪われるなんて、きっと凄く辛いことだ。中相が望んだのだから、素敵な人だったに違いない。


 俺がもし好きな女を奪われたら……。


「どうした」

「いえ」

 瑛明は首を振り、慌てて茶に手を伸ばした。

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