第二集「覚醒」
目が覚めて薄暗がりに見えたのは、ごつごつした粗野な岩肌ではなく、緻密に整然と並んだ竹が傾斜する屋根と梁だった。
重くなっていく瞼を感じながら、ここが何処かとしばし考える。
やがてここが、今、自分が生活している家であることを瑛明は理解する。いつもどおり、鶏の第一声で目覚めたということも。
一年も前のことを、こんなにも生々しく思い出すなんて……。額に貼りつく髪を剝がしながら、瑛明は一人苦く笑い、静かに起き上がった。
部屋の中央に鎮座する、四面に椅子を配した方形の机の向こう、屋根と同じく竹で拵えた、胸丈くらいの衝立がある。その奥にある、壁際に据えられた帳付きの牀台を、瑛明はしばし凝視していたが、帳が僅かでも揺れる気配はない。
うなされたり大声をあげたりはしなかったみたいだ――ほっと静かに息をつくと、軋んだ音を立てないよう牀台からそっと下りた。椅子にかけておいた衣装をさらい、入り口の扉を薄く開けて、滑るように家を出る。
ひんやりとした早朝の空気が、火照った身体をぎゅっと包み込む。清涼な空気を胸いっぱいに吸い込むと、身体の奥まで引き締まる感じがした。
井戸の水で顔を洗い、口を漱ぐ。そしてわずかに明るさの増した空を眺めながら、竹林のざわめきと鳥の声を耳に、着替えた。
「春だな……」
肌を撫でる空気は、日ごとに温んでいるのを感じる。思わず漏れた言葉で、ほっと身体が緩んだ時だった。
「瑛明」家の中から、空耳かと疑いたくなる、かすかな声。
瑛明は慌てて身を返し、今度は勢いよく扉を開ける。竹の衝立越し、牀台で上体だけ起こした母がこちらを見ていた。
薄暗がりでも分かるほど目鼻立ちのはっきりした面立ちは美しく、その首は姿は折れそうなほど細い。誰もが手を延べたくなるような、か弱い姿だ。
瑛明は大股で傍に寄り、衝立に手をかけながら、
「まだ早いよ、母さん。もう少し眠りなよ」
僅かに帳が揺れ、空いた隙間から白い手がおずおずと延びてきた。瑛明がその手を拾うようにとると、細い指先が、僅かに力を込めて握り返す。
「おまえに物売りのような真似をさせてしまうなんて……貴方の父上に、なんと申し開きをしたらいいのか」
そう唇を噛む母の姿に、瑛明は僅かに顔を伏せ、苦く笑った。真似じゃなくて、本当に物売りなんだけどな。
だがすぐに顔を上げ、
「俺だってもう十六なんだよ。母さん一人くらい、養えるさ。父上だって――病身の母を助けて、よくやったと褒めてくださるよ」
瑛明はそう言って母に笑いかけると、静かに握った手を放した。「じゃあ行ってくる」
「笠を忘れてはなりませんよ、手套も。日に当たらないように気をつけて」
「仰せの通りに」
再び外に出る。
左手にある井戸の向こう、竹の柵が囲う矩形の空間があった。瑛明が大股で近づいていくと、中にいる鶏たちが騒めき出す。
瑛明は柵の外側に設置された箱を開け、中にある枡いっぱいに雑穀を盛ると、柵の中に入り、餌箱にそれを流し込む。鶏たちがそれにがっつくのを横目に、水を入れ替え、中を掃除した。
それから柵を出て、今度は右手に並ぶ畝に水を撒き終え井戸端で手を洗うと、軒先に置かれた籠を背負い、壁際に掛けられた笠を被って、瑛明は小さな竹の庵を後にした。
瑛明は斜のある小道を下り、まだ日も上がりきらない鬱蒼とした竹林に、臆することなく踏み入っていく。
少し色の抜けた水色の上衣に、紺色の裙子を高腰で留めている帯は、襟と同色の桃色。頭上高くに結い上げた豊かな髪の一部を、竹の櫛で止めている。垂らした残りの後ろ髪をなびかせながら、暗く足場の悪い傾斜を、瑛明はさくさくと下りていく。
ふと背後を振り返ると、空がさらに白んできていた。急がないと城門が開いてしまう。
「やば……」まるで日に追われているかのように、瑛明はさらに足を速めた。