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きみは最果ての光  作者: 天水しあ
第三章『出会い』
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第十七集「この世でただ二人」

「さて」


 改めてこちらに向き直った王が、にわかに表情を改めた。「この度は、非常に残念なことだった」

 「え?」間の抜けた声が漏れた。

「――叔母上のことはよく父が話してくれた。こちらに戻られてすぐにでもお会いしたいと思っていたのだが、体調を崩されていると聞き、快復を心待ちにしていた。まさかあんなに急に逝かれてしまうなんて……。騒ぎになってはと訪問も控えたのだが、今にして思えば、夜間密かにでも、私からお訪ねするべきであった。――残念だ」


 この人――。

 気づいたら、瑛明はまたまじまじと目の前の人を見ていた。


「父はずっと、叔母上と、瑛明のことを気にかけておられた。一体どこで、どうしているんだろう、ちゃんと食べているだろうか、凍えてはいないだろうかと口癖のようにおっしゃっていた。私は父と二人きりだったから、叔母上といとこがいることが嬉しくて、早く会いたいと思っていた。会えたら一緒にこんなことしたい、あれをあげたい、と。おかげで私の部屋は、ガラクタだらけだ」

 そう言って王は目を細めた。


「私も先ごろ父を亡くした。ずっと二人寄り添ってきた父だ。とても辛かった。――だけどどこかで、母とただ二人で生きているだろう瑛明を思うたび、心が慰められた。私たちは、この世でただ二人、同じ気持ちで生きている、それがどれだけ私を励まし、支えになっていたことか。だから、きっと会えると信じていた。ずっと帰りを待っていたよ、瑛明」


 何をやってる。

 目を外さないと。

 お悔やみを言われたら返礼を。

 それに、礼物へのお礼だって――。


「すまない、不謹慎に笑ってしまったりして。瑛明がちょっとでも笑ってくれたら、なんて思ってしまった」

 言われて愕然とする。

 俺、ちゃんと笑ってたよな? いつも通りに、うまく取り繕って。

 いつでもどこでもうまくやり過ごしてきたはず。だけど、そう思っていたのは俺だけってことなのか? そんなはずはない。


 手が温かい。


 見れば、毛氈の上で形ばかりに組まれていた両手が、上下から包み込まれていた。

「よく帰って来てくれた」

 思わず面を伏せた。床に広がる薄青の裙子に続けざま雫が落ちる。

 化粧が落ちるじゃないか。

 もう泣くまいと、決めていたはず。


 ああでももう――無理だ。


 呑み込んでも声は勝手に漏れてくる。いつしか背に手が回され、次第に力が込められていく。仄かに甘い香りがした。

 瑛明は導かれるまま王の肩に額を預け、ただ泣き続けた。




 それからどれくらいが経ったのか――。

 瑛明の声が次第に小さくなり、やがて止むと、シンと室内が静まり返った。

 その、耳に痛いくらいの静けさで、瑛明は我に返る。どうするよ、これ。

「落ち着いたか?」

 絶妙の間合いで声がかかった。

「はい」と言いたいところだが、声はすでに涸れている。瑛明は必死に頷いた。

「それはよかった。――ところで」

 そこで王の声が小さくなる。耳元にそっと口が寄せられ、


「おまえは、どこまで、知っている?」


 「え?」瑛明が小さな戸惑いの声とともに顔を上げたとき、目の前の、端正な顔立ちが不意に歪んだ。

 瑛明の背に回した腕を解いたかと思ったら、両手で口元を固く押さえた。笑うのをこらえているようだがどうにもこらえきれないらしく、床に目を落としたまま、肩を震わせている。ますます意味が分からない。


 困惑する瑛明に「すまない」と声をかけながらも、王はなかなか笑いをとめられない。しばらくして、どうにか声を収めた王は、懐から手絹ハンカチを取り出して瑛明に渡すと、その帯に挿に挿された扇子を抜き取って差し出し、

「化粧が落ちまくってるぞ。かなり派手に。それで隠しておくといい。それとその手絹は差し上げる。――じゃあもう、いいな」


 そうして瑛明の両肩に手を置いて勢いよく立ち上がり、滑らかに踵を返した。

 長衣の裾がふわりと揺れる。褲子の裾を差し込んだ膝下までの高革靴が、大理石の床を鳴らしながら大股で遠ざかっていった。その姿を、扇子の下から追った目が、玉座まで行き着く。あいつはさぞや冷ややかな目で――目元の熱さと頬の火照りを感じながら目を移したが、「あれ?」思わず声が出た。


 璃律も、壇上と階下の両脇に控えていた衛兵たちも、振り返ると中相もいない。慌てて向き直ると、玉座に収まった王が傍らの小卓に手を伸ばしながら、

「外野がいては心置きなく泣けないと思って。でももういいな」

 そういうと、卓上にあった銀の鈴を鳴らした。澄んだ美しい音が渡っていく。

 やがて複数の足音が近づき、前方に五つ、隣に一つの気配を感じた。


 慌てて面を伏せる。

 全身がものすごく熱い。顔が上げられないじゃないか。


「大変失礼を」

 中相の声に身体が固まる。冷や水をぶっかけられるとは、こういうことを言うのだろう。

「なんの。我らはいとこ同士。瑛明は私の大切な身内だ――時に、志按」

 王の声が、にわかに改まった。

「私は瑛明を宮中に招きたい。最も近しい身内であるし、気心も合いそうだ」

 気恥ずかしさも安堵も、一気に霧散した。


 宮中に招く?

 遊びに? いや、それはない。つまり……。


「我が祖父母も、いとこ同士だったと聞く」

 ちょっと待て……慌てふためいていると、「恐れながら」中相が静かに声を上げた。


「ありがたいお話ながら、ご覧のとおり不調法者で、王宮に上げたとて、皆様にご迷惑をおかけすることは必定。どうぞご容赦を」

 中相の言葉を継ぐように、璃律が小さく、だが充分耳に届く程度の声で、言う。

「王上、近く左相のご令嬢をお迎えすることになっておりますゆえ、どうぞお留まりを。いえせめて、今しばらくご猶予を」

「そちらは私が呼んだわけではないぞ」

「ですが」

「第一、瑛明は産まれてしばらくは宮中に留まるはずだったんだ。今からその時を取り返して、何が悪い」

「どういう理屈ですか」

「とにかく!」

 王は突如声を荒げ、勢いよく立ち上がった。


「瑛明がこちらに戻ったばかりで何も知らぬというのは周知の事実だ。それを承知で私が招くのだ。何の問題もない。もし瑛明が『どうしても嫌だ』というなら考えよう。だが他の者の言葉は聞かぬ。志按、後日回答せよ。よい返事を待っているぞ、瑛明」

 それだけ言い捨てると、王は席を立った。


 慌てて璃律が後を追う。虫くらいは余裕で殺せそうな鋭い一瞥を瑛明に投げつけて。そのあとを衛兵たちが小走りで続いた。


「どうしようよう……」

 顔を上げられないまま、扇子の下で瑛明は、何度もうわ言のように、そう呟いていた。


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