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きみは最果ての光  作者: 天水しあ
第三章『出会い』
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第十三集「帰る場所」

 ことあるごとに考えていた。


 ――もし、母さんがいなくなったら。


 それは恐ろしい、だが必ず訪れる確かな現実だった。そうなれば、戸籍を持たない、仲間さえいない自分を待ち受けるのは、奴隷か盗賊か、もしくは……。

 だとしても、あの世間知らずの小姐おじょうさまを一人遺すよりはずっとましだと思った。もし、そんなことになるなら、その前に俺が――。


 初めて参列した葬礼は、それは盛大なものだった。豪奢な葬列品が並び、精緻な彫刻が施された棺に横たえられた母は、これまでで一番美しい装いをされ、参列した大勢が上げた哭礼の悲痛な声は、天を震わせるほど。

 思い出すたび、外界とのあまりの違いに、現実かどうかが分からなくなる。


 母さんはいなくなった。


 だけど俺は奴隷にも盗賊にもならず、大豪邸で、大勢の人と物に囲まれ、自分のことさえ誰かがやってくれる満たされた毎日。

 だから、この悲しみに没頭できるはずなのに――涙一つ出て来やしない。


 昼下がり。

 瑛明は自室の窓辺に寄ってぼんやり院子を見ていた。相変わらず多彩な風景だが、もう桃は、とうに散っている。


 別れは、余りに突然だった。


 慌ただしく葬儀の準備が進み、人が集まり、母さんは土に還った。馴染みのある品はあれど、その持ち主の姿はどこにもなく、もう本当に母さんはいないんだと、日ごと実感する。


 悲しみも後悔も感謝も、色々なものがないまぜになって波立つこの気持ち全てに、応じてくれる相手がいない――目が覚めるたび、姿が見えない日々を重ねてやっと、本当にもう居ないのだということを少しずつ実感していった。今はただただ、姿なき相手に語りかけ続けている。

 生きていた時よりずっと、多くの言葉を。


 これでよかったんだよね、母さん。

 故郷に帰ってくることができて、愛する志按さまに看取られて。それこそが母さんの望みだったんだから。


 だけど――いつもふいに、突き上げてくる。


 ここに来なければ、母さんは死ななかったんじゃないか。俺があの道を見つけなかったら――ここに戻ってさえ来なければ。

 ここに帰りたいという希望を持ち続けて、志按さまを想いながら趙とでも再婚してたら。あいつジイさんだったけどいいヤツだったし、何より、本当に母さんを愛していた。

 女は愛されてこそ幸せというじゃないか。あいつとなら母さんも、穏やかに生きていけたんじゃないのか。

 号泣して自分に取りすがった母の、腕に食い込んだ爪の痛みが、いまなお蘇る。


 叩扉の音。


 ゆっくり振り返る。開いた扉から、少しばかりやつれた依軒が姿を現した。

「瑛明さま、大爺だんなさまさまがお越しです」

 葬儀以来である。依軒に従い瑛明が居間に出ると、そこには同じく粗い白麻の喪服をまとった中相が居た。瑛明は軽く会釈をして、促されて卓子を挟んだ対面に腰を掛ける。

 卓子は螺鈿の黒漆のものではなく、粗末な木のものに代えられている。棚に並んだ美術品も下げられ、窓外の景色だけが鮮やかだ。


「今、何を考えてる?」


 今? その言葉を脳裏で繰り返す。

 混沌としていて、自分でもよく分からない。

 なのに何もかも見透かされてる――そんな畏怖さえ感じて、黙り込んでいると、

「おまえ――ここを出る気でいるな?」

 中相の目が、まっすぐに自分を見ている。

 小さく息をのんだ。混乱した日々の中で、ただそれだけは、唯一決めていたことだった。

 思えば、まともに二人で対面したのは、ここに来た日以来だ。


 そう思ったら、知らず口元が綻んだ。「はい」言葉は素直に滑り出た。

「だがおまえの身内は、もう私だけだ」 

 思いもよらない言葉に驚いて、今度ははっきりと笑みが浮かんだ。

「恐れながら――もうずっと父はいないものだと思って生きて参りました。またその日々に戻るだけです」

「ここはおまえの家ではないと?」

「ここは母の故郷です。母を丁重にお見送りいただいたこと、感謝しています。やっとこの地に母を帰すことができて、本当によかったです。――お会いできて嬉しく思いました。忌が明けたら、私は密かにここを出ます」


 面倒になりそうだったから、何も言わずにここを出るつもりでいたのに、つい言ってしまった。

 嬉しかったからかもしれない。


 おもむろに中相が席を立った。そのまま踵を返したところで、足下がふらついた。

 食事は朝夕二回の雑穀のお粥のみ。

 確実に二度も出てくるなんて自分にはありがたいが、あんな豪華な食事と間食に慣れた身体にはきついことだろう。

 粗衣粗食に耐え、母をきちんと見送って下さってるのだ、この人は。


 母さんよかったね。

 気持ちは他の人にあったのかもしれないけど、母さんのこともちゃんと想ってくれているよ――瑛明もまた立ち上がり、去りゆく後姿に深々と頭を下げた。


「今の話、母を亡くしてまだ気持ちが落ち着かぬゆえの言葉と思っておく」

 思わず顔を上げると、中相が扉に手をかけたまま、こちらをまっすぐに見ている。

「決してそういうわけでは」

「もう一度よく考えるといい。忌明けまで、まだ日がある」

 そう言うと、瑛明の言葉を待たず、中相は部屋を出て行った。



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