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きみは最果ての光  作者: 天水しあ
第二章『内界』
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第十集「懸念」

「――参りました」


 深々と頭を下げると、「きゃあ」と嬉しそうな声。傍らの母が「さすがは志按さま」と上ずった声を上げる。

 目の先で煌めく水面の眩しさに、瑛明は目を細めてそっとため息をついた。


 晴れた日は院子にわの亭台で、雨の日は離れで、親子三人で食事を共にした後は、中相と瑛明で碁を打つのが恒例となっていた。

 母は傍らで身を乗り出し、固く固く両手を握り合わせ、固唾を呑んで対局を見守るのである。そして今日も、瑛明が負けたのだ。


 ――息子が負けて、そこまであからさまに喜ぶってどうなんだよ母親として! まあいいけど。母さんが嬉しいんなら、まあそれで。


「いや、なかなかの追い込みだったぞ。今日こそは負けやもしれぬと思った」

 正面の中相は口元に笑みを浮かべてそう声をかけてきたが、昨日も一昨日も同じことを言ってたな。まあいいんだけど。


「さあ、お茶のご用意ができました。こちら片付けさせていただきますね」

 そう背後から声をかけてきたのは依軒。手際よく卓上を片付けていく。いつものように。


 中相は多忙の中、一日何度か離れを訪れ、少なくとも一度は食卓を共にする。

 母さんは中相が現れるまではそわそわしながら鏡を覗き込み、何度も依軒に髪を結い直させたり、紅をさし直したりしている。まだまだ牀台ベッドで過ごす時間が長いけれど、日に日に起きている時間が延びていっている。


 牀台は柔らかで寝心地はよく、部屋も食事も衣装も、すべては豪華で充分過ぎるほど。

 なにより、ずっと帰りたかった場所という安心感――これ以上は望めない環境で、母さんが普通に起き上がれるようになるのも、すぐだろう。肌が、目に見えて明るくなってる。

 息子の俺が言うのもなんだが、戻ってからの母さんの美しさには陰が一切なく、その眩しさには、そら恐ろしさを感じるくらいだ。


「玲華、寒くはないか?」

「ええ、少しも」

 美しい人形に血が通ったといえばいいのか――潤んだ大きな目で中相を見つめる姿は、まさに恋する娘。それ以外は眼中にない。

 おかげで俺は、いまだにどうしたらいいか分からないまま女の格好だ。


 だけど。


「久しぶりのご夫婦再会でございますもの。仲睦まじいことは喜ばしいことです」

 依軒がそれは嬉しそうに言うけれど……。


 確かに中相は、母さんがとりわけ好む菓子やら装飾品やら、様々な珍しいを持って日に何度も姿を見せる。だが決して泊まることはない。そのうえ自分や依軒を必ず同席させた上で母さんに相対する。


 常ににこやかで、まったく隙のない――『おもてなし』。


 あれだけ母さんに堕ちない男は居ないものかと思っていたのに、ようやく見つけたと思ったらそれが、母さんがずっと思い続けた夫で、俺の父親とは。もうため息しか出ない。

 だけど仕方ない。余りに離れていた年月が長すぎた。この家の人間から見たら、俺たち母子はよそ者であり、この離れをあてがわれるのは当然の成り行きともいえる。

 まあそのうち母さんも事実を受け止めてくれるだろう。


 心配した第二夫人の存在も、母さんは「一国の相として当然のこと」と受け入れてたし。外界ではままならないことばかりだったから、昔はともかく、今の母さんは妥協を知っている。


 時がたてば全てに折り合いがつき、しかるべき道が開かれるはず――そう思ってた。


「志按さまと二人で話がしたいの」

 ある日、母が思いつめた表情と声で言ってきたとき、瑛明の胸は妙にざわついた。


 いいんだろうか二人っきりにして――。


 思いながらも結局、瑛明は離れの傍らにある物置に依軒と二人で潜むことになった。

「いつまでこうしてればいいんだと思う?」

「とりあえず今しばらくは……」

 物置とはいえ瑛明のかつての住まいの倍はあり、二人でも十分な広さだ。ご丁寧に椅子と卓子まで運び込まれ、瑛明と依軒は、それぞれ本と繕い物を手に、窓際に座った。

 天気のいい日の常として開け放たれた窓からは、十分な明るさが手元を照らしてくれている。なのに開いた本の文字は目を滑っていくだけで、少しも頭に入らない。対して依軒はせっせと針を動かしている。


 俺って母さんのことになると、ちょっと過保護になってしまうのかも――そう思い、身を入れて本を読もうと座り直したとき―― 大きな音がした。

 人声、悲鳴――、いや、泣き叫ぶ声!

 声の主を悟った瑛明は、本を投げ捨て、物置を飛び出した。


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