最終話:昇華
「母さん!」
「もういいの。私は十分に満たされた。貴方が生きてさえいてくれたら……それでよかったのに。貴方に最期を看取ってもらえることまで出来て」
母さんの体はもういつ消え去ってもおかしくない。水のように透明な体。明滅も収まったが透明化も明らかに進行している。まるで日に日に弱り果てていった母さんを、また見ている。
「行かないでよ! お願いだよ! 僕なんでもするよ。母さんが生きていてくれるなら! もう死んじゃえなんて絶対に言わない! だから!!」
母さんはその黒さえ失い始めた目を丸くして、俺を見つめる。
「……そんなことを気にしていたのね。優しい子。それもね……いいの。気にしてなんかいない」
「……」
洪水のように押し寄せる涙が俺たちの会話を邪魔する。笑ってなきゃいけないのに。
「最期にね……」
最期という言葉に弾かれるように顔を上げた。母さんはまだ穏やかに微笑んでいる。そう感じられる。
「最期に……これだけは覚えておいて」
「……」
「いつでも、いつまでも…… 私は貴方を、貴方と幸治さんを愛している。世界中の誰よりも愛している」
やがて透明の先に白い粉が浮かび上がる。母さんの遺骨。
母さんに伸ばした手は、体をすり抜け虚空を掴んだ。
「……さようなら、コーヨー。貴方の名前は幸治さんの“幸せ”と言う字と私の“陽”を取ったもの」
母さんの体がもう見えなくなって……
いつか母さんに尋ねたことがある。どうして僕はコーヨーって言うの?
母さんはいつもの穏やかなものとは違って、嬉しそうに、子供のように笑ってそう教えてくれた。
「母さん!!」
絶叫するような、悲鳴のような。病み上がりの体で泣き崩れて、どこにそんな力が残っていたのか分かりもしない。どうでもいい。
「待ってよ! 傍にいてよ!」
母さんの遺骨だけがそこにある。宙に浮いた母さんの残滓。
「コーヨー……。幸せに、幸せになってね」
最期の願い。紛れもない本心。
明け方の空に吸い込まれるようにして浮かび上がる母さんの遺骨は、ゆっくりと天を昇っていく。
神様の下に帰っていくのだろうか。またその場所から俺を、父さんを見守っていてくれるんだろうか。
上り始めた太陽に優しく照らされ、その光を反射させながら輝く白い母さんはとても綺麗だった。
<了>
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