第四十八話:熊野芽衣~終わり~
ただ黙って歩く。今何か話せば確実に一生の恥となりそうなことばかり口走りそうだ。
森から出た俺たちは、家路を急ぐでもなく、楽しむでもなく、ただ機械的に歩き続ける。休日を謳歌する子供達のはしゃぎ声が、余計に気まずくさせるように感じられた。
「……返事」
「え?」
メイメイが消え入るような声で呟いた。ややもすると子供達の声、往来を行き交う車の音に掻き消されそうだった。
「返事、聞かせてよ」
返事。さっきのメイメイの告白の返事。そうだ、俺はメイメイに好きだと言われたんだ。今までのように兄妹のように接する時間は終わったのだ。まるで夢見心地にいるように、考えは一向にまとまらない。
「……」
もう少し待ってくれ、と言うのは身勝手か。メイメイ。幼い頃からクマッチョと三人で遊んだ友達。大切な人。優しい言葉で俺を支えてくれる。時に生意気に感じたり、時にお姉さんのように感じたり……
「ダメなの?」
隣を歩くメイメイのいつもの勝気は鳴りを潜め、ただ悲しげに目を伏せる。
「私のこと嫌い?」
その聞き方はずるいと思った。嫌いなわけがない。嫌いなら一緒に遊んだり、こうして肩を並べて歩くこともない。
「……嫌いじゃないよ」
クマッチョの顔が脳裏を掠めた。次に湯原の泣き顔、木田の遠慮がちな笑顔。目の前のメイメイの横顔。
「きっと好きなんだと思う。だけどこんな中途半端な気持ちで、お前とどうこうなっていいものかわからないんだ」
「はっきりしてよ!」
ろくに安全確認もせずに、メイメイが曲がり角の途中で止まる。それがいけなかった。
咄嗟に動いた俺の頭の中には、メイメイを助けることしかなかった。目一杯メイメイの体を押した。
彼女が道路の向こう側の歩道に倒れこむのを見て、俺は心の底から安堵する。良かった、もう大丈夫だ。
大きなトラックが走りこんでくる。二トンだろうか、三トンだろうか。俺の頭は異常に冷静だった。鉄の塊の細部まで視覚から脳内に取り込まれる。トラックの運転手がフロントガラス越しに絶叫したように大きく口を開けているのが見える。女性の金切り声のようなタイヤのスリップ音がけたたましく鳴った。
俺は死ぬのか。
父さんは悲しむだろうな。妻に続いて息子まで亡くして、ひょっとしたら生きる気力までも失ってしまうかもしれない。俺は父さんに何一つ返せていない。ごめんなさい。本当にごめんなさい。
メルヘルはいつまで経っても会いに来ない俺をどう思うだろうか。薄情者と罵るだろうか。いや。彼女のことだから、きっと何か事情があると慮って、また孤独の中に埋もれていくんじゃないか。ごめん。本当にごめん。
クマッチョはどうなるだろう。たった一人の親友の死を受け入れられるだろうか。母さんを失った俺みたいに塞ぎ込んでしまわなければいいのだけど。おじさんやおばさん、メイメイが支えてくれると楽観するのは俺のエゴだろうか。ごめんね。本当にごめんなさい。
湯原はどう思うだろう。家族がいないと言った、友達もアテにならないと言った孤独を恐れる彼女は。出来れば俺がその悲しみを振り払ってやりたかった。また何も出来なかった。ごめん。ごめんよ。
木田は、おじさんは、おばさんは、悲しんでくれるだろうか。きっと悲しんでくれる。だけど、俺のために心を痛めないで欲しい。あの優しい人たちにこれ以上の心痛を、俺は望んでいない。
メイメイが何か叫んでいるのが見えた。
必死の形相で、俺に何かを伝えようとしている。迫り来るトラックには目もくれず、ただ俺に訴えかける。この子を守って逝けるなら本望かな。そんなことを思った。
俺の記憶はここまでだった。